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2025年8月30日 (土)

老人の独り言-27 プロ野球の歴史 江川卓と西本聖(NO.1928)

 1970年代の終わりから1980年代にかけてスポーツ紙を賑あわせた2人の投手を取り上げます。 江川卓と西本聖です。

江川卓

 江川卓は作新学院から法政大学に進み、1978年秋巨人に入団しました。

 江川卓は作新学院時代から、「怪物」ぶりを発揮していました。高校での公式戦では、ノーヒットノーラン9回、完全試合2回、36イニング連続無安打無失点などの記録を残しています。高校時代が一番球が速かったという評論家もいます。

 甲子園での優勝記録はありませんが、それは江川一人のチームでチームとして弱かったためといわれています。

 ドラフトでは阪急ブレーブスから1位指名されましたが、それを拒否し法政大学に進学しました。

 法政大学では1年生からエースとして活躍しました。17試合完封などの記録を残し数々の勝利に貢献しました。

 卒業時には西武ライオンズに指名されましたが入団を拒否、学校職員として次のドラフトを待ちました。1年後のドラフトでは阪神が交渉権を獲得、いろいろもめた末、巨人の小林繁投手とトレードという形で巨人に入団しました。

 江川に対する反発が高まりました。しかし1981年、リーグトップの好成績を残した江川の代わりに、西本が沢村賞を獲得したため、江川に同情する声が高まって反発は次第に収まりました。

 翌年から、沢村賞の選考方法がメディアからの投票でなく、選ばれた選考委員が協議して選出する方法に変わりました。

 江川は「怪物くん」「浮き上がるストレート」で有名です。江川の持ち球はストレートとカーブの2種類だけです。それはプロになっても変わりませんでした。

 1979年から1987年まで巨人に在籍、9年間の短い選手生活でした。

・MVP 1回

・最多勝 2回

・最優秀防御率 1回

・最多三振奪取 3回

・生涯通算勝利 135

・生涯通算防御率 3.02

・生涯通算三振奪取 1366

 1984年のオールスター戦で、江夏の持つ9人連続三振の記録に挑戦しましたが、8人連続三振の後、9人目の打者にバットに当てられて、9人連続三振を逃したのを記憶しています。

西本聖

 西本聖は私と同じ愛媛県の出身、私の家の近くの海岸から西本の故郷興居島がよく見えます。「伊予の小富士」と呼ばれる姿の美しい島です。

 松山商業出身、投手で広島カープ入団の兄と三沢高校との延長18回引き分け再試合で優勝した兄と大相撲の力士の兄を持つスポーツ一家です。

 西本は「ドラフト外入団」「雑草」「切れのいいシュート」で有名です。ライバルは江川卓と同期にドラフト1位で入団した定岡正二でした。

 1975年から1988年まで巨人14年、1989年から1992年中日4年、1993年オリックス1年、1994年巨人1年、合計20年の現役生活でした。

・沢村賞 1回

・最多勝 1回

・生涯通算勝利 165(ドラフト外では最多)

・生涯通算防御率 3.20

・生涯通算三振奪取 1239

 沢村賞を取った年、キャンプ中に夫人が自宅でガス爆発に遭い瀕死の重傷を負った事件がありました。それにもめげず頑張ったことが、スポーツ紙で大きく報道されたのを記憶しています。

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2025年8月28日 (木)

老人の独り言-26 プロ野球の歴史 山本、田淵、掛布、落合(NO.1927)

 今回は1970年代から1990年代に活躍した4人の強打者を取り上げます。山本浩二、田淵幸一、掛布雅之、落合博満の4人です。

山本浩二

 山本浩二は法政大学出身、「ミスター赤ヘル」と呼ばれ広島カープ一筋でした。

 1969年から1986年、18年の現役生活でした。

・MVP 2回

・首位打者 1回

・ホームラン王 4回

・打点王 3回

・生涯打率 .290

・生涯ホームラン 536

・生涯打点 1475

 大学卒で500本以上のホームランを打った唯一の選手です。

田淵幸一

 田淵幸一は山本浩二と同じ法政大学出身で同期です。良き友人同士で良きライバルでした。

 藤村冨美男、村山実に次いで「第3代ミスタータイガース」と呼ばれました。

 1969年から1978年までは阪神タイガース、そのオフに西武ライオンズにトレードに出されました。田淵はそのトレードに不満でしたが、1979年から1984年まで西武の中心打者として活躍しました。合計16年の現役生活でした。

・ホームラン王 1回

・生涯打率 .260

・生涯ホームラン 474

・生涯打点 1135

 田淵のホームランはその距離の長さ、大きく美しい放物線を描くことから「ホームランアーチスト」と呼ばれました。

掛布雅之

 掛布雅之は田淵に次いで4代目の「ミスタータイガース」です。掛布以後はミスタータイガースと呼ばれる選手は出ていません。

 千葉県の習志野高校出身です。

 1974年から1988年まで阪神タイガース一筋の15年間の現役生活でした。

 打撃不振のため、1988年、33歳の若さで現役を引退しました。

・ホームラン王 3回

・打点王 1回

生涯打率 .292

・生涯ホームラン 349

・生涯打点 1019

 掛布の活躍で有名なのは1985年3番バース、4番掛布、5番岡田の巨人戦バックスクリーン3連発です。そして阪神はこの年初めて日本一になりました。

落合博満

 落合博満は東洋大学中退、東芝府中を経て1979年ロッテオリオンズ(現マリーンズ)に入団しました。

 神主打法で有名です。

 1979年から1986年(7年)ロッテ、1987年から1993年(7年)中日、1994年から1996年(3年)巨人、1997年から1998年(2年)日本ハム、合計20年の現役生活でした。

・MVP 2回

・三冠王 3回(3回は史上初)

・首位打者 5回

・ホームラン王 5回

・打点王 5回

・生涯打率 .311

・生涯ホームラン 510

・生涯打点 1564

 1987年には日本人初の1億円プレイヤーになりました。

 

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2025年8月22日 (金)

老人の独り言-25 プロ野球の歴史 2度の長嶋監督(NO.1926) 

 ミスタープロ野球と呼ばれた長嶋茂雄さんが亡くなったのは今年の6月3日でした。

 プロ野球の歴史で、現役プレイヤーとしての長嶋選手の活躍は書きましたが、今回は監督時代の思い出をまとめてみます。

 長嶋茂雄は2回読売ジャイアンツの監督を務めています。

第1次監督時代(1075年~1980年の6年間)

・リーグ優勝1回

・1974年 最後の試合で「巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残し引退、巨人軍監督に就任する

・1975年 最下位(球団初)

・1976年 リーグ優勝、日本シリーズは敗退

・1978年 オフにドラフトで阪神の指名した江川卓投手と巨人のエース小林繁投手のトレードが成立。ドラフト制度の「空白の1日」を利用したとして注目を浴びる。長嶋監督がどれほどかかわったかは不明

・1979年 オフに地獄の伊東キャンプ 江川、西本、中畑、篠塚など若手18名が参加、徹底的にしごかれる。のちの藤田・王監督時代の中心選手となる

・1980年 オフに突然長嶋監督解任。6年間でリーグ優勝1回のみ、日本一なしという成績が解任の理由になったと思われる

第2次監督時代(1993年~2001年までの9年間)

・1992年 オフに12年間の充電期間を経て請われて巨人監督に復帰

・リーグ優勝3回、日本一2回

・1994年 中日と最終戦で同率首位、勝ったほうが優勝という戦いを制して優勝。日本シリーズにも勝って監督として初の日本一

・1996年 1位広島との11.5ゲーム差を追いついてリーグ優勝。長嶋監督の「メークドラマ」の言葉が有名になる

・2000年 リーグ優勝。パ・リーグ王監督の率いるダイエーと日本シリーズでON対決となる。名勝負の結果、巨人優勝で終わる

・2001年 オフに自らの決断で巨人監督を退く

 選手時代もそうですが、監督になってもファンを楽しませてくれた長嶋茂雄さんでした。ありがとうございました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

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2025年8月 8日 (金)

日本人が1年間で約90万人減った(NO.1925)

 2025年8月6日、総務省は住民基本台帳に基づく今年1月1日現在の国内の人口を発表しました。

・日本人人口 1億2065万3227人

・前年から90万8574人(0.75%)減

・調査開始の1968年以降最大の減少 16年連続減少

・出生数 68万7689人(過去最少)

・死亡数 159万9850人(過去最大)

・外国人 367万7463人

・前年から35万4089人(10.65%)増

・調査開始の2013年以降最大

・両者合わせた総人口 1億2433万690人

・前年から55万4485人(0.44%)減

・総人口中の外国人 2.96%で過去最大

 90万人というと秋田県か和歌山県の人口(外国人を含む) に匹敵します。その県がなくなるようなものです。 

 都道府県別にみると人口が増えたのは東京都と千葉県のみで、45都道府県で減少しました。減少率の大きい順は、秋田、青森、高知で東北、四国での減少が目立っています。

 今、アメリカのトランプ大統領を震源とする貿易や生産の停滞が大きな問題となっていますが、これは相手があることです。

 それに対して日本人人口の問題は、日本人が解決することです。国民と政府が一丸となって取り組まないと、どうにもなりません。このまま日本人の減少が続くと、日本は日本人の国でなく外国人の国になってしまいます。

 今の政府や国会は目先のことにかまけて、日本の行く先を考えていないように思われます。国民も自分の自由や楽しみを追求する前に、子孫を残すことが人としての大きな責務だと気づく必要があると思います。

 

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2025年8月 6日 (水)

ついにセ・リーグも指名打者制の採用を決めた(NO.1924)

 2025年10月4日、プロ野球セ・リーグの理事会で、2027年から指名打者制(DH制)の採用を決めました。

 DH制はアメリカのMLBをはじめ、WBCやオリンピックなどの国際試合でも採用されている世界標準ルールです。日本の高校野球や東京六大学などでも来年から実施することが決まっています。

 セ・リーグだけが世界標準から離れたいわばローカルルールでやっていくのは時代遅れと感じたのでしょう。それにしても遅すぎました。

 パ・リーグでは50年前の1975年からDH制になっています。1973年にMLBのアメリカン・リーグが観客動員数を伸ばすためDH制を採ったのに習いました。パ・リーグも観客が少なかったのです。

 DH制はなによりも野球を面白くしました。大谷選手がそれを教えてくれています。場面によっては打つ気がない、打てない投手が打席に立って三振することがなくなりました。投手は投げることに専念でき、完投する投手が増えました。打者は1人増えたため出場機会が増えて育ちました。得点が増えて試合が活気づきました。

 MLBではナショナル・リーグも2022年からDH制に踏み切りました。日本ではパ・リーグの実力がセ・リーグを上回っているという結果が出ています。ついにセ・リーグも重い腰を上げざるを得なかったのでしょう。

 巨人の原監督の時代に監督会議で原監督がDH制を提案したのですが、選手交代などの監督の采配面の妙味がなくなるという理由で受け入れられませんでした。監督は観客や選手のことより、自分のことしか考えてなかったのではないでしょうか。ばかばかしい話です。

 今年のDH制採用決定はよかったのですが、「各球団のチーム編成上の猶予期間を設けるため再来年から」というのは遅すぎます。監督やコーチやフロントが努力して来シーズンからにすべきでしょう。まだ半年あります。大勢そろっても決められないなら、各チーム優秀なスタッフを一人選んで「DH制担当者」として権限を持たせれば間に合います。観客や選手を1年待たせる必要はありません。

 ここでもセ・リーグの後進性がみられます。セ・リーグの悪口ばかり書きましたが、私は巨人ファンであり、どちらかといえばセ・リーグファンです。

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2025年8月 3日 (日)

2025手賀沼花火大会(NO.1923)

 2025年8月2日、恒例の手賀沼花火大会が開催されました。

 この大会はいつも隅田川花火大会の1週間後に行われます。千葉県に接近する台風9号の影響で中止になる恐れがありました。2日前の7月31日に出ていた天気予報では8月2日は終日雨となっていました。ところが台風がそれたのか、弱まったのか、当日出た予報は曇りのち晴れとなり、予定通り開催できたのです。楽しみにしていた花火大会なので大変うれしいことでした。

 打ち上げ花火の数は1万3500発、人出は両会場合わせて48万人と予想されていました。

 私たちはいつも通り長男一家のマンションからゆっくり見物することになりました。5階建ての最上階からは我孫子会場と柏会場の花火が楽しめます。手賀沼公園のすぐ近くなので、その迫力はすごいものです。ペットの子犬にとっては災難の時間でした。

 昨年までは花火打ち上げの前に会場まで出かけて会場の様子をカメラに収めたのですが、長く歩けなくなったので混雑している会場にでかける勇気はありません。

 今年は手賀沼湖畔の新しい遊歩道が絶好の見物場所になるはずですが、そこに立ち入れるかどうかは確認できませんでした。もしかしたら警備の都合などで入れなかったかもしれません。手賀沼公園の広場は今年から有料席になったとのことでした。

 打ち上げの前に夕食とビールなどの飲み物をごちそうになり、7時10分からの1時間花火を楽しむことができました。

 写真はスマホでなく古いデジカメで撮ったのでうまくとれませんでした。

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