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2024年7月 5日 (金)

老人の独り言-6 野球を楽しんだ人生(NO.1827)

 1945年(昭和20年)8月15日、日本は太平洋戦争に敗れました。この年私は国民学校3年生、8歳でした。戦争に敗れた後、国民学校は小学校と中学校に変わりました。中等学校は高校に変わったのです。

 プロ野球の記録をひも解いてみると、さすが敗戦の年は試合をやっていません。野球どころではなかったのです。ところが、1944年までは試合を開催していました。1944年は35試合戦っています。

 そして敗戦の翌年の1946年には試合を再開し105試合行っています。私の記憶では敗戦の年、敗戦が決まってから、愛媛県の郡中町のグラウンドでプロ野球の選手が練習をしていたのをかすかに覚えています。郡中町は空襲を受けなかったためグラウンドが使えたのです。選手の名前はわかりませんが、愛媛県出身の選手だったのでしょう。

 一方高校野球のほうはもう少し長く休んでいます。戦前・戦中は中等学校の大会でしたが、1941年(昭和16年)夏の大会から、戦後の1946年(昭和21年)春の大会まで中止しています。1946年夏から高校野球甲子園大会が再開されました。

 私の野球に対する興味も敗戦後です。プロ野球は巨人ファンとなり、高校野球は地元愛媛県の高校を応援することとなりました。

 遊びとして野球を始めたのも敗戦後です。町中の道路で三角ベースをした記憶があります。セカンドベースのないゴムまりを使った野球もどきの遊びでした。ゴムまりは手で打ちました。また海岸の砂浜で布で作ったボールと棒切れのバットを使って遊んだのも覚えています。

 ところがその後は私にとって野球はやるスポーツから見るスポーツになりました。短距離走と水泳は得意でしたが、球技は何をやっても人並み以下でした。

 野球は見るスポーツとして10代から80代まで人生を通して楽しんでいます。

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