1975年(昭和50年)6月から1978年(昭和53年)3月まで東京から仙台に赴任しました。
赴任した時の年齢は38歳、それまでの私の行動の南限は鹿児島市でしたが、北限は尾瀬の燧岳でした。東北については何も知らない状態でした。ところが仕事で東北6県をカバーすることになりました。
そしてわずか2年9か月の間に東北の魅力に取りつかれました。それから東北をうたった歌に愛着を感じるようになったのです。
・津軽海峡冬景色
赴任期間中の1977年、石川さゆりの歌った津軽海峡冬景色がヒットし始めました。阿久悠作詞・三木たかし作曲の哀愁のこもった演歌です。石川さゆりはこの1曲でスターになりました。
この歌は仙台赴任時代を思い出しながら歌っています。竜飛崎にはこの歌の2番の歌詞を刻んだ歌碑がたっていて、ボタンを押すと石川さゆりの歌声が流れます。
・青葉城恋唄
仙台から東京にに戻った年に仙台で知り合った大学の後輩から「青葉城恋唄」のシングルレコードが送られてきました。「青葉城恋唄」は仙台市の風景を取り入れた失恋の叙情詞です。
さとう宗幸が作曲し、自分で歌っています。仙台ではやっていたものをレコードに吹き込み「杜の都」を全国版にしました。私も仙台を思いながら歌っています。
・風雪流れ旅
北島三郎の大ヒット曲です。星野哲郎作詞・船村徹作曲・北島三郎唄のゴールデントリオは数多くヒットを生みました。盲目で津軽三味線を担いで東北や北海道をさすらった高橋竹山をモデルとした演歌です。
私が民謡仲間の愛友会の打ち上げで歌ってから愛友会のみんなも歌うようになりました。
・北国の春
いではく作詞・遠藤実作曲・千昌夫唄の大ヒット曲です。日本だけでなく、中国や台湾をはじめアジア各国でヒットしました。
わたしは中国語講座の発表会で中国語の歌詞の「北国の春」をうたったことがありますが、中国語では望郷の歌がラブソングの歌詞に変わっていました。
・北の宿から
阿久悠作詞・小林亜星作曲・都はるみ唄の東北をうたった代表的な演歌です。大変歌いやすい曲で、大好きな曲です。
・みだれ髪
福島県の塩屋の岬を舞台にした演歌です。「風雪流れ旅」の星野哲郎と船村徹のコンビが美空ひばりにささげた曲です。美空ひばりが大病から復帰した直後に唄う曲として、船村徹が歌いやすい曲を作ろうとしたのですが、ひばりはそんな配慮は不要と伝えたそうです。みだれ髪は音域の広い曲となっています。
塩屋岬にはこの曲の歌碑がたっていて、美空ひばりの歌声を聞くことができます。
・みちのくひとり旅
山本譲二のヒット曲です。市場馨作詞・三島大輔作曲です。大変唄い甲斐のある演歌で、大声で歌うといい気分になります。
なお津軽出身の吉幾三の演歌も好きですが、なぜか歌ったことがありません。理由は自分でもわかりません。
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