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2024年6月27日 (木)

あの時あの場所この1枚-27 沖縄のひめゆりの塔(NO.1825)

 今年の6月23日、沖縄では79年目の「慰霊の日」を迎えました。

 太平洋戦争の終盤、1945年4月1日に米軍の沖縄上陸作戦が始まりました。そして6月23日、日本の第32軍牛島司令官をはじめ司令部が自決して沖縄での組織的戦闘が終わりました。日本が沖縄戦で負けたのです。

 沖縄県民は4人に1人が亡くなったと言われています。沖縄ではこの日を「慰霊の日」とさだめています。

 17年前の2007年3月1日から7日まで沖縄旅行に妻と行きました。3度目の沖縄ツアーで、沖縄本土だけ時間をかけて回りました。

 平和祈念公園も訪ねましたが、3月5日には糸満市にある「ひめゆりの塔」を訪れました。沖縄線に動員されたひめゆり学徒隊の死者を慰霊する塔です。

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 2つの女学校から生徒・教師240名が看護要員として動員され、そのうち136名が死亡しました。2校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後「ひめゆり学徒隊」とよばれるようになったのです。

 沖縄には沖縄戦の悲しい戦争の跡や広大な土地を占めている基地を目の当たりに見た旅でした。

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2024年6月23日 (日)

あの時あの場所この1枚-26 3度目の松本城(NO.1824)

 7年前の2017年6月25日から26日まで、民謡の紀楊美会の仲間と美ヶ原温泉旅行を楽しみました。紀楊美会では最後の旅行でした。

 その際訪れた観光地の1つが26日に行った松本城です。私にとっては3度目の松本城見物となりました。

 松本城は長野県松本市のシンボルとなっており、国宝に指定されています。日本の国宝天守閣は、松本城、姫路城(世界文化遺産)、彦根城、松江城、犬山城の5つです。

 日本には城の数は2万5千から3万ほどあったと言われていますが、天守閣が築城時の姿をとどめているのは、この国宝5城のほか、弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城の7つを加えた12城しかありません。

 私はこのうち9城を訪れています。好きな城は、姫路城は別格として地元の伊予松山城と松本城です。

 松本城の天守・城郭・城下町の整備を行い、今のような形にしたのは、徳川家康の元から豊臣秀吉の臣下に走った石川数正とその子康長です。

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 北アルプスの山々バックに広い堀を前にした天守閣の姿が一番の写真スポットですが、残念ながら今回は曇り空だったため、きれいな庭を前にした1枚としました。

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2024年6月21日 (金)

老人の独り言-5 脊柱管狭窄症と夜間頻尿(NO.1823)

 87歳の老人らしくいくつかの持病を持っています。その中で毎日の生活に大きな影響をもたらしているのが、脊椎間狭窄症と夜間頻尿です。

 最近では難聴もひどくなってきましたが今回は話題から外します。

 脊柱管狭窄症は12年ほど前からいろいろな症状が出て、いくつかの整形外科で低周波、けん引、薬の服用などの治療を受け、最後は手術しかないという宣告を受けました。その時は82歳でしたので、80を過ぎてリスクのある手術は避けたいと通院はやめ、今は特に治療を受けていません。

 最初に出た間欠跛行の症状は改善しましたが、今の症状は長く歩けなくなったことと、座ったり寝ている状態から立ち上がるのに手を使う必要があることです。

 夜間頻尿は数年前から自覚するようになりました。10時に寝床に入り6時に起き上がるまで、2回~3回トイレに通います。

 夜間は6畳のカーペットの部屋に、厚手のマットレスを敷いて寝ています。日中はマットレスを2つ折りにしておいてあります。

 トイレに通うにはそのまま立ち上がれるベッドのほうが楽です。隣に息子が以前使っていたベッドの部屋が空いているのに、あえて立ち上がるのに苦労する部屋を使っているのは、今の部屋が南向きで温かく、寝ていて手が届く範囲にいろいろなものがあるからです。テレビやラジカセ、本だな、薬箱、貴重品入れ、眼鏡や飲み物などが寝たままか体を起こしたままで手が届きます。

 乱雑ですが使い勝手がいいのです。パソコン2台とプリンターもあります。着替えもつるしています。

 やせ我慢かもしれませんが、夜間トイレに通うとき、足やひざや手を使って苦労して立ち上がるのが、乏しくなった体の機能を少しでも長く保てるのではないかと思っていることもあります。 

 ところが5月15日の読売新聞に「何度もトイレ 転倒リスク」と題して衝撃的な記事が出ていました。東北大学によると夜間の排尿回数が2回以上の人は、その後5年間に転倒による骨折リスクが2.2倍、死亡リスクが1.91倍に増加するとのことです。気を付けようと思います。

 いつまでこの状態が保てるかわかりませんが、できる間は頑張ろうと思っています。

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2024年6月16日 (日)

老人の独り言-4 好きだった3つの歌(NO.1822)

 歌についての思い出の続きです。

 いろいろな歌を楽しみましたが、その中で一番多く歌ったのが次の3曲です。

 まず1949年に発表された「長崎の鐘」です。

 サトウハチロー作詞、古関裕而作曲で、藤山一郎が歌いました。この歌にはモデルとなる人がいました。原爆症で亡くなった長崎大学の永井隆博士です。哀調のある詞とメロディが心に響きました。カラオケのシステムが出るまえからの愛唱歌でした。

 その次は「無法松の一生ー度胸千両入り」です。

 吉野夫二郎作詞、古賀政男作曲で、1958年に出た村田英雄のヒット曲です。度胸千両の部分で曲調が変わるのが何とも言えず好きでした。

 私が歌い始めてから愛友会の仲間も何人かが好んで歌いました。三味線だけの伴奏で舞台で歌った猛者もいました。

 3っつ目は1980年に発表された、谷村新司作詞作曲、本人が歌った「昴(すばる)」です。詞にも曲にも演歌とは違った格調の高さがありました。

 3曲とも歌うことの楽しみを味わいながら歌いました。

 カラオケを楽しむ機会がなくなったことが残念でなりません。

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2024年6月 9日 (日)

あの時あの場所この1枚-25 我孫子市最後のあやめまつり(NO.1821)

 12年前の2012年(平成24年)6月3日から9日まで第29回あやめまつりが手賀沼公園・水生植物園で開催されました。

 あやめまつりは毎年この時期に開催されていました。水生植物園は手賀沼公園から手賀沼遊歩道を歩いて20分くらいのところにあります。開催期間中には手賀沼公園から植物園まで遊覧船が運行されていました。

 6月9日の土曜日には手賀沼公園でいろいろ趣向を凝らしたイベントが行われました。

 水生植物園にはあやめや花菖蒲やアジサイが咲き誇り、近くの藤棚には藤が満開になっていました。6月8日に水生植物園で撮った1枚です。

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 ところがこの年を最後に翌年からあやめまつりは中止となりました。あやめや花菖蒲を育てる人が高齢化し人手が足りなくなってしまったためです。

 我孫子市の貴重な観光イベントだっただけに残念でした。

 これが最後のあやめまつりとなりました。

 

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2024年6月 7日 (金)

日本人の出生率が過去最低の1.20となった(NO.1820)

 2024年6月5日、厚生労働省が2023年の日本人の人口動態統計を発表しました。

 一人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率が、1947年以降過去最低の1.20となり8年連続で低下しました。東京都は全国最低の0.99で、初めて「1」を割り込みました。

 出生数は過去最少の72万7277人でした。死亡数は過去最多の157万5936人でした。出生数が死亡数を下回る「自然減」は17年連続で、84万8659人と過去最大の減少でした。

 少子化と人口減少が加速しています。

 出生のもととなる婚姻数は47万47Ⅰ7組で、90年ぶりに50万組を下回りました。

 第1子出生時の母親の平均年齢は31.0歳で「晩産化」も進んでいます。

 私の住む千葉県は出生率1.14で、全国7番目の低さです。

 出生率の低下の原因の1つは未婚率が増えていることにあります。まず結婚数を増やそうと、千葉県をはじめ、市町村の自治体でも婚活のイベントを始めているようです。

 我孫子市からはスマホにLINEでたびたび婚活パーティの案内が入ってきます。

 少子化を改善するには、これが一番という切り札はないと思います。政府、自治体、企業、社会、個人などそれぞれができることから始める必要があるということでしょう。

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2024年6月 6日 (木)

わが家のアジサイ(NO.1819)

 わが家の庭と玄関わきに10株のアジサイがあります。それぞれ違う種類のようで少しづつ開花のタイミングをずらしながら咲いています。

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 妻の一番好きな花がアジサイのため、小さな庭で一番多く場所を占め一番目立っています。

 北小金の本土寺の参道にある植木屋で買ってきた苗木やいろいろな方から頂いた苗木を妻が大きくしたものです。

 アジサイはバラに比べると地味な花ですがが、しっとりとした味わいがあります。

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2024年6月 3日 (月)

老人の独り言-3 東北を歌う(NO.1818)

 1975年(昭和50年)6月から1978年(昭和53年)3月まで東京から仙台に赴任しました。

 赴任した時の年齢は38歳、それまでの私の行動の南限は鹿児島市でしたが、北限は尾瀬の燧岳でした。東北については何も知らない状態でした。ところが仕事で東北6県をカバーすることになりました。

 そしてわずか2年9か月の間に東北の魅力に取りつかれました。それから東北をうたった歌に愛着を感じるようになったのです。

・津軽海峡冬景色

 赴任期間中の1977年、石川さゆりの歌った津軽海峡冬景色がヒットし始めました。阿久悠作詞・三木たかし作曲の哀愁のこもった演歌です。石川さゆりはこの1曲でスターになりました。

 この歌は仙台赴任時代を思い出しながら歌っています。竜飛崎にはこの歌の2番の歌詞を刻んだ歌碑がたっていて、ボタンを押すと石川さゆりの歌声が流れます。

・青葉城恋唄

 仙台から東京にに戻った年に仙台で知り合った大学の後輩から「青葉城恋唄」のシングルレコードが送られてきました。「青葉城恋唄」は仙台市の風景を取り入れた失恋の叙情詞です。

 さとう宗幸が作曲し、自分で歌っています。仙台ではやっていたものをレコードに吹き込み「杜の都」を全国版にしました。私も仙台を思いながら歌っています。

・風雪流れ旅

 北島三郎の大ヒット曲です。星野哲郎作詞・船村徹作曲・北島三郎唄のゴールデントリオは数多くヒットを生みました。盲目で津軽三味線を担いで東北や北海道をさすらった高橋竹山をモデルとした演歌です。

 私が民謡仲間の愛友会の打ち上げで歌ってから愛友会のみんなも歌うようになりました。

・北国の春

 いではく作詞・遠藤実作曲・千昌夫唄の大ヒット曲です。日本だけでなく、中国や台湾をはじめアジア各国でヒットしました。

 わたしは中国語講座の発表会で中国語の歌詞の「北国の春」をうたったことがありますが、中国語では望郷の歌がラブソングの歌詞に変わっていました。

・北の宿から

 阿久悠作詞・小林亜星作曲・都はるみ唄の東北をうたった代表的な演歌です。大変歌いやすい曲で、大好きな曲です。

・みだれ髪

 福島県の塩屋の岬を舞台にした演歌です。「風雪流れ旅」の星野哲郎と船村徹のコンビが美空ひばりにささげた曲です。美空ひばりが大病から復帰した直後に唄う曲として、船村徹が歌いやすい曲を作ろうとしたのですが、ひばりはそんな配慮は不要と伝えたそうです。みだれ髪は音域の広い曲となっています。

 塩屋岬にはこの曲の歌碑がたっていて、美空ひばりの歌声を聞くことができます。

・みちのくひとり旅

 山本譲二のヒット曲です。市場馨作詞・三島大輔作曲です。大変唄い甲斐のある演歌で、大声で歌うといい気分になります。

 なお津軽出身の吉幾三の演歌も好きですが、なぜか歌ったことがありません。理由は自分でもわかりません。

 

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