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2022年8月 4日 (木)

情報発信の思い出-その2 手賀沼通信(NO.1621)

 1998年(平成10年)4月、「手賀沼通信」を創刊、その第1号を、電子メールで10数名、郵送で60数名の方にお送りしました。

 第1号に「手賀沼通信事始め」として発刊の趣旨を述べています。その内容を要約してみましょう。

 「私はこの3月31日に61歳でサラリーマンを退職しました。3つの会社で合計38年間の会社人間でした。そして次にやることはまだ決まっていません。『何もしないとボケるよ』とよく言われます。そこで『ボケ防止に情報発信を』と考え付いたのが新聞発行でした。情報発信をすれば情報収集にもつながり、次にやることのきっかけもつかめるのではないかと思って始めた次第です。

 高知県須崎市に「土佐一人新聞」を発行されているMさんという方がおられます。この方は会社の役員でしたが、奥様と二人で風光明媚な須崎市に移住し農業を始めました。米とミカンと野菜を作り、家畜を飼い、はちみつを生産しながら、月1回の新聞を発行しています。私は2年ほど前からこの新聞を送ってもらっており、時間ができたら自分も一人新聞を作ってみようと思っていました。

 私は5年前に社会保険労務士の資格を取りました。その勉強の際に年金など高齢者の抱える問題を知ることができました。そこで手賀沼通信のテーマを『高齢者の豊かな生活のために』と決め、そのためにいろいろな情報を提供することにしました。

 『手賀沼通信』は老後のことを考える材料やヒントを提供させていただくつもりです。本や雑誌からの一般論でなく、自分の体験や取材を通して生の内容が出せればと思っています。また地域との接点も探ってみたいと思っています」

 手賀沼通信は最初はB5版4ページ、字の大きさ9ポイント、ページごとに縁取りをして毎月20日発行にしていました。その後読者の方からのご意見で、A4版の4ページ、字の大きさを読みやすい11ポイント、縁取りをなくし、毎月1日の発行に変更しました。それは今も変わっていません。

 発行部数も自分の交友範囲が広がるとともに増えていきました。読者の方から、自分の友人や知人への配布依頼もありました。

 大きかったのは読者のおひとりが読売新聞の千葉版「ほのぼのタウン」(今はこの欄はありません)のタウンレポータでしたので、「一人新聞が創刊6年、毎月発行、高齢者の生活がテーマ」として「手賀沼通信」を紹介してくれたことです。メールやFAXや電話で大勢の送付依頼がありました。

 最盛期にはメール添付と郵送と手渡しを合わせると400人以上の方にお送りしました。いまは手渡し3名、郵送16名、メール添付200名くらいに減りました。高齢化で、亡くなった方、パソコンをやめた方、原因不明で届かなくなった方などのためです。

 手賀沼通信への寄稿も多くの方から頂きました。寄稿文だけで紙面が埋まってしまうことも多々ありました。ところが最近は寄稿くださる方が少なくなりました。調べてみると、過去寄稿された方の11名の方がお亡くなりになりました。17名の方が消息不明となっています。

 手賀沼通信の内容も、私の行動範囲が極端に狭まったため、決まったものしか載せられなくなりました。旅行記などは数年前に書けなくなりました。

 創刊以来24年が過ぎ25年目に入っています。いつまで書けるかわかりませんが、ただ書ける内は何とか手賀沼通信の発行を続けていきたいと思っています。

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