老人の独り言-17 プロ野球の歴史 初期の5人の強打者(NO.1874)
プロ野球2リーグ誕生の前後に活躍した5人の強打者です。5人に絞ったのはあくまで私の独断です。お許しください。年齢順に並べてみます。
藤村冨美男
1916年生まれ、呉港中学卒業、1936年から1958年まで戦争を挟んで通算17年、大阪タイガース一筋で活躍しました。
初代「ミスタータイガース」としてダイナマイト打線の不動の4番打者でした。普通のバットより8センチ長い通称「物干し竿」を駆使したことで有名です。闘志むき出しのプレースタイルで「阿修羅の藤村」とも言われました。
・首位打者 1回 通算打率 3割ちょうど
・ホームラン王 2回 生涯 224本
・打点王 5回
・MVP1回
入団当初8年間は二刀流で投手として34勝を挙げています。
川上哲治
1920年生まれ、熊本工業では投手として甲子園で2度準優勝しています。1938年東京巨人軍入団、プロ入り後打者に転向、1958年まで通算18年ジャイアンツ一筋で活躍
・首位打者 5回 通算打率 3割1分3厘(歴代2位)
・ホームラン王 2回 生涯 181本
・打点王3回
・MVP 3回
2000本安打を達成したのは川上選手が初めて、通算2351本の安打を放っています。
大下弘
1922年生まれ、明治大学卒業、1946年から1959年まで通算14年、東急セネタースで6年と西鉄ライオンズで8年活躍しました。
「青バットの大下」「ポンちゃん」と言われ、ハンサムだったため女性に人気のある選手でした。
・首位打者 3回
・ホームラン王 3回 生涯201本
・MVP1回
青田昇
滝川中学中退、1942年から1959年まで通算16年、ジャイアンツ、阪急ブレーブス、大洋ホエールスで活躍しました。
プレースタイルと奔放な言動で、通称「ジャジャ馬」と言われました。
・首位打者 1回 通算 2割7分8厘
・ホームラン王 5回 生涯 265本
・打点王 2回
中西太
1933年生まれ、高松第一高校卒業、1952年から1969年まで通算18年ライオンズ一筋でした。上記の4人が戦前や1リーグ時代の入団ですが、中西選手は2リーグ誕生後の入団です。
通称「怪童」と呼ばれました。
・首位打者 2回 通算 3割7厘
・ホームラン王 5回 生涯 244本
・打点王 3回
・MVP 1回
現役引退後9球団の監督やコーチを務め、多くの名選手を育てた「名伯楽」として有名です。
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