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2025年11月30日 (日)

手賀沼通信を紙で配るのをやめた(NO.1949)

 2025年11月27日、手賀沼通信を12月号を最後として、来年からは紙に印刷して郵送するのと、近所に配布するのをやめることを12月号とともに読者の方にお知らせしました。

 手賀沼通信は1998年(平成10年)4月、勝手に作って勝手に送る通信として創刊しました。私がサラリーマンをやめたときです。

 「高齢者の豊かな生活のために」高齢者の役に立つ情報を載せることを目的にしました。

 創刊号はB5版4ページ、情報が多いときはA4版4ページ、文字の大きさは9ポイントを使いました。読者の方から、用紙の統一と文字が小さくて読みづらいとのご指摘があり、42号からA4に統一して文字を11ポイントにするようになりました。

 最初は配布先は友人、知人、ご近所など約70人でした。4ページをB4かA3の1ページの裏表に文房具店でコピーしました。大半が郵送でした。

 メールに添付して発信を始めたのはしばらくたってからのことでした。その後、郵送からメールに変えたり、新しくメール配信が増えたりして、メール添付は最大300人を超えました。今は200人を切っています。

 パソコンを使われない方には郵送が続きました。パソコンで印刷した宛先を封筒に張り付け、コピーした手賀沼通信を入れ、封をして切手を貼るという作業は大変楽しいルーチンでした。郵送で始まったので郵送が原点でした。

 ところが高齢で体のバランスが悪くなり、自転車に乗ると転びそうになりました。自転車で転ぶと大けがにつながります。それを恐れて10月で自転車をやめました。

 コピーを取る文房具店は歩いていくには遠すぎます。最後まで残った配布先の分は50枚近くを古くて安いプリンターで印刷することになりました。きつい作業でした。そこで紙をやめることにしたのです。今まで読んでくださった読者の方には申し訳ないことになりました。

 メール添付とホームページ掲載は続けるつもりです。スマホでもホームページ掲載のものは読めますが、文字が小さいので全文読むのは無理かもしれません。

 

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2025年11月25日 (火)

ウクライナ出身の力士安青錦が初優勝した(NO.1948)

 2025年11月23日、大相撲九州場所で、ウクライナ出身の安青錦が優勝決定戦で豊昇龍を破って初優勝に輝きました。12勝3敗でした。

 前日まで3敗で並んでいた大の里がけがで休場し豊昇龍が不戦勝、大関琴桜を破った安青錦が3敗で並びました。そして決定戦を制したのです。

 安青錦は21歳、初土俵からまだ14場所目です。26日には安青錦の大関昇進を審議する臨時理事会が開かれ昇進が決定するものと思われます。決定すればウクライナ出身で初、年6場所制が定着した1958年以降付け出し力士を除いて最速となります。

 大関昇進には役力士で直近3場所で33勝以上が目安となっていますが、安青錦は前頭、小結、関脇の3場所で34勝です。しかも今場所では大関と横綱に勝っています。横綱豊昇龍には決定戦を含めて4連勝です。大関に推挙されるのは間違いないでしょう。

 このまま努力を積めば将来横綱になる可能性が大です。頑張れ!安青錦

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2025年11月23日 (日)

長嶋さんのお別れ会に思う(NO.1947)

 2025年11月21日、東京ドームで今年6月に89歳で亡くなった長嶋茂雄さんの「お別れの会」が開催されました。

 球界関係者らが出席した式典では、王貞治さん、松井秀喜さん、北大路欣也さんが「お別れの言葉」をのべ、高市首相、イチローさん、大谷翔平選手から寄せられた「ビデオメッセージ」が紹介されました。

 午後2時30分からは一般の部になり、全国から長嶋ファンが訪れました。私も足が丈夫ならぜひ出席したかったのですが、もう遠出ができないので泣く泣く諦めました。

 私は長嶋さんと同じ時代を過ごせたのが素晴らしい思い出になっています。思い出を振り返りましょう。

 長嶋さんは1936年2月生まれ、私は1年下の1937年1月生まれです。長嶋さんが巨人に入ったのが1958年、私が社会人になったのが1960年でした。私は1浪で大学に入ったため2年の差がつきました。

 それから長嶋選手のプロ野球での活躍がはじまりました。デビュー戦はスワローズの金田正一投手から食らった4連続空振りの三振でした。金田が投げた19球のうちバットに当たったのはファウルの1球だけでした。私はラジオで実況中継を聞いていました。

 しかしその思い切りの良さと三振しても悪びれない明るいイメージがファンの心を打ちました。対金田の打率はこの年こそ1割9分7厘でしたが、通算では3割1分3厘、本塁打も18本打っています。

 翌年があの有名な天覧試合でのサヨナラホームランです。下宿でテレビを見ていました。

 巨人のV9が始まったのは1965年からです。長嶋選手のすごさは打って欲しいと思った時打ってくれたことです。大試合に強いという特技もありました。

 レギュラーシーズンのMVPは5回で王の9回には及びませんが、日本シリーズのMVPは4回で歴代1位です。開幕戦の本塁打は10本で5年連続という記録もあります。いずれも日本記録です。サヨナラ安打14本(セ・リーグ右打者記録)、サヨナラホームラン7本(セ・リーグ右打者記録)もあります。

 1974年の引退試合で通算444本目になるホームランを放ちました。そして「巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残して引退しました。私はこの試合もテレビで見ていました。

 翌年には川上監督の後を継いで監督に就任しました。長嶋選手の抜けた巨人は弱く球団初の最下位となりました。1976年、1977年は移籍してきた張本などの活躍でリーグ優勝はしましたが日本一にはなれませんでした。

 1979年秋には、江川、西本、中畑、篠塚など若手中心で地獄の伊東キャンプと言われたキャンプを行いました。この選手たちはのちに藤田監督時代を支えました。

 1980年優勝を逃したため事実上の解任で巨人を去りました。

 第2次長嶋監督時代は13年後の1993年に始まりました。2001年までの9年間でリーグ優勝3回、日本一2回の成績を残しました。

 私の印象に一番残っているのは2000年に王監督の率いるダイエー・ホークスと日本一を争ったことです。ON対決ということで世間の注目を浴びました。巨人の4勝2敗で決着がつきました。

 2001年に引退し、原監督に後任を託しました。

 2004年のアテネオリンピックで野球日本代表チーム監督を務めることが決まっていましたが、半年前の2004年3月脳梗塞で倒れました。出場はかなわず、懸命にリハビリに励みました。

 その後は国民栄誉賞受賞、東京オリンピック聖火ランナー、文化勲章受章などでお元気な姿を拝見しました。

 長嶋茂雄さんは素晴らしい人生だったと思います。ミスタープロ野球として、ファンを、国民を、喜ばせ、励ましてくれました。

 ありがとうございました。同じ世代に生きたことを誇りに思っています。

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2025年11月18日 (火)

家の外壁塗装を終えた(NO.1946)

 2025年11月13日家の外壁塗装の工事が終わりました。

 10月17日に駐車場の屋根をはがすことから始まった工事はすべて終了しました。27日間の長い工事になりました。

 前回外壁塗装をしたのが2006年2月でしたから、19年6か月ぶりの工事でした。おそらくこれが最後の工事となるでしょう。

 10月18日から11月8日までは家の周りには工事用の足場とシートがかかっており、途中数日間は雨戸をすべて閉めておくというストレスのかかる生活を強いられました。工事は途中2日ばかり雨で中止になったにもかかわらず予定通り終了しました。

 おかげで見違えるようにきれいになりました。工事にかかわった関係者の皆さんありがとうございました。またこの間の妻の指摘や気配りにも深く感謝です。

 工事中の写真です。

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 完了後の写真です。

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2025年11月16日 (日)

東京でデフリンピックが始まった(NO.1945)

 2025年11月15日、聴覚障害者による国際スポーツ大会「第25回デフリンピック東京大会」がはじまり、開会式が東京体育館で行われました。

 デフリンピックは1924年にパリで始まり、パラリンピックより古い歴史を持っています。

 今回は81の国・地域と難民チームなどから過去最多の3081人が参加し21競技に挑みます。日本からは約270人が参加し、31個以上のメダルを目指します。

 開会式はNHKの録画放送で見ましたが、言葉や音楽より手話の場面が多く地味な開会式でした。秋篠宮のスピーチは手話でなく日本語であいさつされました。

 日本選手団の旗手は空手女子の小倉涼さんでした。宣誓は陸上男子の山田正樹さんが手話で務めました。

 東京大会は15日から11月26日まで、東京、福島、静岡で行われ、事前申し込みなしで無料で観戦できます。

 私も高齢で耳が遠くなり、補聴器をつけています。聾者ではありませんが難聴者です。多少デフリンピック参加者の気持ちがわかるような気がしています。参加者の皆さん頑張って!

 

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2025年11月15日 (土)

大谷翔平選手がナショナルリーグのMVPを獲得した(NO.1944)

 2025年11月13日、MLB・ドジャースの大谷翔平選手がナショナルリーグのMVPに選ばれました。

 3年連続4度目、前3回と同じく全米記者協会の記者30人全員が1位票を投じる「満票」でした。

 今年の大谷選手は2年ぶりに投打の二刀流に復帰しました。打者としては自己最多のリーグ2位となる55本のホームラン、両リーグ最多の146得点を記録、投手としては14試合に先発、1勝1敗、防御率2.87、奪三振62の活躍でした。ドジャースのリーグ優勝に最も貢献した選手でした。

 MVPはレギュラーシーズンの成績で評価され、ポストシーズンでの活躍は対象外です。

 MLBでMVPを3回以上獲得した選手は7回がバリー・ボンズ、4回が大谷翔平、3回がジャッジやトラウトを含む11人となっています。大谷選手はバリバリの現役、ぜひボンズを超えてほしいと願っています。

 日本のプロ野球も調べてみました。リーグMVPに輝いたのは、王貞治が9回、長嶋茂雄が5回で飛びぬけており、3回が山本由伸やイチローや松井秀喜や菅野智之を含む7人でした。大谷翔平も日本ハム時代に1回パ・リーグのMVPを獲得しています。

 大谷翔平選手おめでとう!

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2025年11月12日 (水)

自転車をやめた(NO.1943)

 2025年11月1日、自転車に乗るのをやめました。

 高齢(来年1月で89歳)のため、からだのバランス感覚が悪くなり転ぶ恐れが出てきたためです。最近買い物の帰りに危うく転びそうになったことが2回ほどありました。私の父も自転車で転んでから体調を崩しました。やめるときになったと実感しました。

 私は脊柱管狭窄症で腰が痛いためあまり歩けません。都内まで電車で出かけることもなくなりました。駅での乗り換えが大変なためです。

 そのため我孫子市内での買い物やちょとした用は自転車でこなしていました。腰には響かないからです。ところが自転車を漕ぐのは平気なのですが、乗り降りするときやカーブを曲がるときに怖さを感じるようになりましたす。やめる潮時でしょう。

 今後は杖や歩行器を使って用を足すつもりです。あまり遠くまでは歩けないので、行動範囲は一層狭くなります。

 手賀沼通信のコピーに歩いて15分ほどの文房具屋にも行けなくなりました。今年限りで通信の紙での送付や配達は終わりにしたいと考えています。

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2025年11月10日 (月)

老人の独り言ー34 プロ野球の歴史 松井秀喜物語(NO.1942)

 松井秀喜選手は高校時代からMLBの時代まで常に脚光を浴び続けた選手でした。

 石川県星稜高校では1年生から4番を務めました。有名なのは3年夏の甲子園大会で2回戦で高知の明徳義塾高校と対戦、明徳の馬淵監督から5打席連続の敬遠の四球を食らったことです。初めてのことで当時のちょっとした社会問題になったくらいでした。

 読売ジャイアンツにドラフト1位で入団、長嶋監督から個人指導を受け続けました。

 2002年に50本のホームランを打ち3度目のホームラン王となったところで、FA権を行使してニューヨーク・ヤンキースに移籍しました。

 ヤンキースは2009年にワールドチャンピオンになり、松井選手が日本人初のワールドシリーズMVPに選ばれました。13打数、8安打、3本塁打、8打点、打率.615の目覚ましい活躍でした。

 2013年には長嶋茂雄氏とともに国民栄誉賞を受賞しました。

 日本での松井選手の記録です。

NPB(10年)

1993年ー2002年(10年)読売ジャイアンツ

 この10年間でジャイアンツはリーグ優勝4回、日本一3回を記録しました。

 ジャイアンツ時代の成績です。

・MVP 3回

・本塁打王3回

・打点王3回

・首位打者1回

 通算成績

・ホームラン 332

・打点 889

・打率 .304

MLB(10年)

2003年ー2009年(7年) ニューヨーク・ヤンキース

2010年(1年) ロサンゼルス・エンジェルス

2011年(1年) オークランド・アスレチックス

2012年(1年) タンパベイ・レイズ

 MLB時代の成績です。

・ワールドシリーズMVP

 通算成績です

・ホームラン175

・打点 760

・打率 .282

 松井選手の愛称は「ゴジラ」でしたが、これは高校3年生の時新聞記者によって付けられMLB時代でも使われました。

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2025年11月 3日 (月)

ドジャースがMLBのワールドチャンピオンになった(NO.1941)

 2025年11月1日アメリカMLBのワールドシリーズ第7戦がカナダ・トロントで行われ、ロサンゼルス・ドジャースがトロント・ブルージェイズを5-4で破り、2年連続9回目のチャンピオンになりました。

 3勝3敗同士で迎えた第7戦は大谷が先発、3回にスリーランホームランを打たれて3失点で降板しました。後がないドジャースはリリーフ投手や先発投手でつなぎ、9回にはソロホームランで4-4の同点としました。

 9回裏からは前日6回まで投げて勝利投手となった山本由伸が登板しました。ドジャースが11回表にスミスのソロホームランが出て5‐4とし、その裏のブルージェイズの攻撃をダブルプレーでしのいで劇的な勝利を手に入れました。

 テレビで見ていた妻と私は、途中何度も負けを覚悟しましたが、勝ったときは思わず万歳を叫びました。

 この試合はスパープレーが続出し、両チームの監督とも見事な試合だったと絶賛しました。

 3回を投げた山本が勝利投手となり、シリーズ4勝のうち山本が3勝、ワールドシリーズMVPに選ばれました。日本人としては2009年のヤンキースの松井秀喜以来で2人目、投手としては初めてです。

 私が特に感動したのはこの7戦目もそうですが、第3戦です。

 試合は6-5でドジャースがフリーマンのサヨナラホームランで勝ちましたが、延長18回6時間39分の熱戦でした。両チームとも選手を使い果たし、最後は第2戦で完投した山本がプルペンで投球練習を始めるほどでした。妻と私はこの試合も最後まで見ました。

 ドジャースが優勝した昨夜の夕食には妻が買ってきたハーフサイズのシャンパンで禁酒中にもかかわらず乾杯しました。我が家のシャンパンファイトでした。

 ドジャース、おめでとう。山本由伸、大谷翔平、佐々木朗希、ありがとう。

 

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