情報発信の思い出-その3 手賀沼通信ブログ(NO.1622)
2006年(平成18年)8月4日手賀沼通信ブログを書き始めました。
情報発信の思い出-その2にも書きましたが、1998年に一人新聞の手賀沼通信を出し始めました。それが8年後の2006年7月に100号を迎えたのを機にブログを書いてみようと思い立ったのです。
手賀沼通信は月1回の発行です。タイムリーに記事を書けないことがあります。また紙面がA4版の4ページだてです。ページに制限があるため十分意を尽くして書ききれないことがあります。また逆に4ページを埋めるのがしんどい時もありました。
そこで好きな時に好きな長さで書けるブログが気に入ったのです。
情報発信の思い出-その1でホームページのことを書きましたが、その際に使うホームページビルダーにブログ作成の機能があり、そこに利用可能なプロバイダーが載っていました。そこで以前利用していたプロバイダーのNIFTYを選びました。なじみがあったのと、大人の雰囲気が感じられたからです。他のプロバイダーは若者向きという感じでした。無料で2000MBまで利用ができ、ホームページビルダーに頼らず直接書き込をすることにしました。
使い始めてみると写真のサイズが小さくしか載せられず、しかもぼやけることがわかりました。写真をクリックすると鮮明で大きな写真が見られるのですが、読者がいちいち写真をクリックする手間が必要でした。写真を載せたときは「写真はクリックすると大きくきれいに見られます」というコメントを入れざるを得ませんでした。この欠点は2010年2月にやっと改良されてまともになりました。
ただ気に食わないことが1つあります。いつからそうなったか定かではないのですが、ブログに入る広告がアダルトなものがほとんどになり、ブログにそぐわないのです。もしかしたらNIFTYの管理者が変わったのかもしれません。
ブログは現在16年間で1622回、月平均で8.4回くらい書いたことになります。アクセス数の総計は24万9600回、1日平均42.8回となっています。有名人のブログや生活に有益なブログには比べものになりませんが、それでも毎日40人に近い方が見てくださっていると思うと感激です。
16年間には内容が随分変わりました。一番多かった旅行やウォーキングやバスハイクなどの記事がなくなりました。仲間と一緒に楽しんだ記事もなくなりました。以前は好奇心が旺盛だったため、身の回りの些細なことも書いていました。いろいろなところに出かけて、自然の美しさや季節の移り変わりの写真なども載せました。我孫子市の小さな事件も書きました。
ところがコロナの世になって以来、コロナの記事が多くなりました。同時に足も弱ってきて出かけられなくなり、出かけた先の記事もなくなりました。寂しく思っています。
ここまで思い出シリーズをいろいろなテーマで取り上げ思い出をつづってきましたが、これで終わりにしたいと思います。お付き合いありがとうございました。お読みくださった方に感謝感謝です。
| 固定リンク
コメント