« 海外旅行の思い出-その6 3回の中国(NO.1546) | トップページ | 2021年日本10大ニュース(NO.1548) »

2021年12月24日 (金)

海外旅行の思い出-その7 アジア6か国とニュージーランド(NO.1547)

 1999年から2002年にかけて7回、アジアとニュージーランドを旅行しました。この期間は妻は海外旅行に行くことができない事情があったため、妻が行きたくないアジアの短期間で安価な旅行を選びました。

 1回目は1999年7月の中国でしたが、これは前回の思い出に書いています。

 1999年(平成11年)10月、シンガポール・マレーシアに行きました。

 日本旅行主催で4泊(うち1泊は機内)5日(実質は3日)現地添乗員の格安ツアーでした。

 成田を夕方6時に出発しシンガポールのホテルに着いたのが夜中の1時、最終日はクアラルンプール市内観光後、夜9時に帰途につきシンガポール乗り換えで成田に朝6時に到着というまことにタイトで無駄の多い日程でした。

 夜のシンガポールを楽しむ時間はありませんでした。翌日世界3大がっかりのマーライオンなど、昼間のシンガポール市内を簡単に観光しました。

 午後バスでマレーシアに入りました。シンガポールは清潔で近代的なビルと緑豊かな国でしたが、マレーシアに入るとごみが目立ったのを覚えています。ただクアラルンプールには当時世界一だったペトロナスツインタワーがそびえていました。

 この旅行で印象的だったのは華人のたくましさです。シンガポールもマレーシアもバスガイドは中国系で、観光案内よりバスの中でのお土産の販売に熱心でした。マレーシアはマレー系45%、中国系32%で、マレー系重視の政策を取っていますが、経済の実権を握っているのは中国系とのことでした。

 この旅行での最大の収穫は茨城県の牛久でうなぎ屋を経営しているSさんと親しくなったことです。Sさんとは、この後のアジアとニュージーランドの旅行でずっと一緒でした。私より10歳くらい若く、アルコールが好きな気の合う旅仲間となりました。

 翌2000年(平成12年)2月Sさんと一緒にタイに行きました。

 近畿ツーリストの「気軽に行けるタイランド」4泊5日(実質は3泊3日)6万5千円の格安パック旅行です。当時のアジア旅行は日本国内のパック旅行より料金が安かったのです。その代わりホテルへのチェックインが夜中の2時、最終日は夜中の3時15分ホテル出発というスケジュールでした。

 タイは1年中暑い国ですが2月は乾期になっていて旅行には向いています。バンコクでは日本の7~8月の気温でしたが、成田に着くと雪が降っていました。

 タイ人気質は「マイペンライ」といわれています。いい意味では「おおらかさ」ですが、悪くとれば「いいかげんさ」となります。今回も日本からの添乗員はなく現地ガイドでしたがこのガイドがマイペンライそのものでした。空港ではこちらがガイドを探さなくてはならなかったり、観光地での説明も中途半端、手違いから仲間が数人迷子になったりしました。

 ただ、タイはいいところもありました。町中は雑然としていましたが、何となくのんびりとした感じがありました。中国の売店では笑顔はありませんでしたが、タイではホテルやお店や観光地でにこやかな笑顔が印象的でした。

 2000年(平成12年)10月には韓国の釜山、慶州、ソウルに行きました。

 近畿日本ツーリストの「韓国周遊大満足」のパック旅行です。29年ぶりの韓国旅行です。前回は仕事でした。当時は朴正煕の独裁政権下、今回は金大中大統領の時代でした。なお私たちが帰国したその日に金大中大統領のノーベル平和賞受賞が発表されました。韓国のあまりの変わりようは驚きでした。東京でも人でも29年もたてば変わります。驚くことはなかったのですが、その間見ていなかったのが驚きの理由でしょう。

 2001年(平成13年)4月にはクラブツーリズムの「花蓮・台北人気の2都市巡り3日間」という台湾のパック旅行に参加しました。

 最初は4日間の日程のほうを申し込んだのですが、人数が集まらず3日間に変えたのです。ところがこれが幸いしました。3日目の朝から排尿がストップしたのです。前立腺肥大で尿道がふさがれたのが原因でした。それまで尿が出にくいという現象があったのですが、前立腺肥大になっているとは全く知りませんでした。泌尿器科に行ったこともありませんでした。それが台北観光の日にストップしてしまいました。トイレに行きたくなり通うのですが、まったく出ません。

 観光どころではありません、早く日本に帰りたいと願うばかりでした。同行のSさんも心配してくれましたが、どうすることもできませんでした。帰国して家の近くの病院に駆け込みましたが、もう少しで膀胱が破裂するところだったと言われました。4日間の日程だったら台北の病院のお世話になっていたところでした。その後手術してまた旅行に行けることになりました。

 2001年(平成13年)11月にはカンボジアのシェムリアップとアンコールワットに行きました。

 近畿ツーリストの「アンコールワット世界遺産紀行5日間」で、中国旅行以来の添乗員同行です。直行便がなくタイのバンコックで乗り換えてシェムリアップに行きました。

 シェムリアップはアジア最大の湖のトンレサップ湖のほとりにあります。11月はちょうど雨季が明けたころで、メコン川の水が流れ込む湖は乾期の3倍くらいに大きくなっていて、乾期3メートルの水深のところは15メートルにもなっていました。

 あこがれのアンコールワットは期待以上の素晴らしい遺跡でした。多くの観光客があふれていましたが、アメリカで同時多発テロの直後だったため、アメリカからの観光客はほとんどいませんでした。遺跡にはカンボジア内戦の痕跡が残っていました。テロと内戦を深く考える旅にもなりました。

 2002年(平成14年)2月、阪急交通社の「まるごとニュージーランド8日間」というパッケージツアーでニュージーランドに行きました。

 この時期南半球は夏、旅行のベストシーズンでした。Sさんとは最後の海外旅行となりましたが、その後は国内で一緒に山登りをしています。

 ニュージーランドは北半球と南半球の違いはありますが、緯度は日本の宗谷岬から関門海峡あたりまでの感じで、日本とよく似た気候で緑が多く、富士山と同じくらいの高さのマウントクックがそびえ、日本アルプスの代わりのサザンアルプスがあります。温泉も多いです。国土は日本の約72%くらいです。

 日本と違うのは、当時の人口が約390万人、代わりに羊が約4570万頭、牛が約890万頭、鹿が約170万頭となっていました。

 アジアの観光と違ってニュージーランド観光は自然の美しさを楽しむことでした。オプションで軽飛行機に乗りマウントクックの周りを飛びました。バスでの観光の途中、バンジージャンプができる橋に立ち寄りましたが、だれも希望者はいませんでした。

 この旅を最後にあとは妻と二人での海外旅行に変わりました。

| |

« 海外旅行の思い出-その6 3回の中国(NO.1546) | トップページ | 2021年日本10大ニュース(NO.1548) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 海外旅行の思い出-その6 3回の中国(NO.1546) | トップページ | 2021年日本10大ニュース(NO.1548) »