老人の独り言-1 歌を楽しんだ人生(NO.1814)
87年間の人生を振り返ると一番長く続いている楽しみは「お酒」と「歌」です。
今は歌うことはなくなりテレビで歌番組を聞くだけになりました。
2019年12月に足が痛くなって民謡の「愛友会」をやめました。タイミングを合わせたように、喉頭白板症にかかり声が出なくなりました。足の痛みがなくてもやめざるを得なかったのです。
手術の結果声は出るようになりましたが、コロナの真っ最中です。集まりはなくなりました。民謡とカラオケは2019年の愛友会の忘年会で歌ったのが最後となりました。
学生時代に宴会で歌ったのが始まりです。その後は、会社の宴会、高校の同窓会や大学の同窓会などの宴会で歌いました。そして本格的に歌うことを楽しんだのは退職後です。
「愛友会」の仲間とは民謡大会の終わった後や忘年会や新年会でスナックを貸し切りでカラオケを楽しみました。柏の高齢者の会の「あけぼの会」やその他いろいろな同好会でもカラオケを楽しみました。
歌ったのはいわゆる流行歌です。東海林太郎、田端義夫、藤山一郎、ディック・ミネ、近江敏郎などから始まって、三崎美智也、春日八郎、鶴田浩二、フランク永井などを経て、北島三郎、五木ひろしなどまでの歌手の歌です。女性歌手の歌も好きでした。 昭和歌謡が主で最近の演歌歌手の歌は知りません。
学生時代からサラリーマンの現役時代、カラオケのシステムが出てくるまでは伴奏なしのアカペラでした。歌詞を覚えてなければ歌えないので、せいぜい2番までです。ところが「汽笛いっせい新橋を‥‥」の「鉄道唱歌」を長々と歌う人や、「ここはお国を何百里‥‥」の「戦友」を延々と歌う人がいて驚いたことがあります。会社の同僚でイタリアのカンツオーネの「オーソレミオ」や「フニクリフニクラ」などが得意な人もいました。
平成の30年間は民謡と昭和の流行歌と演歌を十二分に楽しんだと言えます。
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