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2025年9月28日 (日)

老人の独り言-32 プロ野球の歴史 西武の黄金時代(NO.1933)

 2025年のプロ野球パ・リーグはソフトバンク・ホークスが序盤の最下位から挽回して見事優勝を成し遂げました。2連覇で、南海、ダイエーの時代を含めると21回目の優勝となりました。

 パ・リーグでもっと優勝回数が多いのは西武ライオンズです。西鉄時代を含めると22回の優勝です。

 西武は過去2回黄金期を迎えています。

 最初は西鉄時代の1954年から1958年の5年間で4回の優勝、3回の日本一になっています。三原脩監督のもとでその栄冠に輝きました。「神さま、仏さま、稲尾さま」の稲尾投手や中西、豊田などの強打者がいました。

 2度目の黄金期は1982年から1998年の17年間にわたる期間です。13回のリーグ優勝、8回の日本一でした。

 広岡達郎、森祇晶、東尾修の3監督が務めました。特に森監督は在任9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を勝ち取り、最高の黄金時代でした。

 17年間には、多くの名選手が活躍しましたが、投手では工藤公康、東尾修などや、打者では田淵幸一、秋山幸二、清原和博、石毛宏典などの選手が記憶に残っています。

 日本シリーズは1983年の巨人との対戦が有名です。西武は広岡監督、巨人は藤田監督でした。3度のサヨナラ試合、第3戦以降は先取点を取ったほうが負けるという逆転に次ぐ逆転ゲームで、日本シリーズ最高の勝負とたたえられました。選手や監督も、「もうここまでやったら、どちらが勝ってもいい」と言っていました。結果は4勝3敗で西武の勝ちとなりました。

 私は巨人が西鉄に日本シリーズで3連敗した記憶が強烈で、どちらかというと西武は好きでなかったのですが、巨人9連覇の時活躍した森捕手が監督になってからは少しですが応援しています。

 

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2025年9月24日 (水)

老人の独り言-31 プロ野球の歴史 阪神の優勝(NO.1932)

 2025年のプロ野球セ・リーグは、はやばやと阪神タイガースの優勝が決まりました。2リーグ始まって以来の速さでした。

 強力な投手陣と打撃陣の成果です。阪神の優勝は2リーグ制になって以後7回目です。

 セ・リーグの優勝回数は、巨人39、中日・広島・ヤクルトはそれぞれ9、DNA2となっており、阪神は6チーム中5番目です。

 私は巨人ファンですが、阪神が最初から巨人の好敵手だったので阪神の優勝には巨人に次いで応援してきました。私の独断ですが、阪神の優勝は常にドラマがありました。回数が少ないだけに強烈なインパクトを感じました。

 1回目の優勝は1962年、2回目は2年後の1964年です。監督は私と同郷の愛媛県出身藤本定義でした。藤本監督は戦前の巨人の初代監督で阪神では戦後の1960年から68年まで指揮を執りました。巨人と阪神の両チームで監督を務めた唯一の人です。

 62年は小山正明と村山実両投手の活躍で優勝しました。小山は生涯勝利数320勝で歴代第3位の投手です。小山は沢村賞、村山はMVPでした。

 64年は村山とジーン・バッキ―両投手の活躍で優勝しました。バッキ―は沢村賞でした。

 3回目の優勝は21年後の1985年でした。監督は阪神で名ショートだった吉田義男です。この年初めて日本一になりました。巨人戦のバックスクリーン3連発もこの年です。ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布選手などの強力打線が活躍しました。バースはMVPと三冠王に輝きました。ファンが喜びのあまり道頓堀に飛び込んだのも有名です。

 4回目の優勝は18年後の2003年です。監督は闘将星野仙一、それまで眠っていたトラを目覚めさせました。沢村賞とMVPは20勝を挙げた井川慶投手でした。

 5回目の優勝は2年後の2005年、監督は岡田彰布、体調を崩した星野監督の後任でした。岡田監督は勝利の方程式として、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之3投手の「JFK」を起用することで有名となりました。MVPは連続フルイニング出場で有名な金本知憲でした。

 6回目の優勝は18年後の2023年です。岡田監督の2度目の登板でした。優勝という言葉の代わりに「アレ」という言葉を流行させました。日本シリーズでは同じ大阪のオリックス・バッファローズを破り日本一に輝きました。MVPは村上頌樹投手でした。

 そして2年後の今年7度目の優勝を果たしました。藤川球児監督が、岡田監督が育てた投手や野手を引き継ぎ、さらに進化させました。2位以下を大きく引き離す堂々たる優勝でした。脱帽です。

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2025年9月19日 (金)

老人の独り言-30 プロ野球の歴史 野茂英雄が開いた大リーグへの道(NO.1931)

 1995年5月2日、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄はサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に先発し、5回を投げて無失点、被安打1、奪三振7という見事なピッチングでデビュー戦を飾りました。

 これが日本人選手がメジャーリーグで活躍するきっかけとなったのです。

 メジャーリーグは前年8月から続いていたストライキがやっと終わり4月25日に開幕したばかりでした。例年より1月ばかり開幕が遅れ、失った人気を取りも出そうと躍起になっていました。そこにトルネード投法の野茂の登場です。

 翌日のニューヨーク・タイムズは一面で野茂のデビュー戦を取り上げ「野茂英雄は米国野球界に対する日本の最高の贈り物だ」と報じました。

 野茂英雄は1989年のドラフト会議で8球団から1位指名を受け近鉄が獲得しました。そして翌年期待に応えて大活躍、最多勝・防御率・勝率・奪三振1位、新人王、ベストナイン、沢村賞、MVPの8冠を獲得しました。

 しかし突然1995年1月近鉄を退団、ドジャースに入団するのです。自分の意志で、懸念や反対の声を押し切っての決断でした。

 野茂はこの年13勝を挙げ新人王を獲得、翌年は16勝でオールスターにも選ばれました。またアメリカンリーグとナショナルリーグの両方で、ノーヒットノーランを達成するという記録も残しました。

 この野茂の活躍がその後の日本選手の大リーグ志向を掻き立て、続々日本人大リーガーを生むことになったのです。イチロー、松井秀喜、大谷翔平などの大活躍につながっています。

 私は野茂英雄も国民栄誉賞を受賞すべきだったと強く感じています。

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2025年9月13日 (土)

老人の独り言-29 プロ野球の歴史 同時期に活躍した巨人の3本柱(NO.1930)

 巨人で三本柱と言われた、槇原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3投手を取り上げます。

 1986年から2001年の16年間は3人の活躍機関が重なっています。3人に共通しているのは、藤田、王、長嶋の3人の監督を支え、数々のドラマを残しました。その間、7度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いています。桑田だけは4度の日本一でした。

 ところが3人とも活躍の割には、通算勝ち星200勝には達していません。残念ながら名球会のメンバーではないのです。加入年度順に振り返ります。

槇原寛己

 愛知県立大附高校出身です。

 平成唯一の完全試合達成者です。「ミスター・パーフェクト」と言われました。不名誉な記録としては、阪神にバックスクリーン3連発を喫しました。1994年の中日との最終決戦では3本柱の先頭を切って先発しましたが、不調で早々降板した記録もあります。

 1982年から2001年まで20年間の巨人生活でした。

・最多奪三振 1回

・通算勝利 159

・通算防御率3.193

・通算奪三振 2111

 三本柱の1人でしたが、200イニング以上投げたのは1988年だけで、1993年の13勝が最高でした。ここ一番に弱く、バント処理が下手で、他の2人に比べると見劣りがする感じです。

斉藤雅樹

 市立川口高校出身です。

 最多勝利5回はスタルヒンに次ぐ歴代2位です。沢村賞3回は歴代3位タイ、1989年には3試合連続完封を含む11試合連続完投勝利を達成しました。「平成の大エース」「ミスター完投」と言われました。

 藤田監督から、投げ方をサイドスローに変えるよう言われたのが好成績につながりました。

 1983年から2001年まで19年の巨人生活でした。

・沢村賞 3回

・MVP 1回

・最多勝利 5回

・最優秀防御率 3回

・最多奪三振 1回

・通算勝利 180

・通算防御率 2.77

・通算奪三振 1707

桑田真澄

 PL学園出身です。高校では1年生から清原和博と「KKコンビ」を組み大活躍、2度の甲子園優勝や甲子園20勝の記録を持っています。

 巨人では、投手としての実績だけでなく、守備でゴールデングローブ賞8回(1位タイ)、バッターとしてホームラン7本、打率.216(歴代最高),79打点の通算記録を持っています。本人も、一番得意は守備、次はバッティング、ピッチングは最後と言っています。

 1986年から2006年まで21年間の巨人生活でした。

 2007年にはMLBのパイレーツに加入しましたが、その後退団しています。

 他の2人より若かったため、桑田は長嶋監督の後の原、堀内監督のもとにも所属しました。

・沢村賞 1回

・MVP 1回

・最優秀防御率 1回

・最多奪三振 1回

・通算勝利 173

・通算防御率 3.55

・通算奪三振 1980

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2025年9月10日 (水)

老人の独り言-28 プロ野球の歴史 阪急ブレーブスと近鉄バファローズを支えた大投手(NO.1929)

 2004年までパシフィック・リーグの関西地方には2球団がありました。阪急ブレーブス(1988年からはオリックス・ブルーウェーブ)と近鉄バファローズです。2004年にはオリックスが近鉄を吸収合併し、オリックス・バファローズになりました。

 今回は阪急と近鉄で活躍した5人の投手を取り上げました。阪急の4人と近鉄の1人です。

米田哲也

 生涯勝利数は金田投手に次ぐ歴代2位の350勝です。

 鳥取県立境高校出身で、「ガソリンタンク」「タフマン」「人間機関車」などと呼ばれました。

 1956年から1975年(20年)阪急、1975年の途中から1976年(2年)阪神、1977年(1年)近鉄、と22年の選手生活でした。

・MVP 1回

・最多勝利 1回

・最優秀防御率 1回

・最多三振奪取 1回

・通算勝利 350

・通算防御率 2.91

・通算奪三振 3388

 の成績を残しています。

梶本隆夫

 岐阜県多治見工業高校出身で、「梶本のポーカーフェース」で有名でした。

 1954年から1973年までの20年、阪急一筋でした。

・最多三振奪取 2回

・通算勝利 254

・通算防御率 2.98

・通算三振奪取2945

 の成績でした。200勝以上の投手で254勝255敗と負け越しが多いのは梶本だけです。

足立光宏

 大阪市立西高校出身、日本シリーズに強かった投手と言われています。巨人のV9時代、阪急は8勝しましたが、そのうちの5勝は足立が勝ちました。

 1959年から1979年まで21年間阪急一筋でした。

・MVP 1回

・最優秀防御率 1回

通算勝利 187

・通算防御率 2.91

・通算三振奪取 1482

 の成績でした。

山田久志

 秋田県立能城高校出身、「史上最高のサブマリン」と言われました。通算勝利数284勝はアンダースロー投手としては歴代最多となっています。

 1969年から1988年までの20年間、阪急一筋でした。

・MVP 3回

・最多勝利 3回

・最優秀防御率 2回

・通算勝利 284

・通算防御率 3.18

・通算三振奪取 2058

 1971年の日本シリーズで巨人の王選手にサヨナラホームランを打たれたシーンが強烈な記憶として残っています。

鈴木啓示

 神戸の育英高校出身、「ミスタ―バファローズ」と呼ばれました。通算勝利数317は歴代4位の記録です。

 1966年から1985年まで20年間近鉄一筋でした。

・最多勝利 3回

・最優秀防御率 1回

・最多奪三振 8回

・通算勝利 317

・通算防御率 3.11

・通算三振奪取 3061

 の成績でした。

 この5投手は沢村賞は獲得していません。理由は、沢村賞がセ・パ両リーグの投手を対象としたのは1989年からで、それ以前はセ・リーグの投手だけが対象でした。もし両リーグが対象だったら、何人かの選手は沢村賞に選ばれていたかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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