手術、入院の思い出(NO.1615)
初めて入院し、手術を経験したのは1987年(昭和62年)8月、50歳の時でした。
バイクに乗っていて強風にあおられバランスを崩して転倒したのです。ヘルメットをかぶっていたので頭は大丈夫でしたが、右肩をしたたか打ちました。近くの方が救急車を呼んでくれて、我孫子外科に運ばれました。診断の結果、鎖骨の粉砕骨折でした。
入院3日後に手術、入院は1か月に及びました。ちょっとした不注意で家族や会社に大迷惑をかけることになってしまいました。妻は最初の1週間は1日に3回来てくれました。その後回数は減りましたが最後まで来てくれました。退院後もリハビリのためかなり長い間通院していたのを記憶しています。
2度目の入院と手術は2001年4月前立腺肥大の手術のためでした。4月16日、2泊3日のツアーで友人と2人で台湾に行きました。2日目の夜までは楽しく旅行を続けていたのですが、2日目の夜台北のホテルでビールをしたたか飲んでから、排尿の出が悪くなったのです。
翌日の台北市内観光は観光どころでなくトイレ通いの連続でした。やっとの思いで帰国し苦しい1夜を過ごした後、翌朝車で近くの東邦病院に連れて行ってもらいました。泌尿器科の先生から「なぜもっと早く来なかったの。膀胱が破裂したら大変だったよ」と言われました。1600CCもたまっていました。「前立腺肥大症」でした。それまでは小水の出が悪いなと感じながら無視していたのです。2週間ほどの入院手術でした。
3度目の手術は心臓の冠動脈にステントを入れる「経皮的冠動脈形成術(PCI)」でした。2004年12月、近くの医院で我孫子市の健康診断を受けました。その時心電図に異常が出たため、翌年1月松戸市の新東京病院でカテーテル検査などの精密検査を受けました。そこで冠動脈の狭窄が見つかったためステントを入れることになったのです。
手術そのものは数日の入院で済みましたが、その前後のカテーテル検査にも1日の入院が必要で、定期的な検査も含めると何回か入院しました。昨年まで検査と薬を処方してもらうため3か月に1回通っていましたが、通院がしんどくなったため今は近くのホームドクターで薬だけもらっています。
4回目の手術は眼の白内障の手術でした。柏の柏眼科で受けました。これは1日で終わるので入院は不要です。2009年5月にまず悪い方の左目の手術を受けました。翌日右目の手術もすればよかったのですが、右目は比較的よく見えていたのでそのままにしておきました。ところが左目と右目でみえる色が違うのです。手術していない右目の色はくすんで見えます。
そこで翌20010年2月に右目の手術を受けることになりました。その時連続してやっていればよかったと後悔しました。理由は連続して手術すれば、両目で効果が実感できる、通院や目薬を入れる手間が1度で済む、メガネの変更が1度で済む、からです。手術すると裸眼の視力がよくなり眼鏡を作り直す必要がありますが、連続してやれば1度だけ作り直せばいいのです。
4回目から6回目までの入院は手術なしの入院となりました。2016年10月8日の深夜2時にトイレに行ったら、突然おしりから大量の出血がありました。痛みはありません。便意があったのでトイレに駆け込んだのです。それが朝まで何度も続きました。妻と相談して救急車を呼びました。近くの名戸ヶ谷我孫子病院に運ばれました。その日の夕方我孫子駅の階段で転びました。てっきりそれが原因と思っていたのですが、病院の診断は大腸憩室出血で転んだのとは関係ないと言われました。高齢化で大腸の中に憩室ができ、憩室の中にたまった内容物が固くなって周囲の血管を傷つけて出血したとのことでした。
そのまま入院で、食事は絶食、出血止めと栄養補給の点滴が続きました。出血が止まると1分がゆから始まり、100%のおかゆになると退院できます。11日目に退院となりました。
それから2年後の2018年10月、日中にトイレで出血しました。前回の経験があるので2度目の大腸憩室出血というのがわかりました。妻に名戸ヶ谷我孫子病院に連れて行ってもらいました。前回とほぼ同じことの繰り返しとなりました。入院日数が2日伸びて13日目の退院となりました。直後に吉野熊野のツアーを計画していたのですが、キャンセルせざるを得なくなりました。血液サラサラの薬バイアスピリンを新東京病院でもらうのをやめました。少しでも出血のリスクを減らすためでした。
ところが半年後の2019年3月、同じ病気で3度目の入院となりました。退院したのは14日目でした。その時決めたことは、宿泊を伴う旅行はやめるということです。この病気は何の前兆もなくある日突然出血が始まるのです。もし旅行中に発病したら周りにえらい迷惑をかけることになります。もう外泊はできないと実感しました。
その後何か月か後に軽い出血がありましたが、絶食と病院でいただいていた出血止めの薬で入院は免れました。
2020年7月、喉頭白板症のため5回目の手術と7回目の入院をすることになりました。2019年暮れから声を出すのが苦しくなったのです。名戸ヶ谷我孫子病院やがんセンターでいろいろ検査した結果、喉頭白板症と診断されました。がんが見つからなかったため、慈恵医大病院で手術をすることになりました。
ところが2020年3月ころからコロナがはやり始め、緊急の手術以外は延期となりました。その結果7月まで待たされやっと手術ができました。そして昨年8月に全快したのです。一時は声が出なくなりましたが、今はほぼ元に戻りました。
いま85歳と6か月なので、これから何の病気になるかわかりませんが、もう手術は受けたくなく、入院するにしてもできれば最後の1度だけにしたいと願っています。
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