国内旅行の思い出-その10 万国博覧会(NO.1585)
万国博覧会の思い出はまず1970年(昭和45年)に初めて日本で開催された大阪万博です。
77か国が参加し、6400万人を超える入場者がありました。私が33歳の時です。妻と2歳の長女とともに見に行きました。妹一家が京都の山科に住んでいたので、そこに泊まって大阪の千里丘陵の会場に通いました。
大阪万博は1964年の東京オリンピックに次ぐ国民的行事として日本国中が沸き返りました。三波春夫が歌った万博音頭は今でも忘れられません。万博会場には岡本太郎がデザインした太陽の塔が聳え、中央のお祭り広場では連日多彩なイベントが開催されました。
各国や有名企業のパビリオンが立ち並び、入場するのに何時間も待たされることがありました。私たちは2歳の子供連れだったため、待ち時間の長いパビリオンは避けて見て回ったのを覚えています。
次に開催された万国博は1975年の沖縄海洋博です。そのころは仙台に赴任していました。遠くて行けませんでしたが、1981年に沖縄旅行をしたとき、海洋博公園を訪ねています。
1985年(昭和60年)には茨城県の筑波でつくば科学万博が行われました。そのころは千葉県我孫子市に戻っていたので、同じ常磐線のつくば万博は気軽に行くことができました。
余談ですが、つくば万博のおかげで常磐自動車道の未開通区間だった三郷ICー柏ICが開通し、東京方面まで常磐自動車道で行けることになりました。
つくば科学万博は家族や一人などで6か月の間に合計6回通いました。車で行ったり常磐線で行ったりしています。万博期間中は牛久駅と荒川沖駅(いまはひたち野うしく駅)間に万博中央駅が開設され、スーパーシャトルが走りました。
大阪万博と違ったハイテクを使ったショーや展示があったのを覚えています。
1990年(平成2年)5月には大阪花博(国際花と緑の博覧会)に妻と行きました。花博だけに、きれいな花、珍しい花や植物を見ることができました。
なお大阪花博はつくば科学博とともに特別博で大阪万博の一般博とは区別されています。
2005年(平成17年)8月には愛知万博(愛・地球博)に妻と行きました。万博では初めてクラブツーリズムのパッケージツアーを利用しました。
会場は愛知県の長久手市と瀬戸市にありました。1泊2日のツアーだったので長久手会場だけ回ったように思います。愛知万博は大阪万博と同じ一般博でしたが、大阪万博に比べると規模も国やマスコミの取り上げ方も控えめで入場者は2200万人くらいでした。時間が限られていたため、待ち時間の長いパビリオンは避けてできるだけ数多く回るようにしました。
3年後の2025年には2回目の大阪万博がありますが、その時は88歳、もう自分の足で回るのは無理なようです。もし運よく見られればテレビで楽しみたいと思っています。
国内旅行の思い出はこれで終わりです。海外旅行を含め、旅行は存分に楽しめたと思っています。ほとんどが妻の企画で一緒に楽しみました。妻には感謝感謝です。
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