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2021年12月19日 (日)

海外旅行の思い出-その6 3回の中国(NO.1546)

 中国には3回行きました。そのうち2回は妻が同居している自分の親の介護と看護で海外旅行に行けない時でした。

 1回目は1999年(平成11年)7月、H.I.S主催の5泊6日のパックツアーでした。1人で参加したので一人部屋特別料金がかかりました。北京2泊・西安2泊・上海1泊の旅でした。

 22年前の中国は当時の日本と比べるとかなり遅れていました。東京が1964年のオリンピックを迎える直前のような感じでした。道路を向こう側にわたるのは命がけでした。横断歩道や信号はまれにしかなく、信号は作動していないことがあり、動いていても無視する人がいました。

 車より自転車の数のほうが多く、歩道でなく車道を走っていました。バスのドライバーは自転車のほうが威張っていると言っていました。高速道路は建設中でした。

 どこでも人の多さに驚きました。天安門広場には毛主席記念堂に入る人の列が延々と続いていました。私は明の十三陵で迷子になり、仲間の一人は万里の長城ではぐれてしまいました。

 バス停では並ばないで我先に乗ろうと大混乱、西安の露店で食べたときは食べかすが足の踏み場もないほど散乱していました。

 一方歴史的建造物の素晴らしさも感じました。万里の長城、故宮、頤和園、天壇公園、大雁塔、兵馬俑坑、外灘、など見事でした。中国の当時の現状を知る興味深い旅でした。

 2回目はその3年後の2002年(平成4年)5月に蘇州、上海に日本アイ・ビー・エム時代の同僚6名と行きました。

 リーダーのMさんが「中国蘇州のKさんと本当の中国を楽しむ旅行会」をやろうと言い出し、それに賛同した7名で蘇州大学で日本語を教えているKさんを訪ねることになったのです。Kさんは奥様と一緒に蘇州大学が経営している東吾飯店の2部屋に住んでいました。

 私たちもそのホテルに3泊しました。蘇州でのホテル、食事、交通機関、観光、見物場所などはすべてKさんご夫妻が企画し、同行してくれました。利用したマイクロバスはKさんの教え子が運転手付きで特別料金で提供してくれたものです。私たちはVIP並みにただ楽しみに専念するというありがたい旅でした。当時の中国では中国人と外国人はいろいろなところで料金が二本立てになっており外国人には割高になっていました。ところがその時は私たちは中国人並みの料金で食事することができたのです。

 司馬遼太郎の「街道を行く」では、蘇州は「水寂び」の都市と書かれています。私たちはその「水寂び」を存分に味わうことができました。幸か不幸か観光の初日は土砂降りの雨の中でした。

 蘇州大学ではKさんの講義を見学し、中国の若人たちとの交歓もできました。蘇州を深く知ることのできる旅でした。

 帰りに上海で1泊しましたが、上海は3年間でずいぶん変わっていました。浦東新空港が開業、外灘から眺める対岸は高層ビルが林立していました。上海の3年間は東京の5~6年分のスピードで変わったのではないでしょうか。

 3回目は2011年(平成23年)蘭州、西寧、敦煌旅行でした。

 2回目の旅行に参加したOさんがKさんの後を継いで蘇州大学で日本語教師になりましたが、その後教える大学が変わり蘭州大学で教えていました。そのOさんを訪ねた後西域地方を観光したのです。

 企画はOさんとIBMの子会社のアイラスが担当してくれました。参加者は日本アイ・ビー・エムのOB11名とそのご婦人1名の12名で、仲間同士のパックツアーのようなものでした。しかもOBの中の1名はアイラスの社員で面倒見がよく、団長のOBのDさんは中国語が堪能、大変気楽な楽しい旅行になりました。

 1回目の1999年から12年たっており、中国はすっかり変わっていました。市内の交通事情も日本と変わらなくなっていました。信号機は信号が変わるまでの秒数が表示されるなど日本より優れているところもありました。高速道路も整備されていました。

 シルクロードの要衝蘭州では、Oさんの生徒と一緒の市内観光や教室での交歓、大学内のレストランでの懇親会などがありました。生徒は親しみやすく活き活きとしていました。Oさんの名講師ぶりがよくわかりました。

 そのあとは西域観光です。炳霊寺、西寧市、青海湖、敦煌、莫高窟、鳴沙山、玉門関などをを回る6泊7日の旅でした。中国の歴史の古さと仏教芸術のすばらしさと国の広さを実感しました。あの広大な国で時差のないのがどういうことかも体験しました。北京など北の方は白酒、上海など南の方は紹興酒が主で、敦煌などにはおいしい葡萄酒があり、地方によってはビールはあまり冷やさないなどということも知りました。

 あれから10年、中国はさらに進化、変貌しているようです。

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