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2022年3月28日 (月)

手賀沼公園と遊歩道と親水公園のソメイヨシノは2~3分咲きから7~8分咲き(NO.1582)

 令和4年3月28日(月)、手賀沼公園と遊歩道と親水公園のソメイヨシノがどれくらい咲いているかを見に行ってきました。

 読売新聞の朝刊に上野公園の桜の満開の写真が載っていたので、地元の桜が気にかかったためです。昨年まではソメイヨシノの開花を捜し歩いたのですが、今年はそれほどのエネルギーがなくなってしまいました。いつ開花したかはわかりませんでした。

 手賀沼公園の中にはもともとソメイヨシノの木は少なく、駐車場からふれあいラインにかけての桜が見事ですが、今日はそこまでは足を延ばしませんでした。公園の桜です。

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 遊歩道は手賀沼の築堤工事が始まる前にかなり切り倒されました。以前の桜並木はその姿をところどころにとどめる程度になりました。その後植えられた木が育つまで大分時間がかかりそうです。遊歩道の桜です。

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 親水公園は桜の木がだいぶ大きくなりました。ただここの桜はちょっと遅めです。現在2~3分咲や5分咲きくらいの木が多いようです。この場所は3月25日から4月10日まで夜間ライトアップされることになっています。親水公園の桜です。

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2022年3月25日 (金)

プロ野球がコロナ以前の試合形式で開幕(NO.1581)

 令和4年3月25日、プロ野球公式戦が開幕します。

 昨年と同じくコロナ下ですが、観客の人数制限が撤廃され、延長戦は以前と同じ12回までとなります。おそらく球場ごとに感染対策は取られると思いますが、試合形式はコロナ以前と同じ状態となります。やっとプロ野球が戻ってきたと言ってもいいでしょう。野球ファンとしては「待ってました」と叫びたい気持ちです。

 昨年は、一昨年リーグ最下位だったヤクルトとオリックスがそれぞれのリーグで優勝しました。前代未聞のことでした。そんなこともあり、今年は全球団が優勝するつもりで戦うことと思います。

 先日のNHK BSの「スポーツ酒場 語り亭」で今年のプロ野球特集をやっていましたが、12人の野球評論家の順位予想はそれぞれ違っていました。どこが優勝してもおかしくない感じでした。

 昨年のプロ野球の話題のトップは、メジャー帰りの「田中将大」でしたが、今年は日本ハム新監督の「ビッグボス 新庄監督」です。MLBの大谷翔平選手が野球ファンの数を増やしたように、ビッグボス新庄監督が野球ファンの数を増やすことと思います。楽しみです。

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2022年3月23日 (水)

まん延防止措置が全面解除となった(1580)

 令和4年3月22日、18都道府県に適用されていた「まん延防止等重点措置」が全面解除となりました。

 まん延防止措置は1月9日から米軍基地近辺の沖縄、山口、広島の3県に適用されました。オミクロン株のコロナが米軍を通じて急速に広がったからです。1月21日からは13都県に、1月27日からは18道府県に適用され、全国34都道府県にまで広がりました。

 第6波は1日あたりの書き最大の感染者と死亡者を記録しました。

 その後、緩やかに感染拡大が収まってきて、3月3日には13県が解除され、22日に全面解除となったのです。

 飲食店の時間短縮、イベントの人数制限、移動の自粛はなくなりました。欧米と同様、ウイズコロナにかじを切ったわけです。

 ただ第5波が収まったときのように急速に感染者や死亡者が減ったわけではありません。感染者は1日当たり2万人台~3万人台、死亡者も1日あたり50人~150人と、第5波が収まったときの100倍くらいになっています。政府はおそらく重症者と医療関係のひっ迫度合い、経済への影響や海外での実績などを参考にして解除に踏み切ったのではないでしょうか。

 今後どうなるか、誰にもわからないと思いますが、コロナとプーチンの暴虐と自然災害だけは早く何とかしてほしいと願っています。

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2022年3月19日 (土)

約21年乗った車を廃車にした(NO.1579)

 2022年3月18日、20年と8か月乗った車を廃車にしました。軽自動車のホンダライフです。

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 私は昨年1月の84歳の誕生日に免許の更新をしませんでした。その後妻が運転していたのですが今年の誕生日の免許更新をやめることにしたため、廃車にすることにしたのです。

 購入したのは2001年7月13日です。20年8か月で走行距離は17030キロでした。

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 1年間の走行距離が平均約824キロ、月間では平均約69キロです。自家用車として極端に少ない走行距離だと思います。買い物、病院通い、趣味の会、人の送り迎えなどが主な用途で、通勤や旅行には使ったことがなかったためです。

 無事故で、スーパーで当て逃げされた小さな傷が残っていますが、エンジンは絶好調、バッテリーは昨年末に取り換えたばかりであと数年は乗れる車でしたが、残念ながら運転手のほうがガタが来た感じとなりました。

 廃車の方法は長男がネットで調べて、カーネクストに依頼してくれました。陸運局などへの廃車の手続きはカーネクストがやってくれ、15000円で売れることになりました。

 3月18日に引き取りにきてトラックで運んでいきました。私はもう2年以上運転はしていなかったのですが、運ばれていく車を見て寂しい気持ちになりました。

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2022年3月18日 (金)

また東日本に大地震(NO.1578)

 令和4年3月16日、いつものように午後10時半ころ眠りにつきましたが、大きな揺れで目が覚めました。時計を見ると11時半ころでした。慌ててテレビを付けると、東北地方に津波警報が出ていました。また東日本大震災の再来かと思いました。

 幸い津波の被害はなかったようですが、18日の新聞を見ると、福島県と宮城県を中心に被害が出ていました。震源地は福島県沖、マグニチュード7.4、震度6強、3人死亡、負傷者は200人以上でした。各地で停電と断水が発生、停電は首都圏にも及んでいました。

 東北新幹線が白石蔵王駅近くで16両が脱線、高架線の橋脚などにも破損個所が見つかり、復旧は4月以降とのことです。東北道や常磐道などにも亀裂が入っていました。

 今日3月18日からは東北地方は大雨、所によっては雪とのことです。大変つらいことでしょう。災害に遭われた方にはこころからお見舞い申し上げます。

 日本ではコロナに大地震、ウクライナではロシアが暴虐を繰り返しています。春を迎えようとしていますが心の痛む季節です。

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2022年3月15日 (火)

北京パラリンピックは平和の祭典ではなかった(NO.1577)

 2022年3月13日、北京パラリンピックが終わりました。

 パラリンピックが始まる直前に突如ロシアがウクライナに侵攻しました。ロシアとベラルーシの選手団が出場を拒否されるという異常事態の下でのパラリンピックでした。

 開催国の中国は新型コロナウィルス対策を徹底して大会を無事乗り切りましたが、大会期間中もロシア寄りの姿勢を変えることはありませんでした。

 開会式と閉会式でIPCのアンドルー・パーソンズ会長の英語のスピーチのうち、ウクライナ情勢を念頭に置いたとみられる発言を中国語に同時通訳しませんでした。「平和」、「平和の闘士」、「平和への希望」などを訳さなかったり、別の表現に変えたりしました。共産党の機関紙「人民日報」は、18個の金メダルを含む61個のメダルを獲得したことばかり書きたてました。ウクライナやロシアについての報道は控えていたようです。

 こんな中国が平和の祭典であるパラリンピックを開催する資格があったのでしょうか。習近平は将来もしかりに台湾に侵攻するとしたとき、プーチンを味方にするつもりとしか思えません。

 一方アスリートはよく頑張りました。ウクライナは中国に次ぐ29個のメダルを取りました。日本は前回の10個から減って7個でしたが、金は一つ増えて4個となりました。

 でも今回は国別のメダル数などはどうでもよいことです。1日も早くプーチンの暴挙が止まることを願うばかりです。

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2022年3月13日 (日)

国内旅行の思い出-その9 沖縄(NO.1576)

 沖縄には妻と観光旅行で3回行きました。

 1回目は1981年(昭和56年)4月、日本旅行の赤い風船の3泊4日のツアーに参加しました。44歳の時です。

 沖縄は1972年5月、アメリカの統治から日本に返還されました。戦後27年たっていました。1975年7月から1976年1月にかけては沖縄海洋博覧会が行われ、沖縄旅行が静かなブームとなっていました。この旅行は旅行会社のパッケージツアーを利用する私たちの初めての旅行でした。

 那覇の西武オリオンホテルに2泊、ムーンビーチのホテルに1泊しました。ひめゆりの塔、守礼の門(2019年火事で焼けた首里城はこの時はまだ建築されていない)、玉泉洞、植物園、ムーンビーチ、万座毛、海洋博記念公園(2002年ここに美ら海水族館ができる)などで撮った写真が残っています。

 ハブとマングースの戦いのショーを見た記憶もあります。米軍基地が街の中心部にありました。日本に返還後9年たっていましたが、まだ外国の町という雰囲気が残っていたように思います。空港では洋酒が安く買えたので、外国旅行に行った時の定番のお酒3本と外国たばこ10箱を買ってきたのを覚えています。

 2回目の沖縄は2005年(平成17年)10月、阪急交通社の「美しき八重山・宮古諸島9島めぐり4日間」でした。石垣島に1泊、宮古島に2泊しました。石垣島、西表島、由布島、竹富島、宮古島、池間島、来間島、伊良部島、下地島の9島を回りました。沖縄の海と砂浜の美しさ、緑の濃さ、花の鮮やかさなどに驚きを隠せませんでした。また夫婦で泡盛のおいしさにはまってしまい、帰宅してから宮古島の泡盛「菊之露」を1箱取り寄せました。

 3回目は2年後の2007年(平成19年)3月阪急交通社の「沖縄をゆっくりじっくり 沖縄で過ごす1週間」6泊7日のパックツアーでした。沖縄本島だけを7日をかけて回りました。

 沖縄本島は26年ぶりです。1回目に行った場所はすべて再訪しました。前回なかった美ら海水族館も首里城もゆっくり見物できました。前回ごみごみしていた国際通りは見違えるほどきれいになり、市内にはモノレールが開通していました。自由時間にはモノレールを端から端まで乗りつくしました。沖縄の城跡が世界遺産に登録されており、その城跡を7カ所回りました。高速道路が整備され本島南部から中部を結んでいました。

 沖縄はすっかり変わっていましたが、26年たっても変わらないものが1つだけありました。本島の中央部を占めている米軍基地です。普天間基地と嘉手納基地は沖縄の心臓部のようなところにあります。観光バスの通る道は鉄条網で囲まれた基地をぐるりと迂回するように作られていました。

 北海道から沖縄まで、9回に分けて急ぎ足で見てきましたが、書ききれなかったところや省略したところがいっぱいあります。

 日本国内、どこも楽しく、おいしいものの思い出がいっぱい残っています。

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2022年3月11日 (金)

手賀沼公園の河津桜がやっと咲いた(NO.1575)

 令和4年3月11日、春の暖かさにカメラをもって手賀沼公園に行きました。最近は歩くのがおっくうになったため自転車で散歩です。

 カワズザクラが咲いているだろうと思ったからです。手賀沼公園の片隅にカワズザクラの若木が15本くらい植えられています。予想通り咲いていました。

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 昨年は同じくらいの咲き具合のカワズザクラの写真を撮ったのが2月20日でしたから、今年は咲くのが20日くらい遅れた感じです。今年の2月が寒かったからだと思います。

 これからはあったかい日が続く予報です。4月並みの暖かさだそうです。おそらくソメイヨシノは昨年並みの時期に咲くのではないでしょうか。

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2022年3月 8日 (火)

国内旅行の思い出-その8 九州(NO.1574)

 九州旅行の思い出はあやふやなところから始まります。4歳か5歳のころ祖母に連れられて別府温泉の地獄めぐりをした記憶がかすかに残っています。血の池地獄、坊主地獄、海地獄などです。国民学校に上がる前で交通費がかからなかったため、祖母が何ヵ所か旅行に連れて行ってくれたようなのですが、なぜか山口県の秋芳洞で小舟に乗ったことと別府温泉の地獄めぐりだけが頭の片隅に残っています。子供心に強い印象を受けたためでしょうか。

 1960年(昭和35年)3月、大学を卒業して帰省するとき、一緒に下宿して同じ大学に通っていた同郷のS君と東京から九州経由で遠回りして愛媛県に帰りました。卒業旅行などどいう言葉はその当時はありませんでしたが、どうせ帰るなら最後の思い出にと寄り道をしたのです。九州までの車中1泊、旅館2泊、九州内での車中1泊の旅でした。長崎、熊本、鹿児島、桜島、阿蘇山を回って別府航路で松山に戻りました。4月からはまた東京で新しいサラリーマン生活が待っていました。

 ツアーで九州を回ったのは5度です。すべて妻が企画し二人で参加しました。

 最初は1991年(平成3年)5月、54歳の時でした。3泊4日で、平戸、九十九島、長崎、雲仙、島原、熊本、阿蘇、山並みハイウェイ、別府、国東半島など、宮崎県と鹿児島県を除く5県を旅しました。

 ショックを受けたのは1991年6月3日、私たちが宿泊した島原の近くの普賢岳が噴火し大火砕流が発生しました。島原の小涌園に泊まったのは5月15日でしたから、わずか19日後のことです。そのホテルは直接に被害はなかったようですが、もし同じ日だったらどうなっていたか、その後の旅は続けられなかったかもしれません。

 2年後の1993年には同じ近畿ツーリストのツアーで、宮崎県と鹿児島県の南九州を回りました。2泊3日の日程でした。

 一番印象に残ったのは指宿温泉の砂蒸し風呂と知覧の特攻平和会館でした。特攻平和会館で海に散った若い兵士たちが残して手紙を読んだとき、涙が出てきて仕方がありませんでした。

 3回目は2014年(平成26年)喜寿の歳に妻からプレゼントされた「九州6県をめぐるご夫婦旅4日間」のツアー旅行です。ツアー名に「往復のぞみ号グリーン車 別府温泉・湯布院温泉・雲仙温泉の5つ星の宿に宿泊」というサブタイトルがついていました。

 参加者は夫婦16組の32名、鹿児島県を除く観光名所を巡りました。熊本と長崎以外はそれまで行ったことのないところばかりで楽しい旅となりました。

 4回目は2016年(平成28年)4月、阪急交通社の「阪九フェリー新造船利用 煌めくハウステンボスと軍艦島・姫路城4日間」というツアーでした。久しぶりに航空機を利用しましたが、九州地方は低気圧で大荒れ、午前中の2便は欠航でした。私たちの便は幸い予定通り出発できました。

 翌日世界遺産の軍艦島を見物しました。軍艦島は港がないので波が高いと上陸できません。幸い波が収まり上陸できましたが、昔大勢の人出にぎわっていたところが見事に廃墟となっている光景は言葉になりませんでした。その後ハウステンボスに行き、昼間と夜のハウステンボスを楽しみました。イルミネーションが見事でした。

 3日目は古い門司港を見物し新門司港から大阪の泉大津まで夜行のフェリー旅でした。戦前から1960年代までは、九州の別府から大阪までは関西汽船の豪華客船の別府航路が全盛でした。私も何度か利用しました。ところがその後航空機や高速道路が交通の主流になり、別府航路は廃止となりました。今はフェリーがそれに代わっています。このツアーの目玉の1つはそのフェリーに乗ることだったようです。ただ夜17時30分新門司港発、朝6時泉大津着のため瀬戸内海の景観を楽しむことはできません。朝6時についても観光地はまだ見物できません。そのためわざわざ兵庫県の姫路城までバスで引返すことになっていたようです。姫路城は3度目でしたが、新装なった白鷺城と見事な桜を楽しむことができました。

 5度目は2017年4月、2泊3日の屋久島ツアーでした。この時も空の便でやきもきさせられました。羽田から鹿児島空港までは無事につきましたが、鹿児島地方は雨、屋久島行きの便は前の2便が欠航、私たちの便も飛ぶかどうか不明でした。このツアーも阪急交通社でしたが、添乗員はついていません。空港にも阪急交通社の人は誰もいませんでした。不安の中で待っているうち、やっと家内の携帯に阪急交通社から連絡が入り、飛ばなかったら鹿児島で宿泊ということがわかりました。時間になって飛ぶことがわかり、風雨の中屋久島空港に向かいました。

 屋久島は1993年、白神山地とともに日本で初めて世界自然遺産に登録されました。屋久杉を始め貴重な自然が残されています。雨が多いことでも有名です。縄文杉を見に行く時間はありませんでしたが、屋久島の自然の美しさをたっぷり楽しめた旅となりました。

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2022年3月 5日 (土)

北京パラリンピックが始まった(NO.1573)

 2022年3月4日第13回冬季北京パラリンピックの開会式が北京の「鳥の巣」スタジアムで行われました。

 ロシアがウクライナに侵攻する中でのパラリンピックとあって、ロシアとベラルーシの選手の出場は認められないという異常事態での開幕となりました。一旦個人での参加ということで出場が許されていたのですが、他国の選手団からの激しい抗議にあって取り消しとなりました。

 北京大会は今月13日まで46の国と地域から約600人が参加して、6競技78種目で争われます。

 日本からは4競技に29人の選手が出場します。前回の平昌オリンピックでは5競技に38人が出場したので今回のほうが少なくなりました。

 日本は平昌パラリンピックでは金3個を含む10個のメダルを取っています。ソチパラリンピックは20名参加で金3個を含む6個のメダルを取っています。パラリンピックでは、オリンピックで全く活躍する選手がいなかった、アルペンスキーや距離競技にメダル候補が並んでいます。ただ若手が少ないのが不安です。今回はどうなるのでしょうか。

 ちなみにロシアは自国で開催されたソチ大会で金30個を含む80個のメダルを取りました。そこでドーピングが発覚、平昌大会ではロシアではなくNPAとして参加、24個のメダルに減りました。

 ベラルーシは平昌大会では12個のメダルを取っています。併せて36個のメダルが今回は他国にわたります。両国の選手に責任はありませんが、プーチンの暴挙がこんなところにも影響しています。

 メダルのことばかり書いてきましたが、メダルに関係なく選手たちの活躍を楽しみにしています。

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2022年3月 4日 (金)

コロナのまんえん防止措置の18都道府県での延長、13県での解除が決まる(NO.1572)

 令和4年3月3日、現在31都道府県で実施されているまんえん防止措置が、21都道府県では延長され、13県では解除されることが決まりました。

 延長期間は3月6日から3月21日までです。解除されるのは福島、新潟、長野、三重、和歌山、岡山、広島、高知、福岡、佐賀、長崎、宮崎、鹿児島の13県です。

 延長される18都道府県は、新規感染者が高止まりしています。

 第6波の特徴は、オミクロン株は重症化しないと言われたにもかかわらず死者が多いということです。日本国内では2月22日の322名を最多として2月7日以降3桁の死者を出しています。東京都では3月2日の31名を最多として2月14日以降2桁の死者、我が家のある千葉県でも2月23日の25名を最多として、2月14日以降18日間で16日間も2桁の死亡者を出しています。

 政府や各自治体も、3回目のワクチンを打つことしか、打つ手がない感じのようです。

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2022年3月 1日 (火)

コロナの日本の感染者の累計が500万人を超えた(NO.1571)

 2022年2月28日、コロナの日本の感染者が51,346人出て、感染者の累計が5,031,077人となって500万人を超えました。

 感染者は人口割にすると100人に4人の割合になります。今日本の1日あたりの感染者は高止まりしています。

 28日の感染者を調べてみました。主要国で今一番多かったのは韓国で約14万人です。その次はロシアで、日本は3番目でした。

 累計7894万のアメリカ、4292万のインド、2878万のブラジル、2286万のフランス、1894万のイギリスの1日の感染者より日本が多くなっています。

 マスクをして、3密を避け、感染対策をやっている日本が、上記ワースト5国より多いのはなぜかわかりません。ワースト5国には規制をやめた国もあります。

 私の勝手な判断ですが、ある程度まで感染者の割合が多くなるまで増えるのは仕方がないのかもしれません。

 記録のためだけのブログになってしまいました。

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