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2024年7月29日 (月)

佐渡金山が世界文化遺産に登録されることが決まった(NO.1835)

 2024年7月27日のユネスコの世界遺産委員会は、日本の「佐渡山の金山」を世界文化遺産に登録することを全会一致で決めました。

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 江戸時代に手作業による技術で世界最大級の金生産量をほこった佐渡金山の歴史的価値が評価されたのです。

 日本は天然資源のない国と言われますが、かっては、金、銀、銅などが豊富に採れる国として世界的に有名でした。

 石見銀山は早々と世界遺産に登録されましたが、佐渡の金山が登録されることで、金と銀に絡む世界遺産が生まれることになります。

 韓国が「戦時中の強制労働の被害の現場だ」として登録に反対していましたが、韓国との粘り強い対話の結果、賛意を取り付け登録に至りました。

 これで日本の世界遺産は、自然遺産が5つ、文化遺産が21となりました。

 地元の佐渡市では1997年以来世界遺産を目指して官民一体で登録運動が始まったようです。やっとその願いがかなうことになりました。

 私は15年前の2009年10月に佐渡金山を見物したことがあります。坑道が観光用に整備され、資料館には当時の金山の様子がうかがえる資料がそろっていました。その時にも「世界遺産登録しよう」の主旨の旗が何カ所かたっていたように記憶しています。

 佐渡金山にも外国人の観光客が急増しそうですね。

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2024年7月28日 (日)

パリオリンピクが始まった(NO.1834)

 2024年7月26日、第33回夏季オリンピックパリ大会が開幕しました。

 パリでの開催は100年ぶりです。開会式は雨の中セーヌ川とエッフェル塔を舞台として午後7時半から夏のオリンピックとしては初めて競技場外で開催されました。

 選手団は船に乗ってセーヌ川のオステルリッツ橋をスタートし、下流に向かってノートルダム大聖堂やルーブル博物館、コンコルド広場近くを通って、開会式が行われるエッフェル塔の下のトロカデロ広場に進みました。セーヌ川岸からは30万人の見物客が大小取り混ぜての85隻の船に乗った選手団を見送りました。

 日本はヨルダンなどと同じ船に乗り93番目に登場しました。日本の選手団は海外の大会では過去最多の409名、31の競技に参加します。選手団長によるとメダルの目標数は、金20個、総数55個だそうです。旗手を務めたのはブレイキンの半井重幸選手とフェンシングの江村美咲選手でした。

 最後の大型船2隻には次回大会のアメリカと開催国のフランスの選手団が乗っていました。

 トロカデロ広場の開会式は、エッフェル塔をバックに行われ、馬に乗って登場した五輪旗やエッフェル塔から発せられるいろいろな光が印象的でした。

 聖火はトロカデロ広場から、ジダンやナダル選手の手を経て国内外の選手によってセーヌ川をさかのぼり、ルーブル美術館近くの公園に置かれた聖火台に点火されました。ここで魔法のようなことが起こりました。聖火台は点火後空に向かて登り始めたのです。空中で固定されました。初めて見る空中の聖火台でした。

 セーヌ川の途中やゴール近くではダンスやファッションショーや音楽演奏や曲芸が行われました。一人の怪人が聖火を持って屋根伝いに運んだり、五輪旗を持った人を乗せた鉄の馬がセーヌ川を疾走したり、エッフェル塔の舞台で「愛の賛歌」を歌ったり、さすが芸術の国フランスと思わせる演出がありました。4時間を超える開会式の祭典でした。

 翌日から熱戦が始まります。日本選手の活躍に期待しましょう。

 オリンピックは平和の祭典です。ところが今、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃が続いています。オリンピックはこれらの戦争には無力のような気がします。つらいですね。

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2024年7月25日 (木)

あの時あの場所この1枚-28 パリのセーヌ川とエッフェル塔(NO.1833)

 明日2024年7月26日、パリのオリンピックが開幕を迎えます。開会式はセーヌ川を利用して行われます。川を使った開会式は世界初です。どんな景色が見られるか楽しみです。

 今日のこの1枚はセーヌ川とはるか向こうのエッフェル塔です。

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 17年前の2007年4月に「オランダ・ベルギー・モンサンミシェル・パリ9日間」というツアーに妻と参加しました。パリ市内の観光はつけたしのようなものだったのであまりいい写真は残っていません。

 パリは2回目で1995年に行ったときはセーヌ川舟遊びも含めて、パリの名所をじっくり回っています。ところがそのころはデジカメはあまり普及していなく、フィルムのカメラで写真を撮りました。この1枚シリーズはデジカメ写真だけですのでその時撮った写真は残念ですが使えません。

 パリは世界一の観光都市だけに見どころがいっぱいあります。エッフェル塔は建てたときは賛否両論があり、一度は解体させる危機もあったようですが、いまではパリのシンボルとなっていて、セーヌ川岸のエッフェル塔のないパリは考えられと言われています。

 セーヌ側で行われるオリンピック開会式、日本時間でが深夜になりますが、録画してしっかり楽しみたいと思っています。

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2024年7月22日 (月)

老人の独り言-8 MG5が買えなくなった(NO.1832)

 2024年7月15日、近所のウェルシアで資生堂のヘアートニックMG5を買おうとしたら、男性化粧品売り場からなくなっていました。店員に問い合わせたら店の方針で置かなくなったとのことでした。マツモトキヨシでもMG5は置かなくなったとのことでした。

 MG5は60年近く使っていました。私は1960年に大学を卒業、サラリーマンになりました。

 ネットで調べてみたら、資生堂のMG5は1963年発売、1967年には19品目、23種類に拡大し当時の男性化粧品として代表的なブランドになったとありました。

 それまでの整髪料はポマードやチックでした。油気が多くねっとりとしていました。MG5のヘアーリキッドはさらっとした液体でそれまでの整髪料の常識を変えたものでした。

 同時期にライオン歯磨から同じような整髪料のバイタリスが発売され販売を競っていました。

 私は両方の製品を使ってみましたがMG5が気に入り、すっかりとりこになりました。それ以後60年近く使っていました。使ったのはヘアートニックとヘアーリキッドだけです。

 61歳でサラリーマンを卒業してからは、ヘアーリキッドは外出する時だけになりました。その後もヘアートニックは毎日風呂上りに使っていました。それがもう使えなくなったのです。

 おそらく今の若い人はもっと新しいブランドのものを使っているのでしょう。

 MG5は発売後は盛んに広告を打っていましたが、いつの間にか広告がなくなりました。PRしなくても固定客があるので売れていて、「メーカーにとってはおいしい商品」ということを聞いたことがあります。

 しかし60年もたつと、固定客も次第にいなくなって売れなくなったのでしょう。ネットで注文すれば買うことができるようですが、300mlで800円の商品です。送料を払って取り寄せることも考えましたが、とりあえず他の商品を使ってみようと思っています。

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2024年7月18日 (木)

老人の独り言-7 高校野球の思い出(NO.1831)

 今第106回全国高校野球の夏の甲子園大会の県予選が各都道府県で行われているまっ最中です。

 2024年は甲子園球場が完成して100年になります。 甲子園で大会が開かれるようになったのは第10回大会からでそれまでは豊中球場と鳴尾球場が使われました。

 高校野球は1915年に第1回大会が開かれました。プロ野球が生まれたのが1936年ですのでその21年も前に生まれたことになります。

 高校野球というとお国自慢につながります。高校野球に興味がある人は、皆さんふるさとの県の代表高校を応援します。

 私は愛媛県出身です。最近は愛媛県代表は勝てなくなりましたが、以前は松山商業が夏将軍と言われていました。松山商業は夏の優勝が5回、春夏合わせると7回日本一になりました。

 大正、昭和、平成の各時代で優勝したのは松山商業だけです。令和で優勝するのはかなりハードルが高いですが、全国唯一の記録を残してもらいたいものです。

 先日NHKテレビで過去の名勝負ベスト10を選んでいました。

 1996年(平成8年)松山商業-熊本工業の決勝戦で10回裏1死満塁で、熊本工業の選手が高々と打ち上げたライトフライを守備固めにはいっていた松山商業の選手が矢のような送球でホームでアウトにした「奇跡の大遠投」がベスト10の中に入っていました。サヨナラ負けを防ぎ優勝しました。

 そのベスト10には、2006年(平成18年)斎藤ハンカチ王子と田中マー君の決勝戦延長15回引き分け再試合も入っていましたが、それ以前のベスト10には必ず1969年(昭和44年)の松山商業井上投手と三沢高校太田投手の決勝戦延長18回引き分け再試合が入っていました。

 なお私の出身校は松山商業ではなく松山南校です。

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2024年7月12日 (金)

高校野球千葉大会が始まった(NO.1830)

 2024年7月7日、全国高校野球選手権千葉大会の開会式がマリンスタジアムで行われ、7月10日から試合が県下11球場で始まりました。予定通り進めば決勝戦は7月27日となっています。

 148チーム(160校)が参加します。優勝するまでは7回か8回戦う必要があります。甲子園で優勝すには5回か6回勝てばいいのに比べるとはるかに大変です。そのため「戦国千葉」と言われています。

 私は子供2人と孫3人の出身校5校と我孫子市にある中央学院高校のあわせて6校を応援しています。

 中央学院は今年の春のセンバツに出場し、甲子園でベスト4まで進みました。

 長男の出身校の専大松戸は最近9年間に3回優勝した強豪校です。中央学院と共にAシードになっています。

 長女の出身校の我孫子高校は、県立ながら1978年と1991年に2度優勝しています。1991年には妻とともに我孫子発の特別列車で甲子園まで応援に駆け付けました。

 最近では県立高校が優勝することはなくなりました。孫3人の高校はすべて県立高校なのでどこまで勝ち進めるかが応援のしどころです。

 孫の1人は今は社会人ですが、柏の葉高校在学中は野球部員でした。3年生の時試合に応援に行きました。初戦は突破したのを覚えています。

 この夏は、専大松戸か中央学院が甲子園に進めるよう願っています。

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2024年7月10日 (水)

Face Bookのメッセージが突然削除された(NO.1829)

 2024年7月7日、Face Bookに載せている「手賀沼通信ブログ」掲載のお知らせがすべて削除されました。何の通告もないので理由はわかりません。

 以下は私の推測です。最近SNSを使った犯罪や偽の広告などが話題になっています。それを防ぐため、WEBアドレスが入ったおしらせは削除するように決めたのではないかと思います。

 私はココログのプロバイダーを使って「手賀沼通信ブログ」を書いています。月に10回ほど書きますが、書くたびにFace Bookに、「「〇〇〇…」を手賀沼通信ブログに書きました。」というメッセージとブログのWebアドレスを載せていました。

 そのアドレスを書いているのが削除の原因になったようです。アドレス抜きのメッセージはそのまま残っています。使いにくい世の中になったものです。

 以前にも似たような経験をしました。私は月に1回「手賀沼通信」を書いています。ワードで作ったA4の4ページの新聞ですが、10年ほど前は約300人の読者にメールに添付してBCCで一括して送っていました。

 ところがWINDOW 7のライブメールで受けとっている人には、メールは届いても添付の「手賀沼通信」ははがされて届かなかったのです。

 ライブメール使用者が20人ほどいたので、その方には数人ずつ別に送ることになったのです。そうすればはがされることなく届きました。なぜはがされるのか理由はわかりませんでした。

 Net社会はわからないことが多すぎます。

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2024年7月 9日 (火)

イギリス、日本、フランスで行われた3つの選挙(NO.1828)

 2024年7月4日、イギリス下院議員の総選挙が行われ、労働党が定数650のうち410議席以上を獲得する勝利をおさめました。その結果14年ぶりに労働党のキア・スターマー首相が誕生することになりました。

 7月6日の読売新聞は労働党の大勝の原因を次のように述べています。

・保守党政権が主導した国民投票によってEUを離脱したが、社会の分断と混乱は深まり国民の多くは成果を実感できずにいる。

・EU離脱によって財政や政策の自由度が高まるとしていたが、景気低迷や物価高に歯止めがかからず、英国独自の移民受け入れ規制も、深刻な人手不足を招いている。

・保守党のジョンソン、トラス元首相やスナク首相の稚拙な統治が保守党離れを加速した。

・労働党のスタマ-党首は急進左派的な公約を取り下げ中道的な姿勢を示した。

 いま世界はいろいろな問題を抱えています。スタマ-首相がどう政権のかじ取りをするか見守りましょう。

 7月7日には東京都知事選挙が行われ、現職の小池百合子氏が3選を果たしました。

 小池さん約292万票、石丸さん約166万票、連舫さん約128万票の大差でした。

 小池さんの言葉によれば8年間の実績が認められたとのことです。石丸さんは無党派層の支持が多く善戦しました。20代、30代の投票数は3人の中で一番多かったようです。連舫さんは共産党との共闘が裏目に出たようです。

 今回の選挙は56人が立候補するなど異常でした。同じ党から何人も立候補したり、候補者名の立て看板に選挙と関係のないことが掲載されたようです。

 私は千葉県民なので実際に見ることはありませんでしたが、選挙管理委員会も想定外のことだったのではないでしょうか。次回はぜひ対策を考えてほしいと思います。

 フランスでは7日に国民議会の決選投票が行われました。左派政党連合が1位、マクロン大統領の与党連合が2位、極右政党「国民連合」が3位でした。

 1回目投票で1位となっていた極右政党は3位に下がりました。フランスは大統領制なので、これで国家元首が変わることはありませんが今後の政局運営は難しさを増すことでしょう。

 これからは自民党の総裁選挙、アメリカ大統領の選挙が控えています。両方とも問題を含んでいます。日本が、世界がどう変わるか、頭の痛いことばかりです。

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2024年7月 5日 (金)

老人の独り言-6 野球を楽しんだ人生(NO.1827)

 1945年(昭和20年)8月15日、日本は太平洋戦争に敗れました。この年私は国民学校3年生、8歳でした。戦争に敗れた後、国民学校は小学校と中学校に変わりました。中等学校は高校に変わったのです。

 プロ野球の記録をひも解いてみると、さすが敗戦の年は試合をやっていません。野球どころではなかったのです。ところが、1944年までは試合を開催していました。1944年は35試合戦っています。

 そして敗戦の翌年の1946年には試合を再開し105試合行っています。私の記憶では敗戦の年、敗戦が決まってから、愛媛県の郡中町のグラウンドでプロ野球の選手が練習をしていたのをかすかに覚えています。郡中町は空襲を受けなかったためグラウンドが使えたのです。選手の名前はわかりませんが、愛媛県出身の選手だったのでしょう。

 一方高校野球のほうはもう少し長く休んでいます。戦前・戦中は中等学校の大会でしたが、1941年(昭和16年)夏の大会から、戦後の1946年(昭和21年)春の大会まで中止しています。1946年夏から高校野球甲子園大会が再開されました。

 私の野球に対する興味も敗戦後です。プロ野球は巨人ファンとなり、高校野球は地元愛媛県の高校を応援することとなりました。

 遊びとして野球を始めたのも敗戦後です。町中の道路で三角ベースをした記憶があります。セカンドベースのないゴムまりを使った野球もどきの遊びでした。ゴムまりは手で打ちました。また海岸の砂浜で布で作ったボールと棒切れのバットを使って遊んだのも覚えています。

 ところがその後は私にとって野球はやるスポーツから見るスポーツになりました。短距離走と水泳は得意でしたが、球技は何をやっても人並み以下でした。

 野球は見るスポーツとして10代から80代まで人生を通して楽しんでいます。

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2024年7月 3日 (水)

新しい紙幣が発行された(NO.1826)

 2024年7月3日、20年ぶりに新紙幣が発表され流通が始まりました。

 新しいお札のデザインは次のように変わりました。

         旧      新

・1万円札 表 福沢諭吉 → 渋沢栄一

      裏 平等院鳳凰像 → 東京駅

・5千円札 表 樋口一葉 → 津田梅子

      裏 燕子花図 → 藤の花

・千円札  表 野口英世 → 北里柴三郎

      裏 富士山と桜の花 → 富岳三十六景「神奈川沖浪裏」

 渋沢栄一は「日本近代社会の創造者」「日本資本主義の父」と称される実業家です。生涯に約500の企業、約600の教育機関や医療機関の設立運営に携わり、社会の発展に大きく貢献しました。

 津田梅子は6歳の時に日本最初の女子留学生として岩倉使節団と渡米しました。帰国後いくつかの女子校で教授などを務めたのち、女子英学塾(現津田塾大学)を創設、女性の地位向上と女子高等教育に尽力しました。

 北里柴三郎は「近代医学の父」と呼ばれる細菌学者です。ドイツに留学、帰国後伝染病研究所を設立、ペスト菌を発見したことでも有名です。

 3人とも新しいお札の顔として国民に親しまれることとなります。

 新しいお札には偽造防止のため「3Dホログラム」が採用されています。3Dで表現された肖像画が回転するという最先端の技術です。この技術の銀行券への採用は世界初です。

 今はキャッシュレスの時代になりつつありますが、一方ではお札を機械で読み取る時代でもあります。金融機関をはじめとして、駅、スーパー、コンビニ、自販機など、お金を機械であつかうところでは、新札を読み取れる機械に入れ替える必要があり、手間と時間とコスト負担に大変なことと思います。

 私は利用者の一人として、大きな期待と小さな心配が交差しています。

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