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2025年6月25日 (水)

プロ野球セ・リーグも指名打者制を採用すべきだ(NO.1915)

 6月24日、2025年プロ野球セ・パ両リーグの交流戦が終わりました。

 パ・リーグのソフトバンクが6年ぶり9度目の優勝を飾りました。

 結果は次の通りです。

順位 チーム  リーグ 勝利 敗戦 分け

1 ソフトバンク パ  12  5 1

2 日本ハム   パ    11  7 0

3 オリックス  パ  11  7 0

4 西武     パ  10  8 0

5 ロッテ    パ  10  8 0

6 楽天     パ   9  8 1

7 広島     セ   9  9 0

8 阪神     セ   8 10 0

9 中日     セ   8 10 0

10 DNA    セ   7 11 

11 巨人    セ   6 11 1

12 ヤクルト  セ   5 12 1

 見事に上位6チームがパ・リーグ、下位6チームがセ・リーグと分かれました。

 交流戦は2005年に始まりましたが、今までの優勝チームはパ・リーグが西武を除く5チームが優勝経験があり合計15回、セ・リーグは3チームの5回となっています。交流戦は過去現在ともパ・リーグの圧勝です。

 これほどの差がついたのはパ・リーグが指名打者制を採用して選手が育っているのに対し、セリーグは採用していないことが原因です。

 交流戦では、パ・リーグの主催ゲームは指名打者制となり、セ・リーグ主催ゲームでは両チームともピッチャーも打席に入ります。同じ条件ですが、結果には大きな差が出ました。

 指名打者制は次の利点があります。

・投手は投げることに専念できるので完投能力が増える。

 セ・リーグでは負けているときや接戦のときに投手に打席が回ってきた場合、ピンチヒッターに替えられる。9回を投げぬく機会が減りスタミナや完投能力が養われない。

・野手は打席に立てる人が1人増えるため、出場機会が増える。野手の実力も増す。

・年齢などで守備能力が衰えた人で打力のある人は選手生命が伸びる。

・観客にとっては緊張したゲームが続くため面白さが増す。

 セ・リーグのように投手が仕方なく打席に立ち何もしないで三振するようなことがなくなる。

 そんなことが重なってパ・リーグがセ・リーグを上回る力をつけたのです。

 メジャーリーグでの大谷選手や松井秀喜選手の活躍は指名打者制あってのことです。選手生命晩年の張本、清原選手などの活躍も指名打者制に助けられています。

 指名打者制は1973年メジャーリーグで始まりました。アメリカン・リーグで経営不振のチームの観客動員数を増やすため指名打者が採用されました。ナショナル・リーグはDH制なしで頑張っていましたが、ついに2022年からはナショナル・リーグも採用することになりました。そうでなければ大谷選手はドジャースに移籍しなかったと思います。

 日本ではパ・リーグが観客動員数を増やす目的で1975年から採用しています。

 いまやオリンピックやWBCやその他の国際試合はすべて指名打者制です。社会人野球や大学野球にも広がっています。

 セ・リーグでも巨人の原監督が指名打者制採用を提案しましたが、多くの反対にあって実現できませんでした。反対者の言い分は試合の駆け引きが減り監督の腕の見せ所がなくなるという理由が多かったようです。

 試合は観客を楽しませるものです。投手や野手が実力を蓄え、いい試合ができてこそです。監督の楽しむものではありません。

 私は14年前の2011年6月にも「セントラルリーグも指名打者制を採用すべし」というブログを書きました。その年の6月9日までの両リーグの投手の完投数や両リーグの平均チーム打率を調べて比べています。いずれもパ・リーグが上でした。本場のメジャーリーグのインターリーグの両リーグの通算成績も載せています。アメリカンリーグがまさっていました。

 今こそ、セ・リーグも指名打者制を採用すべきです。

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2025年6月18日 (水)

あの時あの場所この1枚-48 イタリア アグリジェントとパレルモ (NO.1914)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。イタリア旅行はこれが最後となります。

 6月7日バスでアグリジェントに到着しました。

 ホテルでの夕食後、ライトアップされた世界遺産のアグリジェントの遺跡を遠くから見物しました。

 翌6月8日の午前中はアグリジェントの観光でした。「神殿の谷」には7つのギリシャ様式の神殿遺跡がありました。

 その中でも保存状態のいいコンコルディア神殿です。

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 神殿の谷は名前と違って谷ではなく小高い丘の上にあります。見晴し抜群でした。

 そのあとはイタリア旅行最後の都市でとなるパレルモに行きました。

 パレルモは人口66万のシチリア島最大の都市でシチリアの州都です。12世紀に建てられたパレルモ大聖堂は世界遺産になっています。到着後市内観光に行きました。

 アル・パチーノ主演の「ゴッドファーザー パートⅢ」の重要な舞台となった「マッシモ劇場」です。ゴッドファーザーは大好きな映画で、マッシモ劇場はぜひ見てみたいと思っていました。

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 パレルモのホテルの夕食で飲んだワインがその後の我が家でのワインの主役となりました。シチリアのドンナフガータ社のAnthiliaでした。すっかりはまってしまい、それ以後妻がネットで輸入しているショップを探して、Anthiliaと同社が作っているLigheaを購入して飲んでいます。ちょっと値が張るのでお祝い事の飲み物となっています。

 イタリア旅行は文化と芸術とおいしい食べ物飲み物に触れる旅でした。

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2025年6月17日 (火)

あの時あの場所この1枚-47 イタリア タオルミーナとピアッツァ・アルメリーナ(NO.1913)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。

 6月6日夜ついにシチリア島のタオルミーナにつきました。

 シチリア島は長靴の形をしたイタリア本土の長靴のつま先に位置する大きな島です。

 私の場合、シチリア島はマフィアを連想させるちょっと怖い島のイメージでしたが、島を巡ってみると多彩な歴史と文化に彩られた魅力的な島ということがわかりました。かっては、ギリシャ、ローマ、東ローマ帝国、イスラム、ノルマン、フランス、スペインなどの支配下にありました。

 花いっぱいのホテルからは姿のいいエトナ山が望めました。

 6月7日午前中はタオルミーナ観光です。タオルミーナにはギリシャの遺跡がいっぱいでした。ギリシャ劇場です。

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 午後、ピアッツァ・アルメリーナに向かいました。

 ここの郊外には、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(カサーレの古代ローマの別荘)という世界遺産の遺跡があります。別荘の床には古代ローマ時代のモザイクがありました。

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 わたしの携帯用デジカメではその見事さを十分にとらえることができなかったのが残念でした。

 その後アグリジェントに向かいました。

 

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2025年6月14日 (土)

あの時あの場所この1枚-46 イタリア アルベロベッロとメッシーナ(NO.1912)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。

 6月5日、ポンペイ観光の後、アルベロベッロに到着しました。それまではイタリアの中央部分から西側の都市の観光でしたが、アルベロベッロは初めて東側の観光地でした。

 ホテルに到着後市内観光に出かけました。アルベロベッロは家屋がトゥルッリといわれる円錐形の石積みの屋根が多いことで有名です。

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 世界遺産に登録されています。トゥルッリは16~17世紀に農民によって建てられた民家で、節税のためこのような形になったようです。現在でも市内の約4分の1の家屋にトゥルッリが残っています。

 6月6日はイタリア本土からシチリア島に渡りました。

 アルベロベッロからバスで約5時間かけてラメツィアテルメに到着、ここで急行列車インターシティに乗り換えてシチリア島のタオルミーナに向かいました。イタリア旅行では初めての列車の旅でした。

 途中イタリア本土のレッジョ・ディ・カラブリアからシチリア島のメッシーナまでは連絡船で渡ります。ただ車両ごと船に積み込まれるため乗り換える必要はありません。でも暗いハッチの中の車両にいても面白くないので、私たちは外に出て船のデッキで港やメッシーナ海峡の風景を楽しみました。

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 イタリア本土とシチリアとの間にメッシーナ海峡大橋が作られる予定でしたが、もろもろの事情から計画は中断されています。完成すれば世界最長のつり橋になる予定です。

 タオルミーナのホテルには21時頃到着しました。移動のための1日でした。



 

 

 

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2025年6月13日 (金)

我が家のアジサイ(NO.1911)

 今年もアジサイが咲きました。

 我が家の小さな庭には10株ほどのアジサイがあります。妻が好きで植えたものです。もう終わったもの、これからのものもありますが、今咲いているものです。

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 梅雨に入って一段ときれいになりました。

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2025年6月10日 (火)

あの時あの場所この1枚ー45 イタリア アマルフィとポンペイ(NO.1910)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。

 前日のソレントからアマルフィまでのアマルフィ海岸のバスの旅はスリルの連続でした。断崖絶壁沿いのあまり広くない道路を大型車両同士がすれ違う時は肝を冷やしました。アマルフィ海岸はユネスコの文化遺産に登録されています。

 1時間45分ほどかかってアマルフィのホテル「ルナ コンヴェント」に到着しました。イタリア旅行で泊まったホテルの中で一番気に入ったホテルでした。

 「ルナ コンヴェント」は歴史ある修道院をホテルに改装したものです。部屋はそれぞれ違います。中庭にある古井戸のふちに10部屋の鍵を置いて勝手に選ばせて部屋が決まりました。

 私たちが選んだ部屋は最高でした。ホテルは海岸沿いの絶壁の中腹に立っていました。部屋には小さなバルコニーがありオーシャンビューが見渡せました。

 バルコニーから見たアマルフィ市街です。

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 6月5日午前中市街を観光しました。町並みはそれほど大きくなくドオモが目立つ建物でした。

 その後ポンぺイに向かいました。ポンペイは西暦79年ヴェスヴィオ山の噴火によって火砕流に飲み込まれた都市の遺跡です。世界文化遺産に登録されています。

 2時間ほどガイドに案内されて遺跡を巡りました。

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 壊滅する前の都市のありさまが目に浮かぶような遺跡でした。

 そのあとアルベロベッロに向かいました。

 

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2025年6月 7日 (土)

あの時あの場所この1枚-44 イタリア ローマとカプリ島(NO.1909)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。

 6月3日は1日かけてローマ市内の観光でした。オードリー・ヘップバーンの映画「ローマの休日」に出てきた市内の観光地は大体回った感じです。

 その中で一番圧倒されたのはコロッセオでした。

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 西暦80年に建てられた建造物とは思えません。当時、ここで剣闘士同士や剣闘士と猛獣の戦いが行われたと思うと鳥肌が立つ感じでした。

 翌日はナポリを経てカプリ島へ向かいました。カプリ島では「青の洞窟」観光を行う予定でしたが、海が荒れて波が高かったため中止となりました。

 その代わりリフトに乗ってソローラ山に登りカプリ島を上から楽しむことになりました。

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 カプリ島ではレモンチェッロを試飲し、以後取り寄せて愛飲しています。

 カプリ島からはソレントに渡り、アマルフィ海岸をバスで楽しみながらアマルフィにつきました。

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2025年6月 6日 (金)

少子化が加速している(NO.1908)

 2025年6月4日、厚生労働省は2024年の人口動態統計を発表しました。

 昨年1年間に国内で生まれた日本人の子供の数(出生数)は68万6061人で1899年の統計開始以来初めて70万人を下回りました。9年連続で過去最少を更新しました。

 1人の女性が生涯に産む子供の数を示す「合計特殊出生率」は過去最低の1.15で、前年より0.05低下しました。これが2以上にならなければ人口減少は続きます。

 出生数は第2次ベビーブームの1971~74年には200万人を超えていましたが、その後だんだん減少し、2026年には100万人を切り、その後8年で3割減りました。これが続けば日本人は地球上からいなくなります。

 婚姻数は戦後最少だった2023年の47万4741組より増えて48万5063組でしたが、コロナ以前には回復していません。

 婚姻や出生が減っている理由は2つあると思います。1つは経済的理由で、2つ目は若者の考え方です。

 契約社員やパートやアルバイトなどの非正規雇用が増え、収入が少ないうえ収入が安定しないため、結婚や出産に踏み切れないことです。

 若者が独身生活の気楽さを選んだり、女性の場合は仕事と子育ての両立を避けたりすることもあります。「晩婚化」「晩産化」も少子化の原因の一つでしょう。

 以下は読売新聞の社説の抜き書きです。

 「政府は23年に策定した『こども未来戦略』で、児童手当の所得制限をなくし、支給期間についても中学生から高校生年代までに延長した。育児休業中の会社員らへの給付金については、休業前の手取りと同額となるよう引き上げた。

 子育てにかかる経済的な負担を軽減する狙いは理解できるが、給付に偏った措置ばかりでは、少子化の流れを食い止められまい。

 政府は現行の少子化対策のあり方を見直し、より総合的な内容へと改めるべきだ。」

 「国の調査では、25歳~29歳の女性の場合、非正規雇用の人は正社員と比べ、『子供を持ちたい』という人が3割超少なかった。また、同じ年代の男性では、配偶者がいる人の割合は、非正規の方が正社員より6割低かった。

 雇用が安定せず、賃金も低くなりがちな非正規の人が結婚や出産をためらうのは無理もない。非正規の正社員化や、正社員採用の枠を増やしていくことは重要だ。

 国や自治体は20年度から、役所の事務員や学校の用務員などを、非正規の会計年度任用職員として採用し始めた。民間に正社員化を促すのであれば、まずは行政がこうした職員の、正規職員への転換を進めていくべきだろう。」

 「もっとも、いくら行政が仕事と育児の両立を支援しても、若い人が結婚し、子供を産もうと思わなければ意味がない。国が21年に実施した未婚者への調査では、『結婚したら子どもを持つべきだ』と考える人は、6年前の調査と比べて、女性は30ポイント減の37%、男性は20ポイント減の55%と、いずれも大幅に減った。

 若者の中には、独身生活の気軽さに満足し、結婚を考えないという人もいるようだ。

 結婚や出産は個人の意思に委ねられるべきだ。一方で、少子化が進めば国の成長は見込めず、社会の活力は失われる。年金、医療、介護など社会保障制度を維持するのも難しくなる。今は支える側にいる若い人たちも、将来は支えられる側に回ることになる。そうした事実を若者に認識してもらうことが大切だ。」

 私は中学や高校の社会科の授業で、少子化の現状と少子化がもたらす諸問題と少子化を防ぐのは君たち自身だということを知らせることが必要と考えています。

 内閣が国会議員がそして何よりも日本国民全体が、少子化を防ぐことが日本にとって最大の問題であることを理解し、それぞれの立場でできることをやっていくべきと考えます。

 

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2025年6月 4日 (水)

巨星墜つ 長嶋茂雄さん(NO.1907)

 2025年6月3日6時39分、ミスタープロ野球といわれた長嶋茂雄さんが肺炎でなくなりました。89歳でした。

 妻の指摘ですが、亡くなった日付と時間は、背番号の「3」にちなんだものとなっています。

 私はテレビニュースを聞いていて涙が出ました。長嶋さんは1936年(昭和11年)2月生まれ、1937年1月生まれの私より1歳年上です。

 私の長嶋さんとのつながりは、長嶋選手が巨人に入団した時から始まりました。巨人ファンの私は長嶋選手の巨人入団を待ち焦がれていました。ドラフト制度が生まれたのは1965年ですから、入団の年の1958年は球団と選手との交渉で決まりました。注目を浴びていた立教大学の長嶋選手は巨人、杉浦忠投手は南海を選びました。

 長嶋選手のデビュー戦は1958年4月5日の国鉄との対戦でした。金田投手に4打席空振りの三振で全く打てませんでした。私は大学3年生、下宿でラジオを聞いていたのを覚えています。

 翌年の展覧試合の巨人阪神戦は下宿のおばさんの部屋で、仲間の下宿人二人と白黒テレビで観戦しました。長嶋選手がサヨナラホームランを打ち巨人が勝ちました。ただ仲間二人が阪神ファンだったのであまり大喜びできなかったことも覚えています。

 1974年に選手を引退するまでの17年、監督としては1975年から2001年まで通算15年、長嶋さんを見つめ続けました。監督時代は1981年から1992年まで12年間は休養期間でした。私はまさに長嶋さんと同じ時代を生き、同じ喜びと悲しみを味わってきたと言えます。

 長嶋さんありがとう。ゆっくりお休み下さい。

 長嶋さんの残した選手時代の成績です。

ペナントレース

・MVP 5回

・首位打者 6回

・本塁打王 2回

・打点王 5回

・通算打率 .305

・通算安打 2471

・通算本塁打 444

・通算打点 1522

日本シリーズ

・MVP 4回

・通算打率 .343

・通算安打 91

・通算本塁打 25

・通算打点 66

オールスターゲーム

・通算打率 .313

・通算安打 47

・通算本塁打 7

・通算打点 21

 「ON砲」としてV9を支えた王選手と長嶋選手は「記録の王」と「記憶の長嶋」といわれますが、長嶋選手の記録も超一流の実績です。

 私の印象は、「打って欲しいときに打つ」「チャンスに強い」「大試合になるほど打つ」でした。日本シリーズ(200打数以上)とオールスターゲーム(150打数以上)での通算打率はいずれも歴代1位です。

 監督時代の成績は、リーグ優勝5回、日本一2回、1034勝889敗59分け、勝率.538でした。2000年の日本シリーズでの長嶋監督、王監督の対決が一番印象に残っています。

 

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2025年6月 3日 (火)

あの時あの場所この1枚-43 イタリア シエナとバチカン市国(NO.1906)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。

 6月2日ピサの斜塔を見た後、バスでシエナにつきました。約120キロ、2時間の道のりでした。

 シエナは13世紀から14世紀に金融業で全盛を迎えた都市で、その歴史地区はユネスコ文化遺産に登録されています。

 その一角にカンポ広場があります。

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 シエナの街は17のコントラーダといわれる区域に分かれ、カンポ広場ではコントラーダ対抗の裸馬のレースが行われます。

 シエナの歴史地区を刊行した後、ローマに見向かいました。

 6月3日、ローマで最初に訪ねたのはバチカン市国でした。今年ローマ教皇のコンクラーベで注目を集めたサンピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂があります。

 サンピエトロ大聖堂です。

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 システィーナ礼拝堂では有名なミケランジェロの「最後の審判」の壁画に圧倒されました。その写真は撮れませんでした。

 サンピエトロ広場では当時のイギリスのブレア首相の訪問とぶつかり長時間の足止めを食いました。

 

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2025年6月 1日 (日)

あの時あの場所この1枚-42 イタリア フィレンツェとピサ(NO.1905)

 2006年5月29日からのイタリア旅行の続きです。

 6月1日はフィレンツェ観光でした。フィレンツェは屋根のない博物館ともいわれ、ルネッサンス美術の宝庫になっています。ウフィツィ美術館はじめ4つの美術館があります。「フィレンツェの歴史地区」はユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 この1枚はフィレンツェのシンボルとなっている「花の聖母マリア」大聖堂です。

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 ツアーの良いところは混雑する美術館などで待たなくていいことです。

 私たちはウフィツィ美術館とアカデミア美術館に入りました。アカデミア美術館にはミケランジェロのダビデ像がありました。

 6月2日にはピサの斜塔で有名なピサに立ち寄りました。

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 替わるがわりに手を差し伸べて斜塔を支えるポーズで写真を撮りました。斜塔に上る時間がなかったのが残念でした。

 ピサの斜塔はガリレオが大きさと重さの異なる物体を同時に落とし同時につく実験を行ったとされることで有名です。

 斜塔のある「ピサのドゥオモ広場」も世界文化遺産に登録されています。

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