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2024年8月18日 (日)

老人の独り言-9 高校野球の思い出-2(NO.1844)

 2024年8月18日、高校野球の夏の甲子園大会が終盤を迎えました。ベスト8が決まり明日は準々決勝を迎えます。

 私が高校野球を応援し始めたのは、確か1949年(昭和24年)中学1年生のころからと思います。

 当時は甲子園に行くには各県の予選を勝ち抜いた後、もう1試合戦う必要がありました。私のふるさと愛媛県では、愛媛県代表が隣の香川県代表に勝ってやっと甲子園に行けたのです。今のように各県1校(東京と北海道は2校)となったのは、1958年(昭和33年)の第60回大会からです。

 高校野球の思い出はたくさんあります。記憶に新しい最近の思い出はしまっておいて、古い思い出を手繰ってみたいと思います。

 延長戦での思い出です。

 延長戦が18回引き分け、翌日再試合となったのは1958年(昭和33年)からです。早速その年にそのルールが適用される第1号が生まれました。

 徳島県の徳島商業と富山県魚津高校の準々決勝での試合です。

 徳島商業の板東英二投手と魚津高校の村椿輝夫投手が息詰まる投手戦を展開、ついに0-0のまま18回を迎え、引き分け再試合となりました。再試合も阪東が先発、村椿は4回からリリーフで登板しました。再試合は徳島商業が3-1で制しました。

 阪東は疲労からか決勝戦では7-0で柳井高校に敗れましたが、引き分け再試合を含めた、6試合通算83奪三振記録は今も破られてはいません。

 甲子園史上最高の試合の1つと言われるのが、1979年(昭和54年)夏の和歌山県の簑島高校と石川県の星稜高校との3回戦です。

 試合は延長17回、さよならゲームで簑島高校が勝ちましたが、延長に入って星稜高校が勝つチャンスが2度ありました。12回も16回も2死からホームランで追いつかれました。特に16回は簑島のバッターが1塁ファールフライを打ち上げ、一塁手が捕ったと思た瞬間、グラウンドに敷いてあった人工芝に足を取られて転倒、その後に飛び出したホームランでした。

 1998年(平成10年)松坂大輔投手を有する横浜高校が春夏連覇を達成しました。

 夏の甲子園では準々決勝で対戦したPL学園と対戦し、延長17回横浜高校が9-7で逃げ切りました。2回にPLが先制すると、横浜が追いつき、さらにPLがリードすると横浜が追いつき、延長に入って今度は横浜がリードするとPLが追いつき、さらに16回また横浜がリードするとPLが追いつき、17回のツーランホーマーで横浜がリードし、松坂が何とかリードを守って勝ったのです。

 延長戦にはドラマがあるとつくづく感じています。

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