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2024年12月27日 (金)

元最高裁判所長官山口繁氏が亡くなられた(NO.1871)

 2024年12月25日の読売新聞朝刊に、「山口繁元最高裁長官死去 92歳 司法制度改革を推進」というタイトルで死亡記事が載っていました。

 山口繁さんとは地元の若松ふれあい会で親しくさせていただきました。10年ほどのお付き合いでした。週1回の防犯パトロールをご一緒し、別の曜日でしたが小学生の下校見守りをお願いしました。

 最初お会いした時は同じ自治会の住民同士ということで、山口さんがそんな立派な経歴をお持ちということは全く知りませんでした。

 気さくな気取らないお人柄で、言いたいことを言い合う、5歳くらい年上の先輩、という理解でした。山口さんの前歴がわかったのは、ふれあい塾の講師として紹介されたチラシに「元最高裁判所長官」と載っていたためです。

 講演のタイトルは、「江戸という時代③ 公事吟味の心得-江戸裁きの心構え」でした。前歴のお仕事とは直接は関係ないと思いますが、そういうことも研究されていたのかと感銘を受けたのを記憶しています。

 山口さんとは、お互い高齢のためふれあい会をやめてからお会いすることはなくなりした。お元気でおられるということは元会員から聞いたことはありました。亡くなられたことを知ったのは、25日の新聞でした。

 心よりご冥福をお祈りいたします。 

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2024年12月21日 (土)

2024年海外10大ニュース(NO.1870)

 2024年12月20日、読売新聞の読者が選んだ「2024年海外10大ニュース」が決まりました。

1 米大統領選、トランプ氏が勝利

2 トランプ氏狙った暗殺未遂事件

3 大谷翔平の通訳を球団が解雇

4 中国で日本人児童が刺殺される

5 台湾でM7.7の地震

6 北朝鮮軍部隊のロシアでの戦闘を確認

7 ガザ戦闘1年、死者4万1000人超

8 露大統領選でプーチン氏通算5選

9 スウェーデンのNATO加盟決定

10 ウクライナ軍、露西部に越境攻撃

 読売新聞が用意した11月までの49項目から10項目を選んで応募する方法です。

 有効応募総数は昨年の17,684通より若干増えて19,722通でした。年代別では70歳以上が30%、60歳代が27%、50歳代が17%でした。

 全項目的中者は昨年より1人減って2人でした。全体では5項目的中者が最も多く25.5%でした。

 私も応募しました。3年連続で6項目しか的中しませんでした。いつも海外ニュースは国内に比べると成績が振るいません。不勉強のせいでしょう。

 6、8,9,10の代わりに、

12 金正恩氏、韓国との平和統一を放棄

13 イスラエル、レバノンに地上侵攻

19 英国で14年ぶりに労働党政権

30番以下 香港で国家安全条例成立

を選びました。

 なお番外として、読売新聞には12月に発生した「韓国で戒厳令」「シリア アサド政権崩壊」の2項目があげられていました。もし11月までに発生していたら、間違いなく10大ニュースに取り上げられていたことと思います。

 海外ではいつ何が起こるか予想がつかないことが多いですね。

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2024年12月20日 (金)

2024年日本10大ニュース(NO.1869)

 2024年12月19日、読売新聞読者が選んだ「2024年日本10大ニュース」が決まりました。

1 石川・能登で震度7、津波被害

2 大谷翔平、米大リーグ初「50-50」

3 パリ五輪、日本は過去最多メダル45個

4 日本銀行、20年ぶりに新紙幣発行

5 闇バイト強盗相次ぐ

6 衆院選で与党過半数割れ

7 自民党総裁に石破氏、首相に就任

8 日航機と海保機が羽田で衝突、炎上

9 ノーベル平和賞に被団協

10 「紅麹」サプリで健康被害、自主回収

 読売新聞が用意した11月までの57項目から10項目を選んで応募する方法です。有効応募総数は昨年の25,304通よりやや少ない24,675通でした。年代別では70歳以上が最も多く31%でした。それに次いで多かったのは60歳代で25%でした。19歳以下は19%で3番目でした。

 全項目的中者は昨年の19名から大幅に減って3名でした。全体では昨年同様6項目的中者が最も多く24.2%でした。

 私も応募しました。昨年は7項目的中でしたが、今年は8項目的中しました。8項目的中者は6.2%でした。

 8,10の代わりに

13 日経平均株価がバブル期超え

23 DeNA26年ぶりに日本一

を選びました。

 昨年は「阪神の38年ぶりの日本一」が5位でしたので、「26年ぶりのDeNA」を選んだのですが、阪神との人気度の違いで10位以内に選ばれなかったのでしょう。

 大谷選手は、3年前1位、一昨年4位、昨年2位に続いて4年連続です。素晴らしいですね。おそらく来年も10大ニュースに選ばれるのではないでしょうか。

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2024年12月17日 (火)

老人の独り言-15 プロ野球の歴史 水原監督、三原監督、鶴岡監督(NO.1868)

 1950年、プロ野球にセントラルリーグとパシフィックリーグの2つのリーグが誕生しました。

 その初期に活躍したのが、水原茂(円裕)、三原修(脩)、鶴岡(山本)一人の3人の監督です。

       水原茂  三原修  鶴岡一人

・生年    1909 1911 1916

・出身中学 高松商業 高松中学 広島商業

・出身大学 慶応大  早稲田大 法政大

・ポシション 内野手  内野手  内野手

・チーム  巨人、東映 巨人、西鉄   南海

                    中日        大洋、近鉄         

               ヤクルト   

・リーグ優勝  9回    5回   9回

・日本一    5回    4回   2回

・参考 日本一で  日本一で    監督勝数

  対鶴岡5勝1敗 対水原3勝0敗 歴代1位

 上の経歴から水原と三原は生涯のライバルだったことがわかります。

 高松商業と高松中学は香川県の中等野球のライバル校でした。今は高校野球に変わりましたが、現在も続いているようです。大学も東京六大学のライバル校でした。主なポジションは水原が三塁手、三原は二塁手でした。水原が投手を務めたとき、三原がホームスチールを成功させています。

 水原茂は1949年シベリア抑留から帰還し、1950年から巨人の監督を務めました。それまで三原が巨人の監督でしたが、結果的に水原が三原を追い出したような形になりました。

 水原の巨人は1951年からの日本シリーズで鶴岡監督の南海に3年連勝して、1年おいてまた鶴岡の南海に勝っています。

 ところがそのあと不運が待っていました。西鉄に移った三原監督が巨人に3年連続で巨人を破ったのです。巨人は1956,1957年と連敗した後、1958年は新加入の長嶋の活躍もあって、日本シリーズも3連勝しました。水原監督は安心したのか4戦目が雨で中止になったとき、スポーツ新聞でオフのゴルフのことなどを話題にしていました。

 ところが西鉄にはあの稲尾投手がいたのです。この雨も流れを変えました。21歳の稲尾投手の活躍で、西鉄が4連勝し水原の夢は消えました。稲尾投手は7戦のうち6試合に登板、4試合に完投、4勝を上げました。「神様、仏様、稲尾様」という言葉が生まれました。

 鶴岡監督は南海一筋でした。巨人に日本シリーズで4回敗れた後、1959年に5回目のチャンスが回ってきました。その時は立教大学で長嶋茂雄と同期だった杉浦忠投手の活躍により4連勝しやっと巨人に勝つことができました。

 2リーグ初期の3大監督は数々のドラマを見せてくれました。

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2024年12月15日 (日)

全国中学校駅伝大会で我孫子中学校が2位となった(NO.1867)

 2024年12月15日に滋賀県野洲市希望ヶ丘文化公園で行われた、第32回全国中学校駅伝大会男子の部で千葉県代表の我孫子中学校が全国2位の栄冠を勝ち取りました。

 大会は女子の部に続いて12時15分スタート、1区3キロのコースを6区走りました。

 我孫子中学校は5区から3位でタスキを受け取り、アンカーが頑張って一人を抜き2位でゴールしました。なお1位は埼玉県の藤中学校でした。

 我孫子市の中学校は駅伝に強いという伝統があります。我孫子中学校は昨年の関東8県の中学校が参加する関東中学校駅伝大会で、我孫子市の久寺家中学校に次いで準優勝しました。コロナの前年に行われた千葉県中学校駅伝大会でも優勝し、全国中学校駅伝大会に出場しています。

 我孫子市の他の中学校も頑張っています。

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2024年12月 7日 (土)

あの時あの場所この1枚-35 京都嵐山の花灯路(NO.1866)

 10年前の2014年12月12日、京都嵐山の花灯路を見に行きました。

 神戸のルミナリエ、三重県桑名市のなばなの里見学とセットになったツアーでした。

 京都の花灯路は2005年から2021年まで、12月の嵐山、嵯峨地区の夜の観光のためのイベントでした。2500基の行灯に灯をともし夜を楽しんでもらおうという趣向でした。

 妻と二人でツアーに参加、嵐山の旅館「花伝抄」に1泊しました。夕食に和食を楽しんだ後、花灯路の見物に出かけました。数カ所の観光スポットと9カ所の社寺などのライトアップ、灯り花の路です。渡月橋を渡って竹林の小道を大河内山荘まで歩きました。

 竹林の小道のライトアップです。

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 道の両側が光に照らされていました。幽玄に包まれている感じで、あまり寒さは感じませんでした。

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2024年12月 3日 (火)

老人の独り言-14 プロ野球の歴史 フランチャイズ球場-2(NO.1865)

 フランチャイズ球場その2はドーム球場を持たない6球団です。

 12球団を通して長く同じ球場を持っているのは阪神タイガースで、ご存じ甲子園球場です。タイガースは球団創設の1935年から甲子園球場を本拠地としています。甲子園と言えばタイガースと春夏の高校野球で代表される球場になっています。1991年にラッキーゾーンが撤去され、ホームランが減りましたが、球場本来の姿となりました。2007年から2010年にかけては大規模な改修が行われました。

 一方フランチャイズ球場をダイナミックに変えたのがロッテマリーンズです。チーム名も変えました。チームは、毎日オリオンズ→毎日大映オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズと変わりました。フランチャイズ球場は、後楽園球場(東京都)→東京スタジアム(東京都)→宮城球場(宮城県)→川崎球場(神奈川県)→マリーンスタジアム(千葉県)と変わりました。

 マリーンスタジアム以外は球場そのものがなくなっています。特に東京スタジアムは1962年に開場しましたが、わずか10年後の1972年に閉場しました。映画の大映の永田雅一氏が作った球場です。当時私は三井生命我孫子寮に住んでおり、毎日の通勤の常磐線電車から東京スタジアムとおばけ煙突を眺めながら通ったものです。宮城球場は改修前の球場で、仙台に転勤して住んでいたわが家からはるか遠くの球場の明かりが見えていました。老朽化した川崎球場からマリーンスタジアムに移るときロッテマリーンズに球団名を変えました。

 楽天は改修済みの宮城球場を本拠地にしました。仙台駅から球場につながる道路も球場の改修に合わせてきれいに整備したのではないかと思います。

 DeNAベイスターズも球団名がいろいろ変わりました。1950年発足した大洋ホエールズが松竹ロビンスと合併、洋松ロビンス、横浜ベイスターズを経て、2012年DeNAベイスターズとなりました。フランチャイズ球場は当初は確定していなかったようですが、1955年に横浜公園内の球場を本拠地としてから川崎球場を経て1978年横浜球場がフランチャイズ球場となりました。

 ヤクルトスワローズは1964年本拠地を後楽園球場から神宮球場に変えています。ヤクルトスワローズは1950年国鉄スワローズとして誕生しました。その後サンケイスワローズ、サンケイアトムズ、ヤクルトアトムズと名前を変え、1974年ヤクルトスワローズとなりました。

 広島カープは、巨人、阪神、中日、楽天、などと同じく、当初から名前を変えていない球団です。フランチャイズ球場は広島市民球場から、2009年マツダスタジアムに変わりました。

 調べていくうち、球団名も球団オーナーも球場もプロ野球の歴史の中では大きく変わっていることがわかりました。

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