老人の独り言-10 高校野球の思い出-3(NO.1845)
2024年8月21日、高校野球夏の甲子園大会は準決勝を戦っています。
以前は開会式が始まると決勝戦まで、雨で中止にならない限り休みなく連日試合が行われましたが、最近は選手の健康、特に投手の疲労を考えて休日を設けるようになりました。
年によってやり方が変わり、今年は開会式から3日間、午前試合開始と夕方開始に分けたり、準々決勝、準決勝、決勝の前日は休養日をとったりしています。夏の暑さが年々ひどくなっているせいもあるのでしょう。
高校野球の昔の思い出の3回目です。
高校野球で怪物と言われたのが作新学院の剛速球投手江川卓です。高校生活は1971年(昭和46年)~1973年(昭和48年)でした。
チームが江川だけと言っていい弱いチームだったため、甲子園に出たのは3年生の春と夏だけで、春は準決勝で夏は2回戦で敗退していますが、高校3年間の実績は全国に鳴り響きました。
江川は甲子園を含む公式戦に44試合登板、31試合完投、内ノーヒットノーラン7回、完全試合2回、それ以外の試合でもほとんどが1安打か2安打です。栃木県予選では1年生の準々決勝で完全試合、2年生では完全試合1回、ノーヒットノーラン2回、3年生の時はノーヒットノーラン3回を達成しています。
高校野球にさわやかさと力強さをもたらしたのは、蔦監督率いる池田高校でした。1974年(昭和49年)春にはわずか11人で甲子園に初出場し、準優勝して「さわやかイレブン旋風」を巻き起こしました。
そして1982年(昭和57年)~1983年(昭和58年)夏には強力打線で高校野球に革命をもたらしたのです。全員がグリップいっぱいにバットをもってフルスイングしてくる打線は、準々決勝で荒木大輔投手の早稲田実業を14-2で破り、決勝では広島商業を12-2で降ろしました。蔦監督はバントではなく「打って点を取る」ことを重視して打線を徹底的に鍛えたのです。
そして翌年春には巨人入りした水野投手を擁して優勝したのです。そして夏には、春、夏、春の3連覇を目指して勝ち進みました。
それを阻んだのが、桑田、清原の1年生コンビのPL学園です。準決勝でPL学園と池田高校が対戦しPLが7-0で勝ちました。
高校生が高校野球に出られるのは、1年の夏から3年の夏までの5回ですが、桑田と清原はそのすべてに出場しています。そして、優勝、準優勝、準優勝、ベスト4、優勝と抜群の成績を残しました。桑田は1年の時からエースを務め、清原は1年の時から4番打者でした。
最近の出場校から、池田高校とPL学園の名前が消えたのは寂しい限りです。
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