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2024年3月31日 (日)

センバツ高校野球準決勝のパブリック・ビューイング(NO.1799)

 2024年3月30日、センバツ高校野球の準決勝の中央学院-報徳学園の試合のパブリック・ビューイングが我孫子市のアビスタ(生涯学習センター)で行われました。

 中央学院高校は甲子園出場は3回目、過去2回は初戦で敗退しています。今年は甲子園でまず1勝することを目標にしていましたが、なんと1回戦、2回戦、準々決勝と勝ち進んでベスト4となり準決勝に駒を進めました。

 それを予測したわけではないでしょうが、今回は我孫子市では会場を変えながらパブリックビューイング行いました。準決勝のパブリック・ビューイングの会場は我が家から自転車で行ける近くのアビスタだったためどんな雰囲気になっているかのぞいてみました。

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 1階ホールが満員になって盛り上がっていました。校章入りの帽子とメンバー表をいただきました。

 最後まで見たかったのですが、体調を考え写真だけ撮って、我が家でゆっくり巨人戦と合わせてテレビ観戦するため引き揚げました。

 残念ながら2-4で敗れましたが、最後まであきらめない闘志をみせてくれました。

 よくやった中央学院高校。夏の甲子園を目指して頑張れ!

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2024年3月24日 (日)

あのときあの場所この1枚ー16 20年前の浜名湖花博(NO.1798)

 2024年3月23日から6月16日まで「浜名湖花博2024」が「はままつフラワーパーク会場」で開催されています。

 今回のテーマは「人・自然・テクノロジーの架け橋~レイクハマナデジタル田園会場~」となっています。

 今から20年前の2004年にも浜名湖花博が開催されました。そのときは友人の亀田さんと亀田夫人の3人で、クラブツーリズムの花博見物の日帰りバスツアーに参加しました。

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 青いバラが初めて展示されていたように記憶しています。

 花博は1990年に「国際花と緑の博覧会」が通称「花の万博」(EXPO’90)として大阪で大々的に開催されました。博覧会国際事務局認定の国際博覧会でした。妻と2人で泊りがけで見物に行きました。

 「大阪花博」は「つくば科学博」とともに特別博で、来年開催される「大阪万博」の一般博とは区別されます。そして「浜名湖花博」は「大阪花博」よりはレベルが下のようです。

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2024年3月21日 (木)

我孫子市の中央学院高校が念願の甲子園初勝利(NO.1997)

 2024年3月20日、センバツ高校野球で我孫子市の中央学院高校が念願だった甲子園初勝利を果たしました。

 第96回センバツ高校野球1回戦で、中央学院高校(千葉県)は耐久高校(和歌山県)を7-1で破りました。中央学院高校は6年前の2018年に春の選抜大会に初めて甲子園の土を踏みました。そして同年の夏の大会も千葉県予戦を勝ち抜いて千葉県代表として甲子園に駒を進めました。ところがどちらの大会も1回戦で敗れました。今回は甲子園3度目の出場です。

 中央学院高校と我孫子市の願いはとにかく1勝することでした。我孫子市は市を挙げて応援、「あびこショッピングプラザ」1階ではパブリックビューイングが行われ、約100人の市民が声援を送りました。そして春夏を通じて甲子園初勝利を見ることができたのです。

 我が家はお彼岸の法要の帰りで7人の家族が外食をしていました。そこに途中経過ですが中央学院高校が勝っているというニュースが入りました。帰ってその続きを見ることになり、勝利の喜びに沸いたのです。

 中央学院は大学は箱根駅伝でそれなりの実績を残しています。今度は高校が頑張る番です。どこまで勝ち進むか期待しましょう。

 我孫子市人口12万くらいのあまり大きくない市ですが、過去には県立の我孫子高校が2度甲子園に出場して、1度は3回戦まで進みました。中学校の駅伝大会では、我孫子市のいくつもの中学校が千葉県有数の実績を誇っています。サッカーでは中村敬斗選手が日本代表に選ばれています。ラグビー「リーグワン」で活躍している「NECグリーンロケッツ東葛」が最初に生まれた土地でもあります。お国自慢すみません。

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2024年3月18日 (月)

あの時あの場所この1枚-15 福井県立恐竜博物館(NO.1796)

 2024年3月16日に北陸新幹線が金沢から福井県の敦賀まで延伸しました。いま福井県が盛り上がっています。

 2015年3月長野新幹線が金沢まで伸びて北陸新幹線になりました。その時は金沢が盛り上がりました。

 その年の5月、私は妻と福井県を観光地を回るツアーに参加しました。おそらく金沢まで往復北陸新幹線に乗れるだろう思ったからです。とこが半分当てが外れました。帰りは金沢から上野まで北陸新幹線に乗れましたが、行きはなんと上野発7時6分の上越新幹線「とき303号」でした。そのためわが家からは5時39分発の1番バスに乗らなければなりませんでした。

 上越新幹線は新潟県の長岡で下車、そこからさえない小千谷観光バスに乗りました。観光バスは、新潟県、富山県、石川県を素通りして福井県の三国港まで行ったのです。三国港に着いたのは13時25分でした。そこからやっと東尋坊観光が始まったのです。

 全く不合理な、ツアー参加者を無視した行程でした。北陸新幹線なら、上野発8時50分の「かがやき」に乗れば十分間に合ったはずです。申し込む時のツアーの案内にはそんな行程は出ていませんでした。おそらく阪急交通社は往復の北陸新幹線の座席の確保の自信がなかったのか、費用が安くつくほうを選んだか、だと思います。

 そんな不満はありましたが、福井県の観光地はどこも素晴らしく、行きの交通手段を除けが満足するツアーでした。

 3日目には福井県が誇る国内最大の「恐竜博物館」に行きました。館内は3階の展示場に分かれていて、4500平米という広大な展示室に40体以上の恐竜全体骨格をはじめとする千数百点もの標本、大型復元ジオラマや映像などがありました。

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2024年3月16日 (土)

北陸新幹線の金沢-敦賀間が開通した(NO.1795)

 2024年3月16日北陸新幹線の金沢-敦賀間が延伸開業しました。

 石川県内の小松、加賀温泉の2駅、福井県内の芦原温泉、福井、越前たけふ、敦賀の4駅が新幹線の停車駅となりました。

 東京-福井間は最速で2時間51分、東京-敦賀間は3時間8分で結ばれることになります。列車名は「かがやき」と「はくたか」です。

 北陸新幹線は1997年に東京-長野間が「長野新幹線」として開業しました。その後2015年に長野-金沢間が開業し、北陸新幹線となりました。それが今回敦賀まで伸びたのです。将来は敦賀から京都まで伸びる計画があるようですが、具体的な計画は決まっていません。

 今回の延伸で一番活気づいているのは福井県のようです。福井県は「恐竜王国」を売り込んできました。私も県の「恐竜博物館」に行ったことがありますが、恐竜好きにはぜひ一度は訪れたいところでしょう。福井駅前には新幹線開業に合わせて、恐竜のロボットやモニュメントが約20体設置されたようです。

 「敦賀」の地名は日本地図など知らない子供のころから私の記憶に入っています。理由は「舞鶴」とともに、中国やソ連からの引き揚げ船が着く港だったからです。私のおじも中国に抑留されていました。

 新幹線の延伸は能登半島地震の被災地の復興を後押しすることも期待されています。

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2024年3月14日 (木)

民間ロケット「カイロス」打ち上げ失敗(NO.1794)

 2024年3月13日、宇宙新興企業「スペースワン」が小型ロケット「カイロス」を和歌山県串本町の「スペースポート紀伊」から打ち上げました。ところが5秒後に爆発して打ち上げは失敗に終わりました。

 何らかの異常を検知し自動的に機体を爆破するシステムが作動したようです。素人判断ですが、そのシステムが誤作動を起こしたということも考えられます。

 カイロスは小型衛星1基を搭載しており、軌道投入に成功すれば民間企業が開発したロッケトとして日本初となるとなる予定でした。

 専門家は「ロケット開発に失敗はつきもので、めげることなく開発を進めるべきだ」と言っています。「スペースワン」の豊田社長は記者会見で「結果を前向きにとらえて次の挑戦に臨みたい」と述べています。

 ロケット開発は技術が成熟するまでは打ち上げ失敗が続くケースが多いようです。世界の宇宙ビジネスを席巻するアメリカのスペースXも失敗を繰り返して成長したとのことです。

 次の打ち上げに期待しましょう。

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2024年3月 8日 (金)

あの時あの場所この1枚-14 東日本大震災の我孫子での記憶(NO.1793)

 まもなく13年前の東日本大震災の追悼の日を迎えようとしています。地震の発生は2011年3月11日14時46分でした。

 私は毎週金曜日に行っている若松ふれあい会のボランティア活動として、近所の橋本さんと一緒に下校見守りのため我孫子第一小学校の近くで子供たちが出てくるのを待っていました。

 その時地震が起きました。足元が大きく揺れ、側に建っていたカーブミラーが激しく振動して今にも倒れそうな感じでした。

 いつもと違う大きな地震だと思って二人で急いで学校にかけつけました。生徒たちは先生と共に教室から出て運動場にクラスごとにしゃがんで待機しているところでした。

 その時にも大きな地震がありました。第2波でした。でも先生も生徒も落ち着いていて、特に動揺している感じはありませんでした。その時は気が付きませんでしたが、後日学校に行ったとき、講堂の外壁に大きなひび割れがありました。

 先生に何か手伝うことはないですかと聞きました。今日は下校見守りではないと思ったのです。先生からは、保護者に連絡して迎えに来てもらうので、特にお願いすることはないと言われました。

 家のことも心配だったのでそのまま引き上げたのを覚えています。幸い家も妻も無事でした。

 翌日カメラを持って手賀沼公園まで被害状況を調べに行きました。

 若松では地割れが起き、何軒かのブロック塀が壊れ、道路と家とに隙間ができているところがありました。

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 手賀沼遊歩道ではマンホールの蓋が浮き上がったり液状化現象が起きているところもありました。ただ被害の程度としては軽かったと言えると思います。

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2024年3月 6日 (水)

あの時あの場所この1枚-13 凍結した見事な摩周湖(NO.1792)

 16年前の2008年2月末ツアーで冬の北海道旅行をしました。

 ツアーの目玉は網走近辺での流氷見物でしたが、その年は予定通り流氷が岸辺までやってきていませんでした。その場合は船で流氷の場所まで行って見物することになっていましたが、強風のため出航できず、代わりの網走刑務所見物も強風で取りやめとなりました。

 伊豆のカワヅザクラ見物もつぼみ見物で終わったこともあります。季節をあてにしたツアーはあてにならないことがありますね。

 ところが素晴らしい景色を見せてくれたのが摩周湖です。なかなか全面結氷が見られるの時期に合わないとのことでしたが見事に凍っていました。裏側から見た摩周湖になります。

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 前回来たときは表側で、看板通り霧の摩周湖でしたが、今回は妻ともども見事な景色を堪能できました。

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2024年3月 3日 (日)

あの時あの場所この1枚-12 アラスカのこの1枚はオーロラでなく氷河の壁(NO.1791)

 16年前の2008年の9月初旬から中旬にかけてツアーでアラスカに行きました。目的は妻が以前からあこがれていたオーロラを見るためでした。

 アラスカには通常は直行便はありませんが、旅行会社各社がツアーのためにJALの直行便を乗り合いでチャーターしたようです。乗り継ぎなら10数時間かかるところ、往復とも7時間前後でした。行きはフェイバンクスまで、帰りはアンカレジからでした。

 オーロラはフェアバンクスの東約100キロのチェナ温泉で3泊して3回見るチャンスがありました。私たちは運がよかったのか、天候に恵まれて3夜とも見ることができました。

 特に2日目のオーロラは素晴らしく、頭上に青や緑や黄色の光のカーテンが次々と現れて移動して消えていく様子に時間と寒さを忘れていました。

 残念だったのは、携帯用のデジカメしかもっていなかったため、オーロラの写真を撮ることはできませんでした。オーロラの写真を撮るためにはそれなりのカメラを持参し、しっかりと準備をすることが必要です。

 あとでツアーコンダクターは全員にオーロラの写真を1枚ずつ配ってくれました。写真を撮れない人が多いことをわかっていたようです。

 ツアーの5日目にウイッテアの港からクルーズ船に乗ってサプライズ氷河見物に向かいました。片道時間半かけてサプライズ氷河に到着、静かな海に大きな青い氷の壁がそそり立っていました。船の周りには大小の氷の塊が漂っていました。

 船を止めて20分以上氷河が崩れるのを待ちました。3回ほど氷河が崩れましたが、テレビで見るほど大きなダイナミックな崩れ方ではありませんでした。

 その時の写真がアラスカのこの1枚です。

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