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2024年8月30日 (金)

パリ・パラリンピックが始まった(NO.1847)

2024年8月28日第17回夏季パリ・パラリンピックが開幕しました。

 開会式はパリの中心部のコンコルド広場で午後8時(日本時間29日午前3時)から開催されました。

 私は録画しましたが、午前5時ごろには目が覚めたので6時半の終了までライブ放送を見ることになりました。

 競技場外で開会式が行われたのは、オリンピック同様史上初めてです。様々なダンスと音楽が彩を添えたのもオリンピックと同じでした。オリンピックが凝った趣向と不可解さで批判を浴びるアトラクションが多かったのに比べると、パラリンピックはわかりやすくすっきりしていたといえます。

 今回のパラリンピックは史上最多の167の国・地域と難民選手団の約4400人が参加、女性は過去最多の約2000人が参加します。ロシアとベラルーシの選手は国を代表しない個人としての参加です。

 日本は海外の大会としては過去最多の175人が参加し、アテネ大会の52個を超える最多のメダル獲得を目指します。

 選手団はセーヌ川の船でなく、凱旋門をくぐりシャンゼリゼ通りを行進してコンコルド広場に入場してきました。旗手は陸上男子走り幅跳びの石山大輝選手と競泳女子の西田杏選手でした。式典が終わると聖火はオリンピックと同じチュイルリー公園のバルーンの聖火台にともされました。コンコルド広場に花火が打ち上げられて開会式は終了しました。

 選手の皆さんの活躍を期待しましょう。

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2024年8月25日 (日)

今年の高校野球夏の甲子園大会は想定外のことが多かった(NO.1846)

 2024年8月23日高校野球夏の甲子園大会が終わりました。

 決勝戦は京都府の京都国際高校と東東京の関東一高校が対戦し、延長10回タイブレークで京都国際高校が2-1で優勝しました。延長タイブレークの決勝戦は初めてです。どちらが勝っても春夏を通じての初優勝でした。

 京都国際高校は1999年に前身の京都韓国学園が外国人学校として初めて京都大会予選に出場、初戦で京都成章に34-0で負けたことから始まります。2004年に私立校として現校名になりました。全校生徒140名ほどの小さな学校です。その高校が、西日本短大付属、智弁学園、青森山田などの伝統校を破って決勝戦に進出、見事優勝を果たしたのです。勝って歌われる校歌は韓国語でした。

 関東一校も明徳義塾、東海大相模、神村学園などの伝統校を破っています。大阪桐蔭、報徳学園、智弁和歌山、早稲田実業などの強豪も早々姿を消しました。

 今年の大会は低反発バット導入による投手優位が顕著でした。完封は昨年夏の7試合から17試合に増え、1点差の接戦は7試合から19試合に、1-0の試合は0から5試合に増えました。ホームランは1974年の金属バット導入以来最低の7本でした。

 かっての池田高校やPL学園の強打の試合を楽しんだファンとしてはやや寂しい大会でしたが、猛暑の中健闘した球児たちには「ご苦労さん。よく頑張ったね」と言いたいと思います。

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2024年8月21日 (水)

老人の独り言-10 高校野球の思い出-3(NO.1845)

 2024年8月21日、高校野球夏の甲子園大会は準決勝を戦っています。

 以前は開会式が始まると決勝戦まで、雨で中止にならない限り休みなく連日試合が行われましたが、最近は選手の健康、特に投手の疲労を考えて休日を設けるようになりました。

 年によってやり方が変わり、今年は開会式から3日間、午前試合開始と夕方開始に分けたり、準々決勝、準決勝、決勝の前日は休養日をとったりしています。夏の暑さが年々ひどくなっているせいもあるのでしょう。

 高校野球の昔の思い出の3回目です。

 高校野球で怪物と言われたのが作新学院の剛速球投手江川卓です。高校生活は1971年(昭和46年)~1973年(昭和48年)でした。

 チームが江川だけと言っていい弱いチームだったため、甲子園に出たのは3年生の春と夏だけで、春は準決勝で夏は2回戦で敗退していますが、高校3年間の実績は全国に鳴り響きました。

 江川は甲子園を含む公式戦に44試合登板、31試合完投、内ノーヒットノーラン7回、完全試合2回、それ以外の試合でもほとんどが1安打か2安打です。栃木県予選では1年生の準々決勝で完全試合、2年生では完全試合1回、ノーヒットノーラン2回、3年生の時はノーヒットノーラン3回を達成しています。

 高校野球にさわやかさと力強さをもたらしたのは、蔦監督率いる池田高校でした。1974年(昭和49年)春にはわずか11人で甲子園に初出場し、準優勝して「さわやかイレブン旋風」を巻き起こしました。

 そして1982年(昭和57年)~1983年(昭和58年)夏には強力打線で高校野球に革命をもたらしたのです。全員がグリップいっぱいにバットをもってフルスイングしてくる打線は、準々決勝で荒木大輔投手の早稲田実業を14-2で破り、決勝では広島商業を12-2で降ろしました。蔦監督はバントではなく「打って点を取る」ことを重視して打線を徹底的に鍛えたのです。

 そして翌年春には巨人入りした水野投手を擁して優勝したのです。そして夏には、春、夏、春の3連覇を目指して勝ち進みました。

 それを阻んだのが、桑田、清原の1年生コンビのPL学園です。準決勝でPL学園と池田高校が対戦しPLが7-0で勝ちました。

 高校生が高校野球に出られるのは、1年の夏から3年の夏までの5回ですが、桑田と清原はそのすべてに出場しています。そして、優勝、準優勝、準優勝、ベスト4、優勝と抜群の成績を残しました。桑田は1年の時からエースを務め、清原は1年の時から4番打者でした。

 最近の出場校から、池田高校とPL学園の名前が消えたのは寂しい限りです。

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2024年8月18日 (日)

老人の独り言-9 高校野球の思い出-2(NO.1844)

 2024年8月18日、高校野球の夏の甲子園大会が終盤を迎えました。ベスト8が決まり明日は準々決勝を迎えます。

 私が高校野球を応援し始めたのは、確か1949年(昭和24年)中学1年生のころからと思います。

 当時は甲子園に行くには各県の予選を勝ち抜いた後、もう1試合戦う必要がありました。私のふるさと愛媛県では、愛媛県代表が隣の香川県代表に勝ってやっと甲子園に行けたのです。今のように各県1校(東京と北海道は2校)となったのは、1958年(昭和33年)の第60回大会からです。

 高校野球の思い出はたくさんあります。記憶に新しい最近の思い出はしまっておいて、古い思い出を手繰ってみたいと思います。

 延長戦での思い出です。

 延長戦が18回引き分け、翌日再試合となったのは1958年(昭和33年)からです。早速その年にそのルールが適用される第1号が生まれました。

 徳島県の徳島商業と富山県魚津高校の準々決勝での試合です。

 徳島商業の板東英二投手と魚津高校の村椿輝夫投手が息詰まる投手戦を展開、ついに0-0のまま18回を迎え、引き分け再試合となりました。再試合も阪東が先発、村椿は4回からリリーフで登板しました。再試合は徳島商業が3-1で制しました。

 阪東は疲労からか決勝戦では7-0で柳井高校に敗れましたが、引き分け再試合を含めた、6試合通算83奪三振記録は今も破られてはいません。

 甲子園史上最高の試合の1つと言われるのが、1979年(昭和54年)夏の和歌山県の簑島高校と石川県の星稜高校との3回戦です。

 試合は延長17回、さよならゲームで簑島高校が勝ちましたが、延長に入って星稜高校が勝つチャンスが2度ありました。12回も16回も2死からホームランで追いつかれました。特に16回は簑島のバッターが1塁ファールフライを打ち上げ、一塁手が捕ったと思た瞬間、グラウンドに敷いてあった人工芝に足を取られて転倒、その後に飛び出したホームランでした。

 1998年(平成10年)松坂大輔投手を有する横浜高校が春夏連覇を達成しました。

 夏の甲子園では準々決勝で対戦したPL学園と対戦し、延長17回横浜高校が9-7で逃げ切りました。2回にPLが先制すると、横浜が追いつき、さらにPLがリードすると横浜が追いつき、延長に入って今度は横浜がリードするとPLが追いつき、さらに16回また横浜がリードするとPLが追いつき、17回のツーランホーマーで横浜がリードし、松坂が何とかリードを守って勝ったのです。

 延長戦にはドラマがあるとつくづく感じています。

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2024年8月13日 (火)

パリオリンピックが終了した(NO.1843)

 2024年8月11日、17日間にわたって行われたパリオリンピックが閉幕しました。

 パリでは100年ぶりの3回目のオリンピックです。開会式はセーヌ川から選手団が入場するという大胆な演出で話題を呼びました。

 また消費電力を太陽光発電でまかなったり、ペットボトルをできるだけ使わない工夫をしたり、選手村の食材に有機野菜を多く使うなどという持続可能なオリンピックを目指しました。

 開会式の演出にローマ法王庁からクレームがついたり、会や競技の運営にミスが目立ったり、選手村にクーラーがなく食事に肉が少ないことから選手からは評判が悪いなどということはありましたが、まずは大きな事件がなく無事終了しました。

 上位5か国のメダル数は下記のとおりです。

  国    金  銀  銅  合計

・アメリカ 40 44 42 126

・中国   40 27 24  91

・日本   20 12 13  45

・豪州   18 19 16  53

・フランス 16 26 22  64

 日本は海外でのオリンピックでは金メダル数、メダル総数とも過去最高の成績です。またメダル数で3位になるのは1968年のメキシコ大会以来です。

 日本得意のレスリングや柔道や男子体操での活躍が際立っており、また今まであまりメダルの取れなかった、フェンシング、飛び込み、セーリング、近代五種、馬術、ゴルフ、女子やり投げなどでメダルが増えたり取れたりしました。

 閉会式は11日の午後9時から陸上競技場などのスタッド・ド・フランスで行われました。

 聖火台からフランスの競泳の王者マルシャンが小さな聖火灯に移された聖火を徒歩で運ぶところから始まり、旗手に続いて選手の入場、アトラクション、式典、次の開催地ロサンゼルス市長へのオリンピック旗の引継ぎと続きました。

 次にハリウッドのスター、トム・クルーズが競技場の屋根からロープで飛び降り、旗をもってバイクで走り去り、そこから映像に変わって飛行機などを乗り継いでロスの海岸沿いの舞台に持ち込まれるという演出がありました。 

 最後は競技場に届いた聖火灯をマルシャン他が吹き消し、競技場の周りに花火が打ち上げられてオリンピックは終了しました。見事な閉会式でした。

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2024年8月11日 (日)

あの時あの場所この1枚-33 徳島阿波おどり(NO.1841)

 2024年8月11日~15日、徳島市で阿波おどりが開催されます。

 8月8日に宮崎沖で震度6弱の地震が発生しました。気象庁は「南海トラフ地震臨時情報」をだし、1週間ほど巨大地震に注意するよう警告しています。それを受けて各地でイベントが中止されるなどの影響が出ていますが、阿波踊りとよさこい祭りは予定通り開催されています。

 11年前の2013年8月12日、阿波おどり見物をしました。先日書いたブログの続きになります。

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 徳島市の阿波おどりは日本三大盆踊りの1つで400年以上の歴史を持っています。

 私たちは藍場浜演舞場という有料演舞場で見物しました。「連」と呼ばれるグループ単位で、衣装や趣向を凝らした踊りが続きます。踊りには、腰を低く落としてダイナミックに踊る「男踊り」と、手を高く上げてしなやかの踊る「女踊り」があります。

 音楽は「ぞめき」と呼ばれ、三味線、増え、鉦、締太鼓、大太鼓からなる「鳴り物」です。

 おどりは18時から始まりました。

 最初に入ってきたのは有名連の1つの「阿呆連」でした。阿呆連と書かれた提灯に続いて、華やかな女踊り、元気な男踊り、鳴り物と続きました。

 連には有名連のほかに、企業連、誰でも参加できるにわか連などがありました。子供たちのかわいい踊りもありました。

 入れ替えまでの2時間があっという間に過ぎたのを覚えています。

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2024年8月10日 (土)

あの時あの場所この1枚-32 高知よさこい祭り(NO.1840)

 2024年8月10日~12日、「高知よさこい祭り」が開催されています。

 11年前の2013年8月11日から13日まで、「四国夏祭り」のツアーに妻と参加しました。

 私は愛媛県伊予市の出身ですが、同じ四国の高知県には1度行っただけ、徳島県には足を運んだことはありませんでした。このツアーで初めて「よさこい祭り」と「阿波踊り」見たのです。

 8月11日、高知市のホテルニッコーで本場のカツオたたきの夕食をとったあと、国道の鋪道に設けられた桟敷席でよさこい祭りを見物しました。そこは審査やテレビの生中継の行われる追手筋本部競演場でした。

 よさこい祭りは1954年に徳島の阿波踊りに対抗するため商工会議所有志によって始められました。その年で第60回大会でした。

 よさこい踊りはその後北海道のソーラン踊りと結びついて、札幌で開催される「YOSAKOIソーラン祭り」として世界規模のイベントに発展しました。

 「よさこい祭り」は、よさこい鳴子踊り」で始まり、「よさこい節」が続き、そのあとはお囃子や自由な曲を組み合わせて踊ります。踊りは自由な振り付け、衣装も自由なデザインです。曲や踊り方が決まっている阿波おどりとは両極端です。

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 踊りは各グループ単位でパレード形式で行われます。グループの先頭は地方(じかた)車と呼ばれるトラックで、音量を最大にしたオーディオ機器を鳴らして先導します。トラックには屋根を設え、屋根の上には歌い手が乗っています。

 そのうしろにリーダーがいて踊り子の集団が続きます。グループごとに趣向を凝らし見事にそろって踊ります。優秀なグループは表彰されるようです。

 土佐のエネルギーが感じられ感動した一夜でした。

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2024年8月 7日 (水)

あの時あの場所この1枚-31 仙台七夕まつり(NO.1839)

 今仙台では七夕まつりが行われています。

 10年前の2014年8月7日、仙台七夕まつりを見物しました。前回のブログの続きで、「東北三大祭り」ツアーの最終日です。

 私は1975年6月から1978年3月まで、仙台に勤務していました。約50年前のころです。会社は仙台の中心部にあったので、七夕まつり期間中はまつり飾りの下を通って通勤していました。初めて見る豪華な七夕に驚いたことを記憶しています。

 ところがそのころの写真はデジカメがない時代だったのでフィルムで撮ったのですが、1枚も残っていません。

 この1枚は10年前の写真です。40年前の若き日を懐かしみながら歩いたのを覚えています。

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 おそらく40年前よりは飾りも一層豪華になったのではないでしょうか。

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2024年8月 5日 (月)

あの時あの場所この1枚-30 秋田竿燈まつり(NO.1838)

 今秋田市では竿燈まつりが開催されています。

 10年前の2014年8月6日、秋田竿燈まつりを見物しました。前々回の手賀沼通信ブログで青森ねぶた祭りを書きましたがその翌日です。

 角館で武家屋敷を見物していたときは曇り空でしたが、秋田カントリークラブで早めの夕食をとっているあいだに激しい雨になりました。

 雨が激しい時は竿燈は中止になると聞いていたので半ばあきらめていたのですが、最終日だったので無理を承知で実施してくれたのかもしれません。実施と聞いたときは大拍手でした。

 竿燈会場は秋田市の中心街の大通りです。そこに桟敷席が設けられていました。ねぶたと同じように傘は禁止です。昨日と同じようにポンチョとビニールズボンをつけて桟敷席の最上段に座りました。

 間もなく竿燈の一団が入ってきました。ねぶたは前に進みますが、竿燈は同じところにとどまって演技を披露します。手、額、肩、腰などで竿燈を支えます。

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 一番大きいのは、高さ12メートル、重さ50キロ、64センチの提灯が46個ついているとのことでした。雨の中、ずらっと並んだ竿燈の集団は圧倒的な迫力でした。

 雨が激しくなったので予定時間を半分に切り上げて終了しました。でも雨の中の竿燈見物は貴重な経験となりました。

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2024年8月 4日 (日)

2024年手賀沼花火大会(NO.1837)

 2024年8月3日、手賀沼花火大会が開催されました。

 8月の最初の土曜日は花火大会が集中するようです。テレビやスマホによると、千葉県だけでも10カ所で花火大会が行われ、この日に全国で打ち上げられる花火の総数は45万発だそうです。

 手賀沼花火大会は柏第1会場、柏第2会場、我孫子会場の3カ所から、7時10分から8時10分まで、合計1万3500発の花火が打ち上げられました。

 私たちは手賀沼公園近くの長男のマンションで食事を楽しんだあと、ベランダから3カ所の花火の競演を楽しみました。マンションは最上階の5階で見晴らしがいいため、手賀沼花火以外にも遠くの2カ所で打ち上げられている花火を眺めることができました。

 我孫子会場の写真は午後3時ころ撮ったものです。場所取りと会場の準備がほぼ完了していました。

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 花火の写真はベランダからとりましたが、古い携帯カメラで撮ったもので、カメラと腕が悪いためお粗末なものになりました。

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 私たち夫婦は、長男の家族3人と1匹に歓待されて楽しい夏の1夜を過ごすことができました。

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2024年8月 3日 (土)

あの時あの場所この1枚-29 青森ねぶた祭(NO.1836)

 10年前の2014年8月5日から7日まで東北三大祭り見物の旅に妻と行きました。クラブツーリズム主催のツアーです。

 まず最初は青森のねぶたでした。

 旅の途中で降り出した雨は、ねぶたが始まると大雨になりました。始まる前にねぶたの基地になっているラッセランドに立ち寄りました。ねぶたは雨でも中止になりませんが、針金と和紙でできているねぶたは雨に弱いため、特大のビニールシートで被う作業をしていました。

 アップルパレスホテルで忙しい夕食を取った後、決められた桟敷席に向かいました。桟敷席は歩道にパイプいすを並べたもので私たちは一番前になっていました。

 雨具をつけてつけて待っていると7時10分にねぶたがスタートしました。オープンカーに乗ったミスねぶたに続き、大太鼓、そのあとがねぶたです。

 ねぶたは1台の大型ねぶたと、太鼓・笛・鉦(かね)のねぶた囃子と跳人(ハネト)で構成されています。

 ねぶたは一つのテーマで作られ、正面と側面と背面に違った絵が描かれています。

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 ハネトはねぶた囃子に合わせて「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声とともに飛び跳ねます。でも雨のせいか疲れたせいか飛び跳ねないで歩くだけのハネトも少なくありませんでした。

 雨の中のねぶた祭りを楽しんだ夏の一晩でした。

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