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2025年1月 9日 (木)

老人の独り言-16 プロ野球の歴史 初期の3人の大投手(NO.1873)

 プロ野球の歴史上、数多くの大投手が生まれています。ここでは初期のころに活躍した3人の大投手を取り上げます。

 金田正一投手、稲尾和久投手、杉下茂投手です。同時期にはほかにも大投手と言われた選手がいましたが、この3人は私の印象に強く残っているという理由で取り上げました。

 金田正一投手は通算400勝を挙げた唯一の投手です。

 1933年生まれ、1950年に享栄商業を中退して17歳で国鉄(現ヤクルト)スワローズに入団しました。1965年に巨人に移籍、1969年に引退しています。

 400勝のほかに、14年連続20勝以上、奪三振通算4490個、最多奪三振10回、64イニング1/3の連続イニング無失点、沢村賞連続3回などの日本記録を持っています。ノーヒット・ノーランを史上最年少の18歳で達成、完全試合も成し遂げています。200勝には史上最年少の24歳で達成しました。

 1958年には巨人に入団した新人の長嶋茂雄と初対戦し、4打席連続三振に打ち取りました。

 1965年には巨人に移籍、全盛期を過ぎていたので、引退する1969年までに47勝しか挙げられませんでした。

 しかし金田の存在が巨人選手の意識改革に大いに役立ちました。今でも覚えているのは、スプリングキャンプに自分で持ち込んだ食材で「金田なべ」を作り選手に食べさせて、野球に適した体力づくりを図ったことです。当時はコレステロールなどという言葉はあまり知られていませんでしたが、金田投手はそれをみんなに意識させていたようです。

 引退後、200勝以上の投手と2000本安打以上の野手が入会できる「名球会」を作り、初代会長を務めました。

 稲尾和久投手は1958年の日本シリーズで西鉄ライオンズが巨人に3連敗した後4連勝した時の活躍で世間の注目を浴びました。稲尾投手は4連投で4連勝し、「神様、仏様、稲尾様」と言われました。

 1937年生まれ、大分県立別府緑が丘高校という野球では名の知られていない高校から1956年に西鉄ライオンズに入団しました。1969年に引退するまで、ライオンズ一筋でした。

 1961年には年間42勝を挙げました。この記録はスタルヒンと年間最多タイ記録となっています。

 通算では276勝を挙げています。MVP2回、8年連続20勝以上、日本シリーズ最多通算11勝のタイ記録なども残しています。

 杉下茂投手は「フォークボールの神様」と言われた投手です。プロ野球が生まれたころは、投手の投げる球はストレートとカーブとドロップ(タテに落ちるカーブ)でした。巨人の藤本英雄がスライダーを持ち込みましたが、フォークを投げ始めたのが杉下茂でした。

 1925年生まれ、明治大学旧専門部を卒業し、1949年に2リーグ誕生前の中日ドラゴンズに入団しました。1960年まで中日で活躍し、1961年毎日大映オリオンズに移籍してその年引退しています。通算215勝、沢村賞3回、MVP1回、最多勝と最多奪三振を各2回とっています。

 杉下投手のフォークは今のナックルボールに近い球で、キャッチャーがとるのも苦労したようです。今の投手はフォークを多投しますが、杉下投手はフォークを神様用のボールとして1試合に5~6球しか投げなかったようです。それでも打者はいつ来るかわからず苦労したようです。

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