老人の独り言-38 プロ野球の歴史 パ・リーグの再生と楽天ゴールデン・イーグルスの誕生(NO.1954)
2004年は日本プロ野球パ・リーグにとって忘れられない年になりました。パ・リーグの存続を危ぶまれる事態が発生し、それを見事に解決、発展につながる年だったのです。
発端は電鉄の近鉄本社とスーパーのダイエー本社の経営不振から始まりました。
当時プロ野球は親会社の支援なしに黒字経営だったのは、セ・リーグの巨人、阪神、広島の3球団で、パ・リーグに至っては最も観客動員数の多かったダイエーでさえ赤字でした。パ・リーグは観客数が伸びずテレビ放送もほとんどありませんでした。赤字の球団経営を「宣伝費」として親会社が負担する日本型の球団経営は限界を迎えていたのです。
パ・リーグの近鉄・バッファローズはオリックス・ブルーウェーブに吸収される合併を目指していました。ダイエー・ホークスはダイエー本社が倒産に危機にあることから球団経営先を探していました。
合併が行われたら球団数は5球団になります。そこで出てきた案が、球団数8~10の1リーグ制です。読売・ジャイアンツのオーナー渡辺恒雄ほか一部のオーナーの案です。
これに反対したのが選手会です。選手会は「合併反対」「2リーグ制12球団支持」を掲げて、9月18,19の両日ストライキを敢行しました。日本プロ野球初のストライキでした。
そこに登場したのがライブドアの堀江貴文氏と楽天の三木谷浩史氏でした。新球団を作り参入を試みました。
決着するまでには、人が変わったり、会議が何度も開催されたり、マスコミの報道が行き違ったりいろいろなことが起こりました。
最終的に決まったのが、合併は承認され大阪に移動してオリックス・バッファローズに、新規参入は仙台がフランチャイズの楽天・ゴールデンイーグルスになり、2リーグ12球団制はそのままということでした。ダイエー・ホークスはそのまま福岡でソフトバンク・ホークスになりました。
それ以後各球団も知恵を絞って経営に努力することになりました。2005年にはセ・パの交流戦がはじまり、2007年にはクライマックスシリーズが導入されました。テレビ放映もそれまでの巨人優先でなく、その他の球団の試合が増えました。今では観客数も全球団、増加しています。
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