50歳台からいろいろな会に加入しました。ほとんどは退職後の60歳台から70歳台です。すべては覚えていないので一部省略しますが、記録の残っている会についてまとめてみます。
一番楽しんだのは「あけぼの会」です。あけぼの会は柏在住の家田さんご夫妻が立ち上げた高齢者の会です。会員は私より年長の女性が多数を占めていました。
この会に初めて参加したのはのは2001年64歳の時でした。あけぼの会は新年会、忘年会、年1回の1泊旅行、年数回の日帰りバス旅行、K監督による映画会、歌舞伎見物、能楽鑑賞、文楽鑑賞、落語見物、ソプラノショー、講演会などを組み合わせて年間11回ほどのイベントがありました。
1泊旅行やバスハイクでは、私にとって初めての場所が多く家田会長のこだわりが楽しく感じられました。企画、運営は家田会長おひとりで考えられ、奥様がサポートをされていました。家田さんは9歳年上だったので途中から私とKさんが運営を手伝いまた。
会長と会員が高齢となりだんだんイベントが減ってきて、最後は2019年1月のソプラノライブショーでおしまいとなりました。入会後、創立15周年と20周年の記念文集の編集を担当したのもいい思い出になっています。
2番目に多くかかわったのが「東京都中推協」です。この会は東京都が主催する「中高年勤労者福祉推進員講座」を卒業した人が任意で加入する会です。私はアコム在職中の1994年57歳の時にこの講座を受けています。
中推協には1996年1月の新年会から参加することになりました。この会もいろいろな企画がありました。途中理事となったので理事会や懇親会などが多かったのですが、都内の各所や箱根、湯河原などにも足を延ばしました。
ビール工場見学、高野山参拝や、ふるさと丸ごとの企画で山梨県豊富村、長野県望月町、新潟県安塚町、佐渡などにも行きました。七福神巡りやご府内88カ所巡りなども楽しみました。都内に四国88カ所に該当するお寺があることを初めて知りました。2014年の神田川のお花見を最後に中推協を退会しています。
社会保険労務士の資格を取るため、日本ライセンスセンターという資格学校に通いました。資格を取った卒業生が集まる会が「JLC社労士会」です。
1994年57歳の時この会に加入しました。この会は懇親会と勉強会と情報交換会が主な目的でした。富士市や名古屋や京都でも観光と情報交換を兼ねた懇親会を持っています。社会保険労務士の開業をあきらめたので2002年ころにこの会を退会しました。
2004年2月、2年間学んだ千葉県生涯大学を卒業しました。この生涯大学が縁となって4つの会に参加しました。
「生涯大学歩こう会」は在校生と卒業生合同の会でした。10回近く参加しましたが、参加人員が大勢になることが多く、200人以上がぞろぞろ歩くこともありました。イメージが合わないので卒業の翌年には参加するのをやめました。
福祉25期A組の同期の卒業生だけの会が「七曜会」です。2004年に始まり、10年たった2014年に活動をやめました。1泊旅行やバスハイクや観劇や見学会やお花見などを企画しました。幹事は1年交代、私も1年やることになりました。
親友のKさんに誘われて72歳の時加入したのが「ゆうあい倶楽部」です。生涯大学の卒業生を中心にグラウンドゴルフを楽しむ会です。
私は1987年50歳の時バイク運転中転んで鎖骨を粉砕骨折した以後ゴルフはやめていました。グラウンドゴルフもゴルフはやめたからと最初は断っていたのですが、始めてみるとゴルフと違って力も要らず、手軽で面白い競技でした。女性が多く、しかも強いということが理解できました。
柏の公園がホームグラウンドでしたが、遠くのグラウンドまで車で行ったり、泊りがけで楽しんだりしました。しかし2012年75歳の時、突然体調を崩して背中や腰が痛くなり、グラウンドゴルフをやめざるを得なくなりました。ゆうあい倶楽部は一番辞めたくなかった会でした。
生涯大学に縁のある4つ目の会は「わいわい楽友会」です。ゆうあい倶楽部をやめる少し前に「わいわい楽友会」で、飛鳥山公園や真鶴半島に行った記録があります。この会は珍しいところに行ってウォーキングと食べることと飲むことを楽しむ会でした。メンバーはゆうあい倶楽部とダブっている人たちがいました。私は足と胃は大丈夫だったので参加できたのでした。
2012年4月から2015年12月の最終回までの間に10回ウォーキングやクルーズを楽しみました。
1999年(62歳)から2002年(65歳)までかかわったのが「日本中高年生きがいづくり協会」です。なぜこの会に入ったのかは記録も記憶もありません。
JALの退職者数人が中心メンバーとなって発足した会です。会長は我孫子在住者でした。最初の会合で配布された資料が素晴らしかったのを覚えています。主に都内で集まりましたが、長野県の木島平や熱海などでも会合を持ちました。参加者で生きがいづくりの目標や方法を話し合いましたが、結局成果の出ないうちに会も自然消滅した感じでした。
我孫子の会は2つです。
2004年(67歳)から2005年(68歳)までかかわっていたのが「アビコ・インターネット・ミュージアム(AIM)」という会です。これも参加した動機やきっかけは記憶にありません。10回くらい集まりました。我孫子市主催の福祉のイベントに参加したり、我孫子の美しさを示す資料を作ったりした覚えがありますが、会長が病気で亡くなったため会も消滅しました。
いま私が所属しているのは「若松ふれあい会」ただ1つです。
若松ふれあい会は2004年に、当時多発していた空き巣や侵入盗を予防するため若松第2自治会の有志8人が結成した防犯の会です。我が家も2001年12月に侵入盗に入られていました。ふれあい会の活動は週1回の防犯パトロールと警察の担当者による防犯ミーティングをタイムリーに開くことでした。
若松ふれあい会はその後自治会役員の会への加入や有志の加入が増え、一時は20人以上にメンバーが増加しました。防犯パトロールも週3回になり、我孫子第一小学校の週3回の下校見守りの活動を始めました。
あれから18年、会員の高齢化と新規参加者がなくなったことで会員は数名になってしまいました。ふれあい会のパトロールは週1回、下校見守りは週2回になりました。防犯パトロールはふれあい会から自治会へと役割が変わってきています。
私は体調不良でパトロールは中止、週1回の下校見守りだけやっています。
ここ30年間、自分でもあきれるほどいろいろな会に参加しました。民謡の愛友会はじめ楽しかった会ばかりでした。もう新たに会に入ることはありません。思い出しては楽しみにふけるばかりです。
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