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2024年1月29日 (月)

大相撲初場所では常磐線に縁のある2力士が活躍した(NO.1780)

 2023年1月28日に終了した初場所は横綱照ノ富士と関脇琴ノ若が優勝決定戦を戦い、照ノ富士が勝って9回目の優勝を果たしました。4場所ぶりの出場でしたが、力強さは抜群でした。

 私はこの場所二人の力士を応援していました。琴ノ若と大の里です。2人とも我孫子駅がある常磐線と縁があります。

 琴ノ若は千葉県松戸市出身、所属する佐渡ヶ嶽部屋も松戸市内にあります。母方の祖父は横綱琴桜、部屋の師匠は父で元関脇琴ノ若です。今場所の大活躍で技能賞を受賞、大関に昇進することが確実となりました。

 大の里は石川県津幡町出身ですが、所属する二所ノ関部屋が茨城県阿見町にあります。常磐線の「ひたちのうしく駅」の近くです。師匠の元横綱稀勢の里は出身地の近くに部屋を構えました。大の里は現二所ノ関部屋の初めての幕内力士です。新入幕で11勝4敗、敢闘賞を受賞しました。敗れましたが新入幕で1横綱2大関と対戦しました。

 2人の将来性のある力士を今後とも応援していくつもりです。

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2024年1月26日 (金)

あの時あの場所この1枚-7 黒部宇奈月キャニオンルート(NO.1779)

 2023年1月13日と20日の2回にわたって、NHKの総合テレビ番組のブラタモリで「絶景!黒部峡谷~黒部の絶景は電源開発の軌跡にあり?~」が放送されました。今年6月に利用可能になる「黒部宇奈月キャニオンルート」を前もってたどる番組でした。

 富山県側から黒部ダムに行くには室堂を経由する立山黒部アルペンルートがあります。このルートは1972年に開通し、国際的に有名で大勢の観光旅行客でにぎわっています。

 黒部ダムは1963年に完成しました。室堂までは以前から鉄道、ケーブルカー、高原バスを乗り継いで行くことができましたが、室堂から黒部ダムまでは山の装備で歩いて下る必要がありました。私は1963年に三井生命のハイキング部で立山に登った際、黒部ダムを経由して帰っています。2013年8月には観光旅行で黒部アルペンルートで黒部ダムを再訪しました。

 今年の6月からはアルペンルートのほかに、「黒部宇奈月キャニオンルート」が開通するのです。ルートの説明文に「人跡未踏の黒部峡谷の奥地。その美しく雄大な自然を守るため、地底に作られた多様な電源施設や設備。当時の人類の英知を結集した電源開発の軌跡が目の前に迫る」とあります。

 キャニオンルートは黒部峡谷鉄道の宇奈月駅から始まります。有名な黒部峡谷トロッコ電車です。

 トロッコ電車には2013年7月1日ツアーで妻と2人で乗りました。それがこの1枚です。

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 終点は欅平ですが、ツアーは1つ手前の鐘釣駅で降りて周囲を散策後引き返しました。

 キャニオンルートはトロッコ電車で欅平まで行き、そこから新しく利用可能となった関西電力専用だったいろいろな乗り物を利用します。竪坑エレベーター、蓄電池機関車、インクライン、黒部トンネル内バスなどです。

 途中の見どころに、高熱隧道、千人谷、黒部第四発電所、展望台2カ所などがあります。黒部ダムが最高の見どころです。

 そのあとはおそらくアルペンルートに合流して長野県の扇沢に出ることになるでしょう。

 私も70歳代だったら必ずキャニオンルートを利用したことでしょう。今はテレビで満足しています。

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2024年1月23日 (火)

どん亭手賀沼店が閉店した(NO.1778)

 2024年1月23日しゃぶしゃぶのどん亭手賀沼店が閉店しました。

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 どん亭は我が家から徒歩7~8分の手賀大橋のたもとにあり、我々夫婦と長女一家、長男一家の9人でよく利用していました。10人くらいの和風個室を予約し、元日の夜や孫たちのいろいろなお祝いの日に集まってしゃぶしゃぶをいただきました。

 近所の重宝していたお店がなくなったのはショックです。コロナの時は利用客が減っていたようですが、コロナが収まった後集まったときは結構にぎわっているなと感じました。何があったのでしょうか。

 この場所は以前は回転ずし、海鮮料理店などがありましたが、どん亭に変わってから結構続いていました。クルマでのアクセスにはよい場所と思いますのでおそらく新しいお店ができるでしょう。楽しみでもあります。

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2024年1月21日 (日)

日本の月探査機が月面着陸に成功した(NO.1777)

 2023年1月20日、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の月探査機「SLIM」が日本の無人探査機として初めて月面着陸に成功しました。旧ソ連、アメリカ、中国、インドに次いで5か国目となる快挙です。

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 SLIMは世界で最も精密な誤差100メートル以内の「ピンポイント着陸」に挑戦しました。成否はデータ解析を経て約1か月に明らかになります。

 ただ残念なことに着地の段階で太陽電池が太陽の方向に向かなくなり機能しなくなりました。太陽の向きが変わって太陽電池が復旧する可能性もありますが、発電ができないと予定していた岩石の組成の分析ができません。

 JAXA宇宙科学研究所の国中所長は記者会見で「ぎりぎり合格の60点とさせていただきたい」と話していました。

 今、月面開発は各国の競争の場になっています。鉱物資源や水を求めてしのぎを削っていると言われています。地球上ではいろいろな紛争が起こっていますが、紛争を月に持ち込まないようにしてほしいものです。

 

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2024年1月19日 (金)

「人口ビジョン2100」を読んだ(NO.1776)

 2023年1月10日の読売新聞に「人口戦略会議」が人口減少を食い止めるための提言「人口ビジョン2100」を発表した。2100年の日本の目指すべき姿として「安定的で、成長力のある8000万人国家」を掲げた、という記事が出ていました。

 そこで早速ネットで「人口ビジョン2100」検索しパソコンで印刷して読んでみました。

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 私は以前から日本の人口減少問題を憂慮しブログでも何度か取り上げてきました。この提言は、人口問題を真正面にとらえて、ある程度の具体性を持った、今までにない内容のある提言だと感じました。

 「人口戦略会議」は日本製鉄の三村明夫名誉会長を議長として、経済界、労働界、学識者、地方自治体などの有志28名のメンバーです。昨年7月に設置され、来年6月までの2年間の活動が予定されています。

 女性が4名しか含まれておらず、農林水産業や物流関係などの参加者が入っていないのがちょっと気がかりですが、議論が進むにつれて変わっていくのかもしれません。

 以下は提言の一部です。

 日本はついに本格的な「人口減少時代」に突入しました。現在1億2400万人の総人口はこのまま推移すると年間100万人のペースで減っていき、76年後の2100年には6300万人に半減すると推計されます。高齢化率は40%の老人国になります。

 提言では2100年までに安定的で成長力のある8000万人の水準を目指しています。

 そのためには2022年に1.26まで低下した出生率(合計特殊出生率=1人の女性が産む子供の数)を人口が減らない2.07まで引き上げる必要があります。

 提言は「定常化戦略」と「強靭化戦略」の2つを示しています。また、人口減少という未曽有の事態に対して、総合的、長期的な視点から議論を行い、国民全体で意識を共有し、官民挙げて取り組むための「国家ビジョン」が最も必要と提言しています。

 人口減少の原因を分析して、取るべき対策の内容とそれを担う対象者などを大まかに述べていますが、ここでは長くなるので説明は省略します。詳細はパソコンやスマホで見ることができます。

 提言の最後には「本提言は中間報告であり、今後さらに議論を進め、本年度末に最終報告を取りまとめる予定です」とありました。

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2024年1月17日 (水)

あの時あの場所この1枚-6 神戸ルミナリエ(NO.1775)

 29年前の今日、1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災が起きました。神戸を中心として6434名の死亡者が出た大震災でした。

 今は1月1日に起きた能登半島地震で被災した方々の多くは避難所などで寒さに耐えながら苦しい日々を送っています。亡くなられた方には謹んでお悔やみ申し上げ、被災された方には心からお見舞い申し上げます。

 阪神淡路大震災の追悼行事では震災の犠牲者を悼むとともに、能登半島地震の被災地をつなぐイベントがおこなわれています。

 10年前の2014年12月11日、神戸ルミナリエを見に行きました。ルミナリエは1995年12月から阪神淡路大震災の犠牲者の追悼と神戸の復興を願うためのイルミネーションが夜の神戸の街を飾りました。

 妻とツアーに参加して見事な光の祭典を楽しみました。

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 ルミナリエはコロナのため2020年から中止されていましたが、今年1月に復活し、1月19日から28日まで開催されています。

 阪神淡路大震災から力強く復興したように、能登半島地震からも一刻も早く復興が実現するようお祈りしています。

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2024年1月13日 (土)

あの時あの場所この1枚-5 台湾旅行に行ったが台北市内の観光地を覚えていない(NO.1774)

 今日2024年1月13日は台湾総統の選挙が行われます。民進党の候補者が勝つか、国民党の候補者が選ばれるか悩ましいところです。

 今から13年前の2001年4月16日から18日まで台湾に短い観光旅行に行きました。もう少しゆったりした旅行にしたかったのですが、申し込んだツアーは人数不足で催行中止となり、その旅行会社では2泊3日のコースしかありませんでした。ところがこの短い日程が幸いしました。

 この旅行中に突然排尿がストップするという事態が発生したのです。2日目の夜までは何事もなく楽しい旅行を続けていました。2日目の夜台北のホテルで同行していた牛久のウナギ屋の店主の佐藤さんとビールをしこたま飲みました。その夜中から尿の出が悪くなり、翌日の台北の市内観光の途中から完全にストップしてしまいました。

 観光どころではありません。苦しさのあまり観光スポットに立ち寄るたびに、まずトイレに駆け込みますが小水は全く出ません。豪華な昼食もほとんど残してしまいました。

 それでも何枚か写真は撮っていました。その1枚です。

 記憶にありませんが市内の様子を撮ったもののようです。

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 帰りの飛行機ではかわいいフライトアテンダントが心配そうに声をかけてくれましたが、飲み物も機内食もすべて断りました。

 何とか我孫子までたどり着けたのは佐藤さんのおかげでした。

 翌日病院で尿を取ってもらったら1600CCも溜まっていました。前立腺肥大で排尿が止まったのです。先生から「これ以上溜まったら膀胱が破裂すとこだったぞ」と言われました。

 以前から小水の出が悪く、おかしいなと思いながらもそのままにしていました。それが台湾旅行中に症状が一気に悪化したのでした。運が悪かった思わざるを得ませんでした。早速入院して手術となりました。

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2024年1月 9日 (火)

司馬遼太郎の生誕100年は昨年だった(NO.1773)

 国民的作家の司馬遼太郎は1923年8月7日生まれで昨年が生誕100年の記念の年でした。このブログは昨年書くべきでしたがうっかりして書きそびれました。

 私は司馬遼太郎が一番好きな作家です。

 書棚には司馬遼太郎の本が最後まで残っていましたが、2020年から読んでは処分するという本の終活をしています。2024年1月9日まで、小説18作品60冊、「街道をゆく」27冊を読み終わりました。街道をゆくはあと15冊残っています。

 司馬さんが亡くなったときのことはよく覚えています。1996年2月12日に大動脈りゅう破裂で急逝しました。

 2月29日の週刊文春には、次のような書き出しで追悼の特集が組まれていました。

 「日本とは、日本人とは何か―この国に熱き思いを馳せ続けた、戦後最大の国民作家が亡くなった。享年七十二。膨大な資料をもとに縦横無尽に語られる著作の数々は、歴史小説という枠を越えて、人間の生きる姿を生き生きと描き出し、多くの読書人に愛された。観念主義にとらわれない氏の文章は戦後日本人への激励であり、また日本への警鐘でもあった。後世への大きな贈り物を残して、惜しまれながら巨匠は逝った。」

 本当にショックでした。私が司馬遼太郎の小説を読んだのは30歳くらいのころ、「竜馬が行く」が初めてでした。その面白さにすっかり司馬ファンになりました。

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 司馬さんが亡くなったときに出された文芸春秋臨時増刊「司馬遼太郎の世界」によると、読者の好きなベストスリーは次のようになっています。

一般社員

1 竜馬が行く

2 坂の上の雲

3 国盗り物語

経営者

1 坂の上の雲

2 竜馬が行く

3 翔ぶが如く

 大河ドラマでは司馬遼太郎の原作が一番多くなっており、スペシャルドラマの「坂の上の雲」を含めると7作品がドラマ化されています。

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2024年1月 5日 (金)

本格的な補聴器に替えた(NO.1772)

 2023年12月26日、補聴器を本格的なものに替えました。

 今まではニコンのエシロール耳穴型デジタル補聴器や、オムロンのイアメイトデジタル補聴器を、人と話すときやテレビを見るときなどに適宜使用していました。普段はつけていなかったのです。これらの補聴器は2万円台で、新聞広告を見て注文し購入したものです。

 その後やや難聴の程度が進んだのとニコン補聴器が聞こえにくくなったため、常時つけるものに替えることにしました。

 新聞広告で購入した補聴器は性能が落ちてきたときには、新しいものを再度購入するか、メーカーに送って1年の保証期間が過ぎれば有料で直してもらうことになります。その手間を考えると眼鏡店でメンテナンスができるものが望ましいのです。

 近くの眼鏡市場に行き、耳の検査をしてもらい、いろいろなメーカーのいろいろなモデルを比較して、リサウンドの耳あな型に決めました。常時装着するため右の片耳だけにしました。両耳でも試しましたが、違和感を感じたため片耳にしました。

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 料金は15万円でした。補聴器は消費税はかかりません。

 使い始めて10日ほどたちましたが、聞こえがよくなり快適です。耳穴に粘土をいれ型を取って作るオーダーメードのため、今までのピーピーというハウリングは全くありません。周りの音を大きく拾うこともありません。早くこれに替えておけばよかったと感じています。定期的に眼鏡市場に通って検査とメンテナンスのサービスが受けられます。

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2024年1月 2日 (火)

あの時あの場所この1枚-4 手賀大橋からの初日の出(NO.1771)

 あけましておめでとうございます。2024年の元旦も好天で穏やかな1日でした。

 私は2008年から2019年まで、元旦の朝は我孫子市の手賀大橋から初日の出を迎えています。ただ2012年は曇り空で初日の出が見られなかったため、2015年は気分が乗らなかったため、出かけませんでした。それ以外の10回は素晴らしい初日の出を拝むことが出しました。

 最初のころは日の出直前に行っても大橋の上から初日の出が見られたのですが、次第に手賀大橋からの初日の出見物が人気となり、橋の上から見るには1時間近く前に橋の上に着かなければいい写真が取れなくなりました。

 市や愛好者の団体が、獅子舞や太鼓のショーを見せたり、無料の豚汁を配ったり、有料の飲食の屋台などを出すようになってきたことも人を呼んだのです。2017年には「初日の出は手賀大橋」との看板が橋のたもとに立てられていました。

 そのため最後の数年は橋の下から見ることになりました。2013年と2014年は孫娘とその母親や父親と出かけています。2016年は、東に初日の出、西に満月に近い月が出ているのを見ることができました。

 この1枚は2019年に橋の下から見た私の最後の初日の出です。

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 2021年からはコロナで中止、2024年はコロナからは解放されましたが、私の足腰が手賀大橋まで行くのは無理と教えてくれたので、手賀大橋からの初日の出見物はなくなりました。

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