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2024年11月29日 (金)

老人の独り言-13 プロ野球の歴史-フランチャイズ球場-1(NO.1864)

 プロ野球12球団はそれぞれの球団のフランチャイズ球場を持っています。その歴史をたどってみましょう。

 2度に分け、1回目はドーム球場の球団です。

 最初にドーム球場を持ったのは読売ジャイアンツです。1988年東京ドームが後楽園競輪場の跡地に完成しました。日本初のドーム球場です。アメリカのメジャーリーグでは1965年テキサス州ヒューストンに世界初のドーム球場アストロドームが完成して、ヒューストン・アストロズのホーム球場となっていました。東京ドームはそれを見習ったのではないかと思われます。

 ジャイアンツは後楽園球場から東京ドームに移りました。雨風にも暑さ寒さにも関係なく観戦ができる快適な球場です。後楽園球場は比較的簡単にチケットが買えましたが、東京ドームの巨人戦のチケットはプラチナチケットに変わりました。

 2番目は1993年のソフトバンクの福岡ドームです。日本で初めて開閉式の屋根を持つ球場です。

 3番目は1997年に完成した名古屋ドームと大阪ドームです。

 中日ドラゴンスは中日球場から名古屋ドームに拠点を移しました。

 大阪ドームは完成時は近鉄バッファローズの本拠地でした。2004年にオリックス・ブルーウェーブが近鉄バッファローズを吸収合併して、オリックス・バッファローズの球場になったのです。

 5番目は1999年に改造した西武ドームです。1979年に完成した西武球場は福岡平和台球場から西武に移ったライオンズの本拠地でした。当初は屋根のない球場でしたが、1999年に屋根を付けドーム球場に改造しました。屋根とスタンドの間の壁はなく、空調もありません。ドーム球場としては中途半端な感じです。

 6番目は2023年に完成したエスコンフィールドの日本ハムです。開閉式の屋根を持った遊び心満天の最新のドーム球場です。日本ハムは2004年に東京から、2001年に建設された札幌ドームに本拠地を移しました。そして昨年エスコンフィールドに移ったのです。理由は札幌ドームが札幌市の所有でサッカーや他のイベントと競合することや独自の収益が得られないことなどから、自由に使える自社関連のエスコンフィールドに本拠地を移すことになったようです。

 今はプロ野球の半数の球団、最北と最南の球団がドーム球場を使用しています。

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2024年11月23日 (土)

大谷選手が3度目のMVPを受賞(NO.1863)

 2024年11月21日、ドジャースの大谷翔平選手がナショナルリーグのMVPに選ばれました。アメリカンリーグのエンゼルス時代の2021年、2023年続いて2年連続3度目の受賞となりました。

 今回のMVPはいくつかの記録がついています。

・3回連続「満票」は初めて

・指名打者のMVPは初めて

・3度目の受賞は歴代2位タイの12人目

・両リーグでの受賞はオリオールズのフランク・ロビンソン以来の58年ぶりの2人目

・リーグをまたいでの2年連続は初めて

 などです。

 今シーズンの大谷選手の記録は次の通りです。

・54ホームラン 2年連続のホームラン王

・130打点 日本人初の打点王

・3割1分の打率 リーグ2位

・59盗塁 リーグ2位

・50ホームラン-50盗塁 メジャー初

 今年の大谷選手は悪いニュースとして通訳の水原一平氏の違法賭博発覚・解雇から始まりましたが、それを打ち消すように真美子さんとの結婚や愛犬デコピンの始球式などいい話題を提供してくれました。

 そしてホームランと打点の2冠、50-50の達成、ワールドチャンピオンの獲得と素晴らしい結果を残しました。

 大谷選手は「今回のMVPはチームの仲間を代表してもらったようなもの」と語っています。来年はピッチャーとしての活躍も期待されています。

 おめでとう 大谷翔平!

 がんばれ 大谷翔平!

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2024年11月17日 (日)

入院生活の時間を忘れさせてくれた出来事(NO.1862)

 2024年11月9日に慈恵医大柏病院を退院して1週間たちましたが、まだ元の生活には完全には戻っていません。食事に制限を設けていることと禁酒していることです。11月20日に同病院で外来の診察があるのでそのときには禁酒が解けるのではないかと期待しています。

 手賀沼通信ブログも以前のようなペースで書けていません。頭もまだ元に戻っていないようです。最近の1週間はブログで取り上げるような事件もありません。

 ところが10月26日から11月9日の入院中には大きな出来事が4つとささやかな出来事が1つありました。それらのテレビ放送が入院生活の退屈な時間を忘れさせてくれたのです。

 大きな出来事の1つ目は衆議院議員選挙と政府与党の敗北です。10月27日の選挙では自民党と公明党が大幅に当選者を減らしました。両党合わせても過半数の議席は取れませんでした。

 2つ目はドジャースのワールドシリーズ制覇です。試合もシャンパンファイトも優勝パレードも午前中のテレビ放送だったので十分に楽しむことができました。いろいろな局で何度も同じシーンを取り上げていましたが、チャンネルを替えながら追っかけて見ていました。

 3つ目は日本シリーズでした。どちらのファンでもなかったのですが、DeNAの下剋上に期待をかけていました。その通りになったのでよかったです。ただ、病室は9時消灯でしたのでテレビは途中で打ち切ることになり、スマホで結果だけ追っかけることになりました。

 4つ目はアメリカの大統領選挙です。トランプが勝ったのは残念でしたが、時間つぶしにはなりました。

 ささやかな出来事は全日本大学駅伝で國學院大學が初優勝したことです。孫娘が國學院大學の1年生ですが、駅伝に強いということは知りませんでした。今年の出雲駅伝に優勝したことも知りませんでした。来年の箱根駅伝に勝てば3冠ということになります。

 入院中の15日間にこれだけの出来事をテレビで楽しめたのは、病気が想定外だっただけに、想定外が重なった感じでした。おかげで1枚千円のテレビカードの消費も想定外に増えました。

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2024年11月12日 (火)

今回の入院生活(NO.1861)

 2024年10月23日以来20日ぶりのブログです。

 10月15日に心筋梗塞で入院し、10月19日に退院していましたが、1週間後の26日に大腸憩室出血を再発して再度慈恵医大柏病院に入院しました。最初の入院は5日間で済みましたが、2度目は15日間になりました。

 今回の入院生活を振り返ってみたいと思います。

 私は今までけがやいろいろな病気で5つの病院に延べ10回以上入院しています。50歳の時バイクで転んで約1か月入院しました。それが最初で最長の入院でした。検査入院など短い時は1日で済んでいます。 

 大腸憩室出血は手術など特別な処置はありません。絶食して止血剤と栄養補給の点滴が主です。出血が止まったら食事が出始めます。栄養剤のジュースから始まり、流動食、3分がゆ、5分がゆ、普通食で退院となります。

 途中で検査が入ります。血液検査、心電図、レントゲン、CT,エコー、内視鏡などです。心電図は心筋梗塞治療直後だったためかもしれません。携帯用の機器で胸に張り付けたコードにつながっています。機器は24時間パジャマのポケットに入れるしかありませんでした。結構重く、トイレで落とさない注意が必要で、最大のストレスになりました。

 考えてみれば、大けがや命にかかわる病気などで入院している人に比べれば、私の入院生活の不満やストレスはぜいたくな悩みでした。私の入院生活は早く血を止めて、早く退院することでした。痛いところや苦しいところはありません。退屈さを抑えて、なんとか時間をやり過ごし、退院まで待つのが仕事でした。

 時間を過ごす方法は、テレビ、読書、スマホでした。テレビは1000円のカードで12時間くらい見られます。ちょうど野球のワールドシリーズや日本シリーズの時期でしたので十分楽しめました。病室は朝6時に電気がつき、夜9時が消灯です。

 1日3回、検温、血圧、血糖値の検査があります。体重測定は1日1回です。看護師がベッドまで来てくれます。食事がとれるようになると、8時、12時、18時に看護師が病室まで運んでくれます。

 トイレはいつもきれいに掃除されていました。私の場合は大便に病気が反映されるため、大便の時はスマホで写真を撮りました。血便が出たときは看護師を呼ぶと看護師が写真を撮っていました。

 病室は6人部屋でした。隣の空きベッドの写真です。

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 家族などの面会は予約制で、面会所で行います。以前は病室で面会できたのですが、コロナで規制が厳しくなったようです。

 家に帰りいつもの生活に戻って、普通の生活の良さをしみじみと感じています。

 

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