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2021年12月26日 (日)

2021年海外10大ニュース(NO.1549)

 2021年12月26日、読売新聞の読者が選んだ「2021年海外10大ニュース」が決まりました。

1 ジョー・バイデン氏が米大統領に就任

2 新変異株「オミクロン株」、世界で感染拡大

3 新型コロナの世界感染者が2億人超に

4 ミャンマーで国軍がクーデター

5 アフガニスタンでタリバンが首都制圧

6 日本のコンテナ船、スエズ運河で座礁

7 北朝鮮、相次ぎミサイル発射

8 トランプ大統領支持者が議事堂占拠

9 中国の不動産大手「中国恒大」が経営危機

10 新型コロナ飲み薬、米製薬大手メルクが使用申請

 読売新聞が用意した11月までの51項目から10項目を選んで応募する方法です。

 有効応募総数は昨年の12157通より大幅に増えて19088通でした。年代別では60歳代が最も多く25%でした。それに次いで70歳以上が23%でした。昨年最も多かった19歳以下は20%でした。

 全項目的中者は昨年は6人でしたが、今年は2人に減りました。全体では6項目的中者が最も多く26.7%でした。

 私も応募しました。8項目の的中でした。

 9,10の代わりに

 16 英国でCOP26

 26 韓国地裁、元慰安婦の損害賠償請求を却下

を選びました。

 昨年は6項目の的中だったので、少し成績が上がりました。8項目的中者は789人ですが、抽選で選んだ100人に記念品が贈られるそうなので、日本10大ニュースと同じくやはり期待しないで待つことにします。

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2021年12月25日 (土)

2021年日本10大ニュース(NO.1548)

 2021年12月25日、読売新聞の読者が選んだ「2021年日本10大ニュース」が決まりました。

1 大谷翔平、メジャーMVPに

2 東京五輪、日本は史上最多58メダル

3 新型コロナワクチン接種開始

4 眞子さま、小室圭さん結婚

5 静岡・熱海で土石流、死者、行方不明者27人

6 新型コロナ、変異株が猛威

7 自民党総裁に岸田氏、首相に就任

8 将棋・藤井聡太さんが新竜王、最年少四冠に

9 ゴルフの松山英樹がマスターズ優勝

10 東京五輪「原則無観客」決定。直前まで混乱続く

 読売新聞が用意した11月までの57項目から10項目を選んで応募する方法です。

 有効応募総数は昨年の17120通より多い27731通でした。年代別では70歳以上が一番多く26%で、それに次いで多かったのは60歳代で25%でした。昨年1番多かった19歳以下は17%で4番目でした。

 全項目的中者は昨年の286人より大幅に少なく14人でした。

 全体では6項目的中者が一番多く23.9%でした。

 私も応募しました。昨年と同じ9項目の的中でした。

10 の代わりに

14 東京パラ、日本は史上2番目51メダル を選びました。

 10も候補に入れたのですが、14の良いニュースのほうが選ばれると思って10を落としたのです。9項目的中者は597人ですが、そのうち100人に抽選で記念品が贈られるそうなので期待しないで待っています。

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2021年12月24日 (金)

海外旅行の思い出-その7 アジア6か国とニュージーランド(NO.1547)

 1999年から2002年にかけて7回、アジアとニュージーランドを旅行しました。この期間は妻は海外旅行に行くことができない事情があったため、妻が行きたくないアジアの短期間で安価な旅行を選びました。

 1回目は1999年7月の中国でしたが、これは前回の思い出に書いています。

 1999年(平成11年)10月、シンガポール・マレーシアに行きました。

 日本旅行主催で4泊(うち1泊は機内)5日(実質は3日)現地添乗員の格安ツアーでした。

 成田を夕方6時に出発しシンガポールのホテルに着いたのが夜中の1時、最終日はクアラルンプール市内観光後、夜9時に帰途につきシンガポール乗り換えで成田に朝6時に到着というまことにタイトで無駄の多い日程でした。

 夜のシンガポールを楽しむ時間はありませんでした。翌日世界3大がっかりのマーライオンなど、昼間のシンガポール市内を簡単に観光しました。

 午後バスでマレーシアに入りました。シンガポールは清潔で近代的なビルと緑豊かな国でしたが、マレーシアに入るとごみが目立ったのを覚えています。ただクアラルンプールには当時世界一だったペトロナスツインタワーがそびえていました。

 この旅行で印象的だったのは華人のたくましさです。シンガポールもマレーシアもバスガイドは中国系で、観光案内よりバスの中でのお土産の販売に熱心でした。マレーシアはマレー系45%、中国系32%で、マレー系重視の政策を取っていますが、経済の実権を握っているのは中国系とのことでした。

 この旅行での最大の収穫は茨城県の牛久でうなぎ屋を経営しているSさんと親しくなったことです。Sさんとは、この後のアジアとニュージーランドの旅行でずっと一緒でした。私より10歳くらい若く、アルコールが好きな気の合う旅仲間となりました。

 翌2000年(平成12年)2月Sさんと一緒にタイに行きました。

 近畿ツーリストの「気軽に行けるタイランド」4泊5日(実質は3泊3日)6万5千円の格安パック旅行です。当時のアジア旅行は日本国内のパック旅行より料金が安かったのです。その代わりホテルへのチェックインが夜中の2時、最終日は夜中の3時15分ホテル出発というスケジュールでした。

 タイは1年中暑い国ですが2月は乾期になっていて旅行には向いています。バンコクでは日本の7~8月の気温でしたが、成田に着くと雪が降っていました。

 タイ人気質は「マイペンライ」といわれています。いい意味では「おおらかさ」ですが、悪くとれば「いいかげんさ」となります。今回も日本からの添乗員はなく現地ガイドでしたがこのガイドがマイペンライそのものでした。空港ではこちらがガイドを探さなくてはならなかったり、観光地での説明も中途半端、手違いから仲間が数人迷子になったりしました。

 ただ、タイはいいところもありました。町中は雑然としていましたが、何となくのんびりとした感じがありました。中国の売店では笑顔はありませんでしたが、タイではホテルやお店や観光地でにこやかな笑顔が印象的でした。

 2000年(平成12年)10月には韓国の釜山、慶州、ソウルに行きました。

 近畿日本ツーリストの「韓国周遊大満足」のパック旅行です。29年ぶりの韓国旅行です。前回は仕事でした。当時は朴正煕の独裁政権下、今回は金大中大統領の時代でした。なお私たちが帰国したその日に金大中大統領のノーベル平和賞受賞が発表されました。韓国のあまりの変わりようは驚きでした。東京でも人でも29年もたてば変わります。驚くことはなかったのですが、その間見ていなかったのが驚きの理由でしょう。

 2001年(平成13年)4月にはクラブツーリズムの「花蓮・台北人気の2都市巡り3日間」という台湾のパック旅行に参加しました。

 最初は4日間の日程のほうを申し込んだのですが、人数が集まらず3日間に変えたのです。ところがこれが幸いしました。3日目の朝から排尿がストップしたのです。前立腺肥大で尿道がふさがれたのが原因でした。それまで尿が出にくいという現象があったのですが、前立腺肥大になっているとは全く知りませんでした。泌尿器科に行ったこともありませんでした。それが台北観光の日にストップしてしまいました。トイレに行きたくなり通うのですが、まったく出ません。

 観光どころではありません、早く日本に帰りたいと願うばかりでした。同行のSさんも心配してくれましたが、どうすることもできませんでした。帰国して家の近くの病院に駆け込みましたが、もう少しで膀胱が破裂するところだったと言われました。4日間の日程だったら台北の病院のお世話になっていたところでした。その後手術してまた旅行に行けることになりました。

 2001年(平成13年)11月にはカンボジアのシェムリアップとアンコールワットに行きました。

 近畿ツーリストの「アンコールワット世界遺産紀行5日間」で、中国旅行以来の添乗員同行です。直行便がなくタイのバンコックで乗り換えてシェムリアップに行きました。

 シェムリアップはアジア最大の湖のトンレサップ湖のほとりにあります。11月はちょうど雨季が明けたころで、メコン川の水が流れ込む湖は乾期の3倍くらいに大きくなっていて、乾期3メートルの水深のところは15メートルにもなっていました。

 あこがれのアンコールワットは期待以上の素晴らしい遺跡でした。多くの観光客があふれていましたが、アメリカで同時多発テロの直後だったため、アメリカからの観光客はほとんどいませんでした。遺跡にはカンボジア内戦の痕跡が残っていました。テロと内戦を深く考える旅にもなりました。

 2002年(平成14年)2月、阪急交通社の「まるごとニュージーランド8日間」というパッケージツアーでニュージーランドに行きました。

 この時期南半球は夏、旅行のベストシーズンでした。Sさんとは最後の海外旅行となりましたが、その後は国内で一緒に山登りをしています。

 ニュージーランドは北半球と南半球の違いはありますが、緯度は日本の宗谷岬から関門海峡あたりまでの感じで、日本とよく似た気候で緑が多く、富士山と同じくらいの高さのマウントクックがそびえ、日本アルプスの代わりのサザンアルプスがあります。温泉も多いです。国土は日本の約72%くらいです。

 日本と違うのは、当時の人口が約390万人、代わりに羊が約4570万頭、牛が約890万頭、鹿が約170万頭となっていました。

 アジアの観光と違ってニュージーランド観光は自然の美しさを楽しむことでした。オプションで軽飛行機に乗りマウントクックの周りを飛びました。バスでの観光の途中、バンジージャンプができる橋に立ち寄りましたが、だれも希望者はいませんでした。

 この旅を最後にあとは妻と二人での海外旅行に変わりました。

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2021年12月19日 (日)

海外旅行の思い出-その6 3回の中国(NO.1546)

 中国には3回行きました。そのうち2回は妻が同居している自分の親の介護と看護で海外旅行に行けない時でした。

 1回目は1999年(平成11年)7月、H.I.S主催の5泊6日のパックツアーでした。1人で参加したので一人部屋特別料金がかかりました。北京2泊・西安2泊・上海1泊の旅でした。

 22年前の中国は当時の日本と比べるとかなり遅れていました。東京が1964年のオリンピックを迎える直前のような感じでした。道路を向こう側にわたるのは命がけでした。横断歩道や信号はまれにしかなく、信号は作動していないことがあり、動いていても無視する人がいました。

 車より自転車の数のほうが多く、歩道でなく車道を走っていました。バスのドライバーは自転車のほうが威張っていると言っていました。高速道路は建設中でした。

 どこでも人の多さに驚きました。天安門広場には毛主席記念堂に入る人の列が延々と続いていました。私は明の十三陵で迷子になり、仲間の一人は万里の長城ではぐれてしまいました。

 バス停では並ばないで我先に乗ろうと大混乱、西安の露店で食べたときは食べかすが足の踏み場もないほど散乱していました。

 一方歴史的建造物の素晴らしさも感じました。万里の長城、故宮、頤和園、天壇公園、大雁塔、兵馬俑坑、外灘、など見事でした。中国の当時の現状を知る興味深い旅でした。

 2回目はその3年後の2002年(平成4年)5月に蘇州、上海に日本アイ・ビー・エム時代の同僚6名と行きました。

 リーダーのMさんが「中国蘇州のKさんと本当の中国を楽しむ旅行会」をやろうと言い出し、それに賛同した7名で蘇州大学で日本語を教えているKさんを訪ねることになったのです。Kさんは奥様と一緒に蘇州大学が経営している東吾飯店の2部屋に住んでいました。

 私たちもそのホテルに3泊しました。蘇州でのホテル、食事、交通機関、観光、見物場所などはすべてKさんご夫妻が企画し、同行してくれました。利用したマイクロバスはKさんの教え子が運転手付きで特別料金で提供してくれたものです。私たちはVIP並みにただ楽しみに専念するというありがたい旅でした。当時の中国では中国人と外国人はいろいろなところで料金が二本立てになっており外国人には割高になっていました。ところがその時は私たちは中国人並みの料金で食事することができたのです。

 司馬遼太郎の「街道を行く」では、蘇州は「水寂び」の都市と書かれています。私たちはその「水寂び」を存分に味わうことができました。幸か不幸か観光の初日は土砂降りの雨の中でした。

 蘇州大学ではKさんの講義を見学し、中国の若人たちとの交歓もできました。蘇州を深く知ることのできる旅でした。

 帰りに上海で1泊しましたが、上海は3年間でずいぶん変わっていました。浦東新空港が開業、外灘から眺める対岸は高層ビルが林立していました。上海の3年間は東京の5~6年分のスピードで変わったのではないでしょうか。

 3回目は2011年(平成23年)蘭州、西寧、敦煌旅行でした。

 2回目の旅行に参加したOさんがKさんの後を継いで蘇州大学で日本語教師になりましたが、その後教える大学が変わり蘭州大学で教えていました。そのOさんを訪ねた後西域地方を観光したのです。

 企画はOさんとIBMの子会社のアイラスが担当してくれました。参加者は日本アイ・ビー・エムのOB11名とそのご婦人1名の12名で、仲間同士のパックツアーのようなものでした。しかもOBの中の1名はアイラスの社員で面倒見がよく、団長のOBのDさんは中国語が堪能、大変気楽な楽しい旅行になりました。

 1回目の1999年から12年たっており、中国はすっかり変わっていました。市内の交通事情も日本と変わらなくなっていました。信号機は信号が変わるまでの秒数が表示されるなど日本より優れているところもありました。高速道路も整備されていました。

 シルクロードの要衝蘭州では、Oさんの生徒と一緒の市内観光や教室での交歓、大学内のレストランでの懇親会などがありました。生徒は親しみやすく活き活きとしていました。Oさんの名講師ぶりがよくわかりました。

 そのあとは西域観光です。炳霊寺、西寧市、青海湖、敦煌、莫高窟、鳴沙山、玉門関などをを回る6泊7日の旅でした。中国の歴史の古さと仏教芸術のすばらしさと国の広さを実感しました。あの広大な国で時差のないのがどういうことかも体験しました。北京など北の方は白酒、上海など南の方は紹興酒が主で、敦煌などにはおいしい葡萄酒があり、地方によってはビールはあまり冷やさないなどということも知りました。

 あれから10年、中国はさらに進化、変貌しているようです。

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2021年12月17日 (金)

海外旅行の思い出-その5 アルプス4か国と北欧4か国(NO.1545)

 2010年(平成22年)7月、妻と2人で阪急交通社の「スイス4大名峰と2大絶景列車の旅」(日本航空ビジネスクラス直行便で行く!全食事付き11日間)というパックツアーに参加しました。

 旅の名称にスイスとある通り、スイスの名峰を眺めるのが主でしたが、直行便はイタリアのミラノ往復で、ツアーの途中でフランスのシャモニーに宿泊してモンブランをまじかに眺めたり、リヒテンシュタインという小国の首都のファドーツ観光というおまけがついていました。

 私は若いころ登山に凝っていてスイスアルプスはあこがれの地でした。日本アルプスを登っていたころから40数年を経て、やっと本場のアルプスを眺めることができました。

 このツアーはミラノからバスでスイスのサンモリッツに入り、1日おきに、ビッツベルニナ、ユングフラウ、モンブラン、マッターホルンを眺める4つの展望台に上り、1日おきに異動と観光が入るという構成でした。

 ほとんどは好天に恵まれ、アルプスの絶景と美しい高山植物の花々を楽しむことができました。残念だったのはモンブランの玄関口のシャモニーで雨になったことです。モンブランを眺めるエギュ・ド・ミディ展望台に登るロープウェイも午前中運行停止でした。午後やっと運航が再開されましたが、標高3842メートルの展望台は霧に包まれモンブランを見ることはできませんでした。1995年6月に同じエギュ・ド・ミディ展望台に上っていますが、この時も霧でモンブランを見ることはできませんでした。アルプス最高峰は縁がなかったと諦めるほかありませんでした。

 あこがれの独立峰のマッターホルンは雲一つない好天に恵まれて、ツェルマットの街からも、ゴルナーグラート展望台からも十二分に楽しむことができました。登山鉄道を途中で降りて、逆さマッターホルンの見える池に立ち寄りました。

 そして旅の最後にはミラノのドオモの屋根に上り街の絶景を眺めることができました。印象深い旅でした。

 2012年(平成24年)7月妻と阪急交通社の「ビジネスクラス利用 美しき北欧4か国周遊9日間」というパッケージツアーに参加しました。

 私が75歳の時でした。そしてこれが私たちの最後の海外旅行となりました。この年に体調を崩し、以後は海外旅行をあきらめざるを得なかったからです。

 北欧の旅は忙しい旅でした。フィンランドのヘルシンキで乗り継ぎ、デンマークのコペンハーゲン、ノルウェイのオスロ、ロフトフース、ベルゲン、スウェーデンのストックホルム、フィンランドのヘルシンキと回りましたが、移動のためだけで航空機5回、船旅1回、バス1回が必要でした。それ以外に観光でバス、渡し船、観光船、列車を利用しました。

 現地での観光の時間は限られていました。通貨はフィンランドはユーロでしたが、他の3国はそれぞれの国のクローネでした。前もって4か国の通貨に両替する必要がありました。

 忙しい旅から感じたことをまとめてみましょう。4か国は似ているところが多くありました。思いつくままです。自然の美しさ、海と港に恵まれていること、自転車と自転車道、英語が普通に通じること、サーモンとタラとニシンなどの食文化、福祉国家、ガソリンの高さ、エコ、フィンランド以外は立憲君主制などです。

 アルプス旅行に比べるといまいち感動と印象の薄い旅でしたが、念願の北欧を回ったことで満足しています。手賀沼通信と手賀沼通信ブログには両方の旅行の記録を書いています。

 妻との海外旅行では、体調その他でスペインとオーストラリア旅行をあきらめましたが、楽しい思い出がいっぱい残っています。

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2021年12月11日 (土)

海外旅行の思い出-その4 トルコ(NO.1544)

 2008(平成20年)年5月、妻と2人で阪急交通社のロイヤルコレクション「VIPバスで巡るトルコ13日間」というパックツアーに参加しました。

 私は71歳、妻は高齢者に数えられる65歳になったので、体調を考え少しでも楽ができる航空機はビジネスクラス、バスはVIPバスを利用するコースにしました。なおこの後の海外旅行はアラスカ旅行を除きビジネスクラスを利用することになりました。

 ロイヤルコレクションは人数も20名以下に制限されていて、今回は8組の夫婦と男性1名の17名でした。トルコはカッパドキア観光の入口カイセリから最後のイスタンブールまで一部船に乗るのを除くとバスでしたので、横3列30人乗りのVIPバスは快適な旅を提供してくれました。

 トルコを選んだのは妻でしたが、はっきりした理由は覚えていません。旅行する前はトルコは西洋と東洋の境界にある国ということぐらいしか知りませんでした。

 旅行してみてわかったのは、いろいろな国がトルコを支配しシルクロードなどの古くからの歴史があること、ギリシャやローマなど素晴らしい遺跡が残っていること、トルコ料理は世界3大料理と言われるほどおいしいこと、トルコの人たちがさわやかでフレンドリーなことなど、良い印象ばかりでした。旅の仲間や添乗員も最高でした。

 ただ、トルコのお酒はビールはおいしかったのですが、名物の「ラキ」はあまりなじめませんでした。

 コースは、カッパドキア、コンヤ、パムッカレ、アフロディシアス、イズミール、エフェソス、ペルガモン、チャナッカレ、トロイ、イスタンブールで、観光地をゆっくり回りました。イスタンブールでは船を借り切りにしてボスポラス海峡クルーズを楽しみました。

 2018年5月24日の手賀沼通信ブログ(NO.1154)には、写真を編集し直した旅行記を書いています。手賀沼通信第124号にも「トルコの旅」を書きました。

 その後トルコでは政変があったり、テロがあったりしたので、良い時に行ったと思っています。

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2021年12月 9日 (木)

海外旅行の思い出-その3 イタリアとオランダ/ベルギー/フランス(NO.1543)

 妻の両親を見送ってから妻が自由に旅行に行けるようになったので私たち二人の海外旅行が復活しました。

 2006年(平成18年)5月に阪急旅行社の「クリスタルハート・ゆったり旅するイタリア13日間」というパック旅行に参加しました。

 妻の両親が健在だったころのカナダ旅行から10年ぶりの海外旅行でした。この時から2人での海外旅行はすべて妻が旅行先やコースを選びました。ちなみに国内旅行もすべて妻が選んでいます。

 妻にとっては久しぶりの旅行だったのでいろいろ準備が大変でした。パスポートを取りましたが、ICチップが入った新しいパスポートに変わっていました。大型のスーツケースや電気ポットを購入したり、携帯電話を海外からの通信が可能な3Gにしたり、デジカメを買ったりしました。旅行では家を完全に留守にすることを考え、銀行の貸金庫を借りました。

 イタリアを選んだのは当時妻が熱中していたオペラに関係が深かったためです。そしてシチリアまで足を延ばせるコースにしました。

 ミラノ、ベネティア、フィレンツェ、シエナ、ローマ、バチカン、カプリ島、アマルフィ、ポンペイ、アルベルベッロ、タオルミーナ、アルメリーナ、アグリジェント、パレルモなどの観光が楽しめました。このツアーの特徴はイタリア1国を北のミラノから南のシチリアのパレルモまで、各都市の名所をじっくり丁寧に回ることにありました。

 食事にも時間をかけ、ワインやイタリア料理のおいしさを味わうことができました。イタリアの歴史、遺跡、文化、美術などにも触れることができました。旅の仲間は19名、皆さん愉快な気の置けない人たちばかりでした。旅行の後、2組のご夫婦には手賀沼通信をお送りしています。添乗員にも恵まれました。

 イタリアに魅了され、旅行の後イタリア語をNHKのラジオ講座でしばらく勉強しました。妻はシチリアで初めて味わった「ドンナフガータ」のシチリアワインを今でもネットで探して注文しています。

 その翌年の2007年(平成19年)4月にはオランダ/ベルギー/フランスの旅をしました。

 阪急旅行社の「トラピックス・オランダ・ベルギー・モンサンミッシェル・パリ9日間」というパックツアーに参加しました。同じ阪急旅行社でも、トラピックスはクリスタルハートに比べるとちょっと下のランクになります。イタリア旅行と比べるとその違いが判りました。

 妻がこの旅行を選んだのはオランダのチューリップと花パレードを見るのと、フランスのモンサンミッシェルに行きたいためでした。

 この旅行はイタリア旅行と違って3つの国の目玉観光をすることを目的としていました。いいとこどりの手軽な旅行でした。回る場所は限られていましたが、じっくり楽しむことができました。

 オランダではアムステルダム市内観光、ノールドワイクの花パレード、リッセのキューケンホフ公園、キンデルダイクの風車でした。

 ベルギーではブリュッセルとブルージュの市内観光でした。

 フランスではモンサンミッシェルとモネの庭園とファンテーヌブロー城が主で、パリ市内の観光はちょっとだけでした。

 モンサンミッシェルはその島(?)内にあるホテルに宿泊しました。あとで珍しいことだということがわかりました。おかげで夜と早朝のモンサンミッシェル島の散歩が楽しめました。

 オランダのチューリップは花の盛りでした。ベルギーではムール貝の豪快な食べ放題がありました。フォンテーヌブロー城ではナポレオンと同じ場所に立つことができました。

 海外旅行ではそれぞれの国で、それぞれ特有の文化が学べるということがわかりました。それが海外旅行の最大の魅力の一つかもしれません。

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2021年12月 7日 (火)

読書の終活「関ケ原」を読み終え「翔ぶが如く」へ(NO.1542)

 令和3年12月5日、書棚の司馬遼太郎の小説「関ケ原」文庫本3冊を読み終えました。これで司馬遼太郎の15作品を読み終えたことになります。

 上巻を読み始めたのが9月15日ですから、3巻を読み終えるまでに2か月と20日かかりました。途中でほかの本を読んだのは2冊だけでしたから、これだけ時間がかかったのは本を読む時間を取らなかったということです。自分でも本を読む根気がなくなったのを自覚しています。本を読むのは朝目が覚めてから床を離れるまでが一番多いのですが、本を読まないでうとうとしていることが多くなりました。昨年は12月5日までに51冊読んでいますが、今年は37冊です。歳のせいだと感じています。

 「関ケ原」は平成9年の購入した本です。今回で3回読むことになりました。

 「関ケ原」の主人公はご存じのように徳川家康と石田三成です。徳川家康の狡猾さと作戦のうまさ、石田三成の人気のなさと判断のまずさが全編にわたって描かれていました。

 司馬さんの作品には、「竜馬が行く」の坂本竜馬や「坂の上の雲」の秋山兄弟のように主人公が好きで愛情を注いで描いたものと、「関ケ原」の2人の主人公のように好きでもないので冷静に描いた作品があります。「関ケ原」で司馬さんが好きだったのは、石田三成の家臣の島左近だった感じです。それにしてもこの作品は数えきれないほどの人物が登場します。そしてその人物が生き生きと描かれています。司馬さんの綿密な調査と博識が十分にうかがわれれます。面白いというより興味深い小説でした。

 つぎは司馬遼太郎最長の小説「翔ぶが如く」ハードカバー7冊です。昭和51年に購入しています。主人公は西郷隆盛、脇役が大久保利通です。NHKの大河ドラマでは西田敏行と鹿賀丈史が演じました。

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2021年12月 4日 (土)

海外旅行の思い出-その2 カナダとアラスカ(NO.1541)

 初めての海外旅行でヨーロッパに行った翌年、1997年(平成8年)6月から7月にかけて夫婦2回目の海外旅行でカナダに行きました。妻が両親の介護と看護に入る前の最後の旅でした。

 カナダを選んだのは、妻が習っていた英会話の先生がカナダトロント出身であったこととナイアガラの滝を見たいという理由からでした。

 近畿ツーリスト「熟年の旅カナダハイライト周遊10日間」という8泊10日のパック旅行でした。私たちの海外旅行は次に出てくるアラスカ旅行以外はすべて4月後半から7月にかけてとなっています。理由は暖かいため軽装で行けるのと、現地の日が長く遅くまで明るくて1日を長く楽しめるためです。料金は冬のほうが安いのですが、ベストシーズンは快適な旅行が楽しめます。

 カナダでのルートはトロント、ナイアガラ、ケベック、モントリオール、バンフ、カナディアンロッキー、ビクトリア、バンクーバーと東から西に移動しました。旅の仲間は11組22人の夫婦で59歳と53歳の私たちが一番の若手でした。

 カナダは英語の通用する国と理解していましたが、ケベックとモントリオールはフランス語圏でした。

 ナイアガラとカナディアンロッキーの素晴らしい景観に圧倒されました。日本ではお目にかかれない雄大さでした。ナイアガラはアメリカという理解が現地に行ってみて間違っていたと分かりました。ナイアガラのカナダ滝がアメリカ滝の10倍のスケールでした。

 アラスカに行ったのは2008年9月です。妻の両親は亡くなっていました。妻が以前からぜひオーロラを見たいというのでアラスカを選びました。

 アラスカのフェアバンクスは年間240日くらいオーロラが見られると言われています。オーロラの観光シーズンは9月から3月までです。9月は寒さがそれほど厳しくなく紅葉も楽しめるとのことだったので、クラブツーリズムの「JALチャーター直行便利用!秋のアラスカ大満喫7日間」というパックツアーを利用しました。

 フェアバンクスから100キロほど離れたチェナ温泉に3連泊し3夜続けてオーロラを見ることができました。妻はこの旅行直前に足をねんざし、痛い足を引きずりながらのオーロラ見物でした。

 北極圏までのバス旅行で、黄色一色の秋を楽しむことができました。カナダでは赤い紅葉は見られませんでした。アリエスカでは氷河クルーズで地球温暖化でおなじみの氷河が海に崩れ落ちるシーンも見ることができました。

 実は私たちは海外旅行では定番のハワイやアメリカ本土に行くことはありませんでした。私は会社のイベントでハワイに行っていますが、簡単に行けるので最後はハワイにしようと言っているうちに、二人とも足の痛みを抱えることになり、海外旅行も国内旅行もできなくなってしまいました。

 カナダとアラスカで目的は果たしたのでアメリカには思い残すことはありません。

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2021年12月 2日 (木)

新型コロナウィルスの新たな変異株「オミクロン株」の発生とワクチン3回目の接種の開始(NO.1540)

 南アフリカが新型コロナウィルスの新たな変異株「オミクロン株」の存在を11月24日にWHOに報告しました。ところがイギリス・スコットランドで9人が11月20日のイベントで集団感染していました。イギリスのほうが早かったようです。

 12月1日の読売新聞の夕刊ではオミクロン株の感染が確認された主な国と地域はヨーロッパが12か国、アフリカ・中東が3か国、アジア2か国、北米・中南米が2か国、オセアニアが1か国になっています。2日のニュースでは1日の夕刊には載っていなかったアメリカでも確認されたと報じていましたので今後他の国にも増えることは間違いないでしょう。

 日本で見つかったのはナミビア人の外交官です。日本政府は全世界からの外国人の新規入国を原則禁止としました。日本の在留資格を持つ外国人の再入国は制限付きで認めています。日本人の帰国についても指定された国から帰国する場合は10日または3日間の待機期間が設けられます。

 10月1日新型コロナウィルスのワクチンの3回目の接種が始まりました。12月は医療従事者に1月からは高齢者に実施されます。18歳以上の希望者全員が対象で、2回目から原則8か月以上あけることとなっています。

 私の場合は2回目が7月だったので、3回目は来年3月以降になります。ぜひ受けたいと思っています。

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