民謡の思い出-その2 民謡大会(NO.1603)
1989年(平成元年)3月に民謡の愛友会入会して民謡を習い始めましたが、準備もそこそこ、その年の8月7日我孫子市の「民謡民舞大会」で初舞台に立つことになりました。
この大会は2年に1度、我孫子市民謡連合会と我孫子市舞踊連盟の主催で我孫子市の市民会館で行われた大会です。愛友会の舞台衣装は元愛友会員から譲り受けました。「日向木挽き唄」をテープを聞いて練習し何とか唄えましたが、緊張のしっぱなしだったのを覚えています。
愛友会が出演する民謡大会は私が入会した当時は、この大会以外に毎年4月の「民謡舞踊鑑賞会」と秋の「民謡文化祭」がありました。何年か後に愛友会が郷土民謡協会に加入してからは、7月の「茨城西南地区連合大会」と10月の「郷土民謡全国大会」に参加することになりました。
鑑賞会はある程度の経験者でレベルの高い人が出演する大会です。私が出演したのは平成も後半になってからでした。
民謡文化祭は我孫子市の文化祭のイベントの1つとして毎年開催されました。
郷土民謡全国大会は武道館で毎年秋に3日間の日程で開催されました。参加者は全国からやってきました。年齢を区切って誰でも出られる番組と全国の地区大会を勝ち抜いてきた人が出られる番組に分かれていました。全国大会で優勝するとプロになるチャンスもありました。なお有名なプロが唄うコーナーもありました。
誰でも出られるプログラムは愛友会は1名と決められていました。愛友会からの出演者は順番に出演するように決まっていて、私は1997年(平成9年)に北海道民謡「たら釣り節」を唄いました。すべてコンクールになっており結果は後ろのほうでした。
郷土民謡協会の正会員は会費と大会のプログラム代が高いため、愛友会は途中から正会員を脱退して準会員に変更しました。武道館出演は唄う楽しみより、プレッシャーのほうが大きく出演希望者が減ったこともありました。おかげで会費は安くなり武道館出演もなくなりました。
準会員が参加するのは茨城県水海道市の西南地区大会だけになりました。この大会も2017年(平成29年)の大会を最後に郷土民謡協会を脱退することになりました。
1年に何回も大会があるので、会員は年にどれかの大会で1回は唄っていました。私は最初のころはいろいろ曲目を変えて唄っていましたが、最後の10年くらいは舞台で唄う曲を決めました。間違えることもなく、唄うほうも伴奏者も楽だからです。青森県の民謡「十三の砂山」が十八番になりました。
愛友会では節目節目に記念大会を開催しました。私が愛友会に入会した後、1990年に15周年、1995年に20周年、2001年に25周年、30周年はなく、2010年に35周年、2016年に40周年の記念大会を愛友会主催で開催しました。
愛友会員の紀楊美先生が紀楊美会を立ち上げてからはおさらい会か発表会が毎年ありました。愛友会も全面的に参加しました。
また時々ボランティアで介護施設を回りました。デイサービスの行事の1つになっていて、1時間くらいみんなの知っているような民謡を唄いました。遠いところでは野田市のほうに足を延ばしたこともあります。
民謡大会の終わった日、通常打ち上げがありました。そこで唄うのはカラオケです。皆さん民謡で鍛えているだけに名人ぞろいでした。打ち上げが一番の楽しみだったかもしれません。
私が愛友会をやめた時と期を同じくしてコロナ渦が始まりました。その後は民謡大会は一度も開かれていません。早く再開されて皆さんと再会したいと望んでいます。
それはさておき、平成の時代は民謡と共に歩んだ30年間でした。
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