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2025年7月21日 (月)

あの時あの場所この1枚-54 フィンランド ヘルシンキの大聖堂と国会議事堂(NO.1922)

 2012年7月10日から始まった北欧の旅の続きです。

 7月16日、ストックホルムから空路、最後の訪問地のフィンランドのヘルシンキに向かいました。

 この旅行はずっと曇り空でしたが、ヘルシンキは最悪の大雨でした。到着後さっそく市内観光です。公園と教会と大聖堂と寺院を回りました。キリスト教は教会で、ロシア正教は寺院と呼ぶようです。

 ヘルシンキ大聖堂です。

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 へルシンキ大聖堂は福音ルター派の総本山ですが、ローマやミラノやフィレンツェなどにあるイタリアのカソリックの大聖堂と比べると大変質素な感じでした。

 翌7月18日は昨日の大雨が嘘のような、この旅行で初めての快晴の天気でした。気分がよいので朝食前に散歩に出かけました。北欧の青空のもと、足に任せてホテルの近くを自由に歩きました。公園の緑や海辺の青が目に沁みました。時間がないので国会議事堂まで歩いて引き返しました。

 国会議事堂は小ぶりながら風格ある建物でした。

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 朝食後オプショナルツアーのマーケット見物を終え、私たちの北欧旅行が終わりました。

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2025年7月19日 (土)

あの時あの場所この1枚-53 スウェーデン ストックホルム市庁舎とノーベル博物館(NO.1921)

 2012年7月10からの北欧旅行の続きです。

 7月15日、ノルウェーのベルゲンから空路スウェーデンのストックホルムに行きました。

 このツアーはノルウェーでは3日間滞在できましたが、他の3か国は1日数時間の観光です。ちょっと物足りない感じでした。

 到着後すぐに市内観光です。ストックホルムは人口約187万(当時)、スカンジナビア最大の都市です。14の島からなり、北欧のヴェニスといわれています。

 まず市庁舎に行きました。ここはノーベル賞の晩餐会と舞踏会の会場になっています。1階の晩餐会場は青の間と呼ばれる古風な様式のホールで、2階の舞踏会場となる黄金の間とは対照的な感じでした。

 黄金の間です。

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 市庁舎にこんな施設があるのは驚きでした。

 フィヤガール展望台から市街を展望した後、市の中心部ガラムスタンを訪れました。王宮や有名なお店やお土産屋などが集中する一角にノーベル博物館がありました。

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 写真を1枚撮りましたが中に入る時間はありませんでした。スウェーデンではストックホルムの2時間半の観光だけでほかの都市を回ることはありませんでした。

 

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2025年7月17日 (木)

あの時あの場所この1枚-52 ノルウェー ベルゲンとブリッゲン地区(NO.1920)

 2012年7月10日からの北欧旅行の続きです。

 7月14日、ノルウェー第2の都市ベルゲンに行きました。ホテルからベルゲンまでは途中滝などの見物をしながら4時間半のバスの旅でした。

 ノルウェーは滝の多い国です。日本と同じように山や森や水に恵まれているためでしょう。

 昼食後市内観光です。エドヴァルド・グリーグ博物館を見た後、ケーブルカーに乗り標高320メートルのフロイエン山に上りました。ベルゲン市内とベルゲン港が一望できました。

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 この港はノルウェーはの大フィヨルド見物のうち、2つの玄関口になっています。

 そのあと世界遺産になっているブリッゲン地区を訪れました。ドイツのハンザ同盟によって建てられたカラフルな三角屋根の木造建築が軒を連ねていました。

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2025年7月16日 (水)

あの時あの場所この1枚-51 ノルウェー ネーロイフィヨルドとフロム鉄道(NO.1919)

 2012年7月10日からの北欧旅行の続きです。

 7月13日、世界遺産のソグネフィヨルドの支流ネーロイフィヨルドクルーズを楽しみました。フィヨルドクルーズの出発点のグドヴァンゲンから観光船に乗ってフロムまでの船旅でした。

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 以前ニュージーランドでフィヨルド見物をしたときはアザラシなどの動物を見かけましたが、ここでは船を追っかけてくるカモメのような鳥だけでした。おそらく海から遠く離れたフィヨルドのため、ここまで上がってこないのでしょう。

 フロムからは山岳鉄道として有名なフロム鉄道に乗りました。途中ショス滝では列車を止めて滝を見物させてくれました。そこでは不思議な妖精が登場しました。

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 その時は妖精の正体はわかりませんでした。ところがあとで見たテレビ番組で、ショス滝の妖精は学生アルバイトで、滝の上にはそのための立派な施設が用意されてることがわかりました。

 

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2025年7月13日 (日)

あの時あの場所この1枚-50 ノルウェー オスロとハダンゲルフィヨルド地区(NO.1918)

 2012年7月10日からの北欧旅行の続きです。

 7月11日夕刻、コペンハーゲンの港から観光船「DFDSシーウェイズ」に乗船してノルウェーのオスロに向かいました。オスロについたのは7月12日の午前10時ころ、まるで瀬戸内海を行くような静かな17時間の船旅でした。

 港からそのままオスロの市内観光に向かいました。最初に訪ねたのはヴィーゲラン公園でした。裸の人体の彫刻であふれていました。

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 有名なエドヴァルド・ムンクの「叫び」のある国立美術館にも行きましたが、館内は撮影禁止でした。

 昼食後はハンゲダルフィヨルド地区を目指して350キロのバス旅行でした。

 ノルウェーは石油輸出国にもかかわらず、ガソリンの値段は当時で1リッター約220円と高く設定されていました。次の世代に貴重な資源を残すためとのことでした。

 350キロ走っても途中買い物ができるお店は1軒だけでした。日本のようなサービスエリアや道の駅のような便利な施設はありません。

 フィヨルド沿いのホテルに着いたのは夜9時前でした。ホテルの部屋から眺めたフィヨルドです。

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2025年7月11日 (金)

あの時あの場所この1枚-49 デンマーク コペンハーゲンと北シェラン島(NO.1917)

 イタリアに続いて北欧4か国編になります。「この1枚」を2か所まとめるので、「この2枚」になります。

 13年前の2012年7月10日から18日まで、阪急交通社の「美しき北欧4か国周遊」というツアーに妻と参加しました。今回の旅行では航空機に5回乗りましたが、すべてフィンランド航空でした。

 7月10日11時成田発、デンマークのコペンハーゲンにはヘルシンキで乗り継いで18時過ぎ(現地時間)に到着です。時差は7時間です。北欧は日本よりはるかに緯度が高いので、3時台に明るくなり、暗くなるのは夜10時過ぎてからです。

 翌11日、市内観光に出かけました。北欧4か国のうち晴れたのは初日のフィンランドのヘルシンキでの乗り換えの時と最終日のヘルシンキ出発の日だけで、あとは曇天か雨、天候については運が悪かったようです。

 コペンハーゲンでまず見物したのは海辺に置かれた人魚姫の像でした。デンマークの作家アンデルセンの「人魚姫」をモチーフにしたものです。

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 ベルギー・ブリュッセルの小便小僧、シンガポールのマーライオンとともに、世界三大がっかりといわれています。でも海辺と調和してひっそりと置かれているのには、なんとなくほっこりとするものがありました。

 市内観光の後、北シェラン島のフレデリスクボー城に行きました。バロック様式の庭園とスカンジナビア最大のルネッサンス様式の宮殿が威容を誇っていました。

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宮殿は現在国立歴史博物館になっていました。

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2025年7月 5日 (土)

老人の独り言-24 プロ野球の歴史 広島カープの躍進(NO.1916)

 久しぶりにプロ野球の歴史に戻ります。

 広島カープは1950年、プロ野球の球団がセ・パ両リーグに分かれたとき広島市の市民球団として誕生しました。

 ほかの球団は企業がバックアップしているため、赤字を出しても補填してもらえましたが、カープにはそれがなく運営に苦労が絶えませんでした。1951年には大洋ホエールズとの合併問題が起こって、市民が球場で「樽募金」でお金を集めたりしました。

 新人獲得や補強なども思うようにいかず、球団創立の1950年から1967年まで18年連続Bクラスというセ・リーグ記録を残しています。

 1967年に東洋工業(現マツダ)の社長が筆頭株主兼オーナーとなり、東洋工業がスポンサーに決まりました。球団名も広島東洋カープに変わりました。

 3年連続最下位のチームを変えようと、1975年球団初の外国人監督にルーツが就任、改革に乗り出します。ユニフォームを赤に変えようとしましたが、すでにその年のユニフォームが出来上がっていたため、帽子とヘルメットだけを赤に変えました。「赤ヘル軍団」の名称はこの年から始まりました。

 ルーツ監督はシーズン早々の4月の対阪神戦でのトラブルで監督を辞任、古葉竹識監督に変わりました。

 ルーツが残した改革や首位打者の山本浩二、鉄人衣笠祥雄、最多勝の外木場義郎、盗塁王の大下剛史らの活躍があって球団初のリーグ優勝と成りました。セ・リーグのお荷物といわれた球団が26年をかけて初めての初優勝でした。

 そして4年後の1979年には球団初の日本一になりました。上記のメンバーに加えて江夏豊、高橋慶彦などの活躍が加わりました。

 広島は合計リーグ優勝9回、日本一3回の強豪チームに成長しました。

 広島市民はほとんどがカープファンといわれ、市民と最も近い球団になっています。

 私は巨人ファンですが、故郷の愛媛県に最も近い球団として、広島カープは好きな球団の一つです。

 

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