2024年6月 6日 (木)

わが家のアジサイ(NO.1819)

 わが家の庭と玄関わきに10株のアジサイがあります。それぞれ違う種類のようで少しづつ開花のタイミングをずらしながら咲いています。

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 妻の一番好きな花がアジサイのため、小さな庭で一番多く場所を占め一番目立っています。

 北小金の本土寺の参道にある植木屋で買ってきた苗木やいろいろな方から頂いた苗木を妻が大きくしたものです。

 アジサイはバラに比べると地味な花ですがが、しっとりとした味わいがあります。

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2023年1月 4日 (水)

静かなお正月だった(NO.1669)

 令和5年の新年の3日間は6年ぶりの静かなお正月でした。

 例年なら長男一家3人が大みそかにやってきて紅白歌合戦を見ながら夕食を共にして、新年を迎えるまで賑やかに過ごて泊まっていきます。そして朝昼兼用の元旦のお祝いも一緒にするのですが、長男一家のうち2人が年末にコロナにかかってしまいました。自宅で静養をするしかありません。

 私たちは妻と2人で静かに年越しそばをいただきました。紅白歌合戦は知っている歌手や歌がほとんど出なくなって面白くないため見ませんでした。私は10時ころに、妻はゆく年くる年を見て寝たようです。

 元旦も2人で取り寄せたおせちで静かに祝いました。

 例年なら元旦の夜は長女一家も加わり9人で近くの「どん亭」でしゃぶしゃぶをいただくことにしているのですが、今年はコロナのため延期にしました。元旦の夜から2人での普段の食事に戻りました。

 年賀状は私の分は5年前からやめたので、2人の親せきや知人友人のものしか来ません。私は足が悪いので初詣は中止し、3日間は全く外出をしませんでした。

 時間つぶしはもっぱらパソコンとテレビでした。手賀沼通信の新年号を出したり、メールのやり取りをしたり、録画していたいたビデオをまとめて見たりしました。

 一番面白かったのは箱根駅伝です。私の大学はダメですが、息子と孫二人と弟と甥の5つの大学が走ったのです。駒澤大、早稲田大、法政大、東洋大、専修大です。優勝と最下位、シード権獲得3校の結果となりました。一番はらはらしたのが孫の東洋大がシード権を取れるかどうかでした。最後に何とか10位に食い込みました。

 2人での静かなお正月もいいものでした。でも間もなく86歳になる自分の年齢を考えると、あと何回お正月を迎えられるか神のみぞ知るです。

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2022年5月16日 (月)

孫娘の2022年ピアノ・コンサート(NO.1600)

 令和4年5月15日、どれみピアノスタジオのピアノコンサートが我孫子市のケヤキプラザ・ふれあいホールで行われ妻と聴きに行ってきました。

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 コロナのため観客を入れてのコンサートは2018年6月以来です。小学1年生の時から出ている孫娘は高校2年生になり今回で6回目の出演でした。

 どれみピアノスタジオの遠藤操先生が主宰のこのコンサートは、幼稚園児から高齢者までが出演し生徒の保護者も参加する、大変華やかで愉快なコンサートです。

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 今回はバイオリンとサックスのゲストも加わり、一層にぎやかになりました。最後は先生を含めた4人のプロの方の合奏でした。

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 孫娘は独奏で「ツギハギスタッカート」と連弾で「I am」を演奏しました。4年ぶりでしたが、成長を感じました。

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 孫娘のパパは坂本龍一の曲を弾きました。けいこ不足を自覚したようです。

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 途中で継続者の表彰がありました。二人とも10年と5年の継続者として表彰されました。

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 コロナでしばらくチャンスがありませんでしたが、久し振りに楽しく過ごせる機会となりました。

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2019年12月 4日 (水)

リビングのテレビを買い替えた(NO.1297)

 令和元年12月1日、リビングルームのテレビを買い替えました

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 昨年から冷蔵庫をはじめとしていろいろなものが壊れましたが、こんどはテレビの番となりました。買い替える数日前に突然テレビが見られなくなりました。スイッチを入れても画面も音も出ません。電源を抜いたりカードを入れ直したり色々試みましたが、反応はありませんでした。

 2006年11月にヤマダデンキで35万円で購入したシャープの42インチのアクオスです。取扱説明書に出ていた修理相談センターに電話しました。型式番号を言って故障の状態を説明しました。ところがその型式のテレビは2016年にメンテナンス中止となっており修理できないとの事でした。

 今はテレビがないと味気ない生活になっています。どう過ごしてよいかわかりません。そこで早速近くのケーズデンキに行き、いろいろ見てみました。新しいテレビはほとんど4Kまたは8K対応になっていました。対応していないテレビは42インチでは5~6万円になっていました。素晴らしい技術の進歩の結果です。

 いろいろ見比べて買ったのは49インチの4K対応テレビでした。我が家はJCOMにしているので4Kチューナーを内臓していないものになります。JCOMと契約すれば4Kも見られます。4Kでなくても画面は格段にはっきり映ります。

 足が悪くなり外出が減ったのでこれからはテレビの役割がうんと増えます。いい時に壊れてくれたのかもしれません。

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2019年11月 7日 (木)

スカイツリーを望むレストランでミニ南六会(NO.1287)

 令和元年11月6日、隅田川のほとりのアサヒグループ本社ビル22階にあるレストラン「ラ・ラナリータ」でミニ南六会を行いました。

 南六会は松山南高校第6期の卒業生の会です。82歳か83歳の集まりです。南六会そのものは80歳を迎えた年に終わりになりましたが、一部の有志が年1回集まるミニ南六会を開いています。

 今回は幹事の木山志摩子さんが素晴らしい会場を用意してくれました。

 当日は素晴らしい天気、雲一つない快晴で目の前にスカイツリー、眼下に隅田川が見下ろせました。

 集まったのは男性5名、女性7名の12名でした。女性1名は遅れてきたので写真には写っていません。料理はイタリア料理のフルコース、皆さんビールやワインをいただきながら旧交を温めました。

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2019年5月27日 (月)

四国の実家がなくなったー続き(NO.1238)

 先日の続きです。5月24日解体工事が完了しました。その写真が甥から送られてきたのでまたブログに残します。

 解体前の実家の店舗の写真です。

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 1階は荒物屋「山丈商店」の店舗、ポストが立っているのは切手やはがきの販売を行っているためです。2階は物置になっていましたが、私が高校を卒業するまでは、寝室や勉強部屋がありました。両親の寝室も2階でした。

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 解体後はポストと灯篭が残りました。灯篭の前には小さな池があったのですが、埋められました。ポストの後方は右側が妹一家の住まい、左側は隣家の建物です。間口が狭かったのが実感できます。敷地はもっと広いと思っていましたが、意外と狭いのがわかりました。

 奥行きの長さは写真からはわかりませんが、私がいたころは玄関から延々と店舗、住まいの部屋、食堂、台所、風呂場、便所(トイレとは言いませんでした)、作業場、倉庫、小さな畑がつながっていました。それらは向かって右側の1本の土間の通路でつないでいました。歴史の感じられる建物でした。

 店を守ってきた妹一家には心から感謝感謝です。

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2019年5月25日 (土)

四国の実家がなくなった(NO.1237)

 2019年5月愛媛県伊予市にあった実家の建物が取り壊されました。

 実家は山丈商店という店舗名で主に竹製品、台所用品、掃除道具、ロープなどのいわゆる荒物を扱っていました。私の妹が4代目店主として守ってきましたが、大正時代に山崎丈三が愛媛県伊予郡郡中町で創業したという歴史があります。2代目は創業者の息子です。私の父の義理の兄になります。サラリーマンだった父が3代目を継いだのは昭和13年、今から80年前です。そして父が亡くなったあとを妹が継いだのです。

 郡中町は戦後の市制改革で伊予市となりましたが、家は創業時代のまま、築100年は超えていました。郡中町は戦災に遭っていません。郡中町の町家は歴史的にも珍しい建て方になっていました。間口が狭く奥行きが長いというウナギの寝床のような商家が立ち並んでいたのです。家と家との間隔はなく、お互い支え合って立っていたのです。 

 我が家は間口4間(約7.3メートル)、奥行きは25間(約45メートル)くらいあったようです。築100年を超えていたのは、街道側の店舗に使っていた表側で、奥のほうは妹の家族が住むため改築していました。今回取り壊すことになったのは、店舗の部分です。片側の家はすでに取り壊されて駐車場になっていました。

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 今回反対側の家を壊したので家が傾き、改築が必要になったのです。しかし家が古いため改築も多額の費用が掛かり、妹も80歳近い高齢、後継者のいないため思い切って店をやめ、取り壊すことになりました。

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 古い家をなくすのは大変だったようです。父や2代目の持ち物がかなり残っており、それを廃棄するには、妹と同居している三男が大汗をかいたようです。

 私は遠く離れているため何もできず、申し訳ない思いでした。その苦心談を聴くと、自分の終活も本気で考える必要があると感じた次第です。

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2018年12月28日 (金)

私と家族の平成30年(NO.1196)

 平成時代は来年4月に終わります。そのためかこの年末は平成30年間のいろいろな出来事が新聞やテレビで回想されています。

 私も家族を含めての30年を振り返ってまとめてみました。

 まずは楽しいほうからです。いっぱいありました。

 平成4(1992)年娘が結婚しました。相手は同じ我孫子の同年の男性でした。

 そして平成9(1997)年には長男が誕生しました。私たちの初孫です。平成12(2000)年には次男が誕生しました。長男は大学生となり、平成29(2017)年に成人式を迎え、来年4月には社会人となる予定です。次男は来年4月には大学生となる予定です。

 平成15(2003)年には息子が結婚しました。相手はネットで知り合った同い年の女性でした。

 そして平成17(2005)年には長女が誕生しました。私たちの初めての孫娘です。来年4月には中学2年生になります。

 悲しい出来事もいっぱいありました。

 平成2(1990)年には母が73歳でなくなりました。その3年後の平成5(1993)年には父が86歳でなくなりました。

 その間の平成4(1992)年には愛犬ロッキーが10年の命を終えました。

 平成8(1996)年には私たち4人兄弟の末弟が54歳で亡くなりました。

 平成10(1998)年には同居していた義母が87歳で亡くなりました。義父が94歳で長寿を全うしたのは平成16(2004)年でした。

 平成21(2009)年にはすぐ下の弟の配偶者が65歳で亡くなりました。みんな悲しい別れでした。

 そのほかの平成での大きな出来後は次の通りです。

 平成5(1993)年にIBMをセカンド・キャリア・プログラムで退職し、アコムに入社しました。56歳でした。アコムは平成10(1998)年3月61歳で退職しました。

 同年7月よりIBMの新入社員研修の手伝いをする不定期な仕事を始めました。千代田情報システムとの契約でした。その仕事は平成18(2006)年まで約9年間続きました。その途中で平成12(2000)年10月から平成13(2001)年3月までMLI(三井生命とIBMの合弁会社)で週4日の勤務をしました。

 平成23(20011)年3月には東日本大震災が勃発、仙台に勤務していた息子一家が被災しました。怪我はなかったのですが、住んでいたマンションが住めなくなり、職場も変わって間もなく東京勤務になりました。

 IBMを退職したあとは比較的楽な仕事になったため、海外や国内の旅行に行けるようになりました。妻の両親がなくなったあとは、妻が介護や看護から解放されたため、二人で旅行を楽しみました。

 病気で入院したのは4回、手術を2度体験しました。

 平成を振り返ると、仕事に打ち込む時間が減って家族と過ごす時間が増えました。老後を楽しむ時間も増えました。転勤もなく、引っ越しもなく、多くの人と交流することができました。

 ただ平成の文化はあまり身につきませんでした。平成が51歳から始まったためかもしれません。今でもカラオケで歌うのは昭和の歌がほとんどです。

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2018年7月 1日 (日)

孫娘の2018年ピアノコンサート(NO.1139)

 2018年6月30日我孫子市のケヤキプラザ・ふれあいホールで行われたピアノコンサートを聴きに妻と行ってきました。

 遠藤操先生のどれみピアノスタジオが主催するピアノコンサートに孫娘が出演しました。1年半ごとに開催され、小学1年生の時から出ている孫娘は中学生になり今回で5回目となります。

 そのパパも前回までは単独で出ていましたが、今回は都合で独奏はお休みです。

 子供たちが主役のためか受付もかわいい作りでした。

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 孫娘はブルグミュラー作曲の「大雷雨」を演奏しました。練習にはあまり積極的ではないようですが、なかなかの出来栄えでした。

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 パパとママとの3人の連弾では「くまのプーさん」を弾きました。

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 このコンサートは企画と演出が多彩で面白く、観客と出演者を楽しませるよう考えられています。

 プログラムもカラフルで丁寧で見栄えよく作られていました。

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 フィナーレはいつものように出演者全員が舞台に上がり「ドレミのうた」を合唱しました。

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 遠藤先生、出演者の皆さん、スタッフの方々お疲れ様でした。ありがとうございました。

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2018年3月17日 (土)

我孫子第一小学校の卒業証書授与式に出席(NO.1108)

 平成30年3月16日我孫子第一小学校の卒業証書授与式に出席しました。

 9年前から続けている小学生の下校見守りの責任者として来賓として招待されたためです。毎年招待状が来ていたのですが出席するのは初めてです。長男の孫娘が今年卒業するので参加しました。

 中身は「卒業式」ですが、我孫子市では「卒業証書授与式」と呼んでいます。息子や娘の卒業式には出たことがないので、昭和23年の自分の卒業式以来の69年ぶりの卒業式でした。

 そのときの記憶はほとんどないのですが、今回のように色彩豊かなものではなかったように思います。

 第一小の卒業式は、会場の真ん中に菜の花の黄色を中心にピンクや赤などの花が飾られカラフルなのに驚きました。その上卒業生の衣装がきれいでした。卒業生は97名、約半数が女の子ですが、10名ほどが羽織はかま姿、洋服も素敵な衣装でした。男の子もはかまの子が1人、ネクタイを締めたスーツ姿が大勢見られました。

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 一人一人名前を呼ばれると、マイクに向かって将来の希望や感謝の言葉を述べ、校長先生から卒業証書をいただきました。

 私の場合は産めよ増やせよの時代で、全校生徒約2000人、1学年350人くらいいたので、一人一人ではなくクラスの総代がもらったように思います。

 卒業生や4,5年生が歌った歌も、「蛍の光」や「仰げば尊し」ではなく、「手のひらをかざして」「最後のチャイム」「旅立ちの日に」「さよなら友よ」「明日へつなぐもの」の5曲でした。

 ピアノ伴奏も音楽の先生ではなくみんな子どもたちで、その中の1曲は孫娘が弾きました。それぞれいい歌詞の歌でした。

 感銘深い卒業証書授与式でした。

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