老人の独り言-12 プロ野球の歴史-2つのリーグの誕生(NO.1851)
1950年、プロ野球はセントラルリーグとパシフィックリーグに分かれました。
2つのリーグが誕生したのは、いろいろ複雑な事情がありましたが、要はプロ野球が国民の娯楽として注目されるようになったため、球団を持ちたいという企業が増えたためです。戦後の惨状から、国民も企業も回復しつつありました。
1950年の両リーグのチーム構成は次の通りです。
セントラルリーグ
・読売ジャイアンツ
・阪神タイガース
・中日ドラゴンス
・松竹ロビンス
・大洋ホエールズ
・国鉄スワローズ
・広島カープ
・西日本パイレーツ
パシフィックリーグ
・南海ホークス
・阪急ブレーブス
・東急フライヤーズ
・大映スターズ
・毎日オリオンズ
・西鉄クリッパーズ
・近鉄パールズ
新チームが誕生するにあたっては激しい引き抜き合戦が行われました。ショックだったのは阪神の別当薫など有力5選手が毎日に移ったことです。
毎日オリオンズはこの年、その5選手と都市対抗の名門星野組から獲得した火の玉投手荒巻淳などの活躍で、松竹ロビンスを日本シリーズで破りました。
その後いろいろな経緯を経て、セ・リーグは読売、阪神、中日、広島、ヤクルト、DeNAの6チームになりました。
最初の4チームは最初から変わりませんが、ヤクルトは国鉄から、DeNAは大洋と松竹から変ってベイスターズになりました。
パ・リーグはソフトバンク、オリックス、ロッテ、日本ハム、西武、楽天の6チームになりました。
ソフトバンクは南海から、オリックス・バッファローズは阪急と近鉄から、ロッテ・マリーンズは毎日と大映から、日本ハム・ファイターズは東急から、西武ライオンズは西鉄と西日本から変わりました。チームの愛称名があるのはチーム名も変わったところです。
楽天ゴールデンイーグルスは、2005年にパ・リーグでリーグを廃止して1リーグに統一するという騒動が起こったときにそれを阻止するために新しく生まれた球団です。
2リーグ制になったときは観客動員数は両リーグでそれほど変わらなかったのですが、次第にパ・リーグの観客が減少し経営が成り立たなくなった球団が増えたため、一部の球団で1リーグに戻す動きが出てきました。
2005年にその動きを止めるため、楽天が生まれて2リーグ制で行くことが再確認されて以後、球団経営のやり方が見直されパリーグの観客が劇的に増えました。
今はWBCで日本が優勝したり、アメリカでの大谷選手の活躍などもあって、プロ野球の人気が一層高まっています。
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