« 被団協にノーベル平和賞が与えられる(NO.1858) | トップページ | あの時あの場所この1枚-35 パリ郊外のモネの庭園(NO.1860) »

2024年10月20日 (日)

命を救われる(NO.1859)

 2024年10月15日慈恵大柏病院に行きました。

 数か月前から朝ごみ捨てに往復100メートルほど歩くと、息切れがして胸や背中が痛くなりました。自分の部屋を掃除しただけでも同じ症状が出ることもありました。かかりつけ医で心電図を取ってもらったらちょっと異常があるとのこと、精密検査をするため、慈恵大病院に紹介状を書いてもらいました。それで15日に行くことになったのです。

 少し不安はなりましたが、どちらかというと軽い気持ちで循環器内科受付に行ったのです。診察前に血液検査と心電図を取りました。

 それから診察を受けたのですが、いきなり言われたのが「心筋梗塞です。入院してもらいます」でした。いきなり頭を殴られた感じでした。

 妻には慈恵大病院で検査を受けてくるとしか言っていません。入院の準備など何もしていませんでした。

 担当医の中山先生から治療の説明がありました。以前新東京病院で入れたステントのところが詰まっている可能性があるので、カテーテル検査をして、悪いところに新たにステントを入れるかもしれないとのことでした。

 後で知ったことですが、病院から妻と息子に電話をしていただき二人が駆けつけてくれました。

 カテーテル治療は1時間以内で終わりました。その後はICUに入りました。詳しいことは別室で先生から妻と息子の説明があり、入院に必要なものを持って来たり、売店で購入するよう言われたようです。

 ICUで落ち着いたころ、先生から治療は従来のステントに小さなステントをつなげたと説明がありました。大腸憩室出血を防ぐため、私の判断で飲み続けていた血液さらさらの薬をやめたのも今回の病気の一因になっていると言われました。

 ICUでは両腕に動脈とつないだ点滴をしながらいろいろな検査が続きました。全く眠れない夜でした。

 翌日のお昼前に一般病室に移ることができました。そして10月19日に退院したのです。

 今回はそのままにしておくと死につながる病気でした。先生や看護師やスタッフの方に命を救われたと実感しました。またいろいろサポートしてくれた妻や息子や娘に感謝、感謝です。

 入院中西田敏行さんが虚血性心疾患でなくなりました。わが身と比較し深く感じることがありました。

 退院した翌日にこのブログを書いていますが、15日からの5日間がまるで夢の中だったような感じを抱いています。

 

 

 

| |

« 被団協にノーベル平和賞が与えられる(NO.1858) | トップページ | あの時あの場所この1枚-35 パリ郊外のモネの庭園(NO.1860) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 被団協にノーベル平和賞が与えられる(NO.1858) | トップページ | あの時あの場所この1枚-35 パリ郊外のモネの庭園(NO.1860) »