2025年1月 3日 (金)

米寿のお祝いをしてもらった(NO.1872)

 2025年1月29日に88歳の米寿を迎えます。そのお祝いを1月1日の夜、長女宅で開いてくれました。

 我が家の家族は私と妻、長女夫婦と男の孫2人、長男夫婦と孫娘1人、合計9名です。

 最初は全員我孫子に住んでいましたが、男の孫は社会人となり我孫子から離れました。

 それでもお正月にはみんな集まって「どん亭我孫子店」で食事を共にしていました。ところが「どん亭」が店を閉めたため、今年は長女宅に私の米寿のお祝いを目的に集まったのです。

 長女宅では80歳の傘寿のお祝いもしてくれています。その時から8年たち、私は老いましたが、孫たちは社会人と大学生になりたくましくなりました。みんなの元気そうな顔を見て、家族全員が無事に過ごせたことをつくづく幸せに感じました。

 豪華な食事のほかにその場でサプライズのプレゼントをもらいました。私の似顔絵の額縁と「良昭」の名前入りの日本酒です。どちらにも誕生日と「祝米寿」との文字とうれしいメッセージが入っていました。

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 このプレゼントは、長男がネットでこういうサービスを提供するところを探して依頼したものです。私のような老人には考えもしないことで、今の世の中の進歩を実感しました。

 会社の同僚や高校や大学の同級生は鬼籍に入った人が増えました。

 弟2人と妹1人の4人兄弟のうち、残念ながら下の弟と妹は米寿を迎えることなく亡くなりました。

 1つ違いの弟と6歳下の妻は無事に米寿を迎えられるよう祈っています。

 私が88歳の米寿を迎えられた(まだ1か月ほどありますが)のは、妻を始め家族のおかげと思っています。深く感謝します。また今回のお祝いを企画し実行してくれたみんなにもお礼を言いたいと思います。

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2024年12月27日 (金)

元最高裁判所長官山口繁氏が亡くなられた(NO.1871)

 2024年12月25日の読売新聞朝刊に、「山口繁元最高裁長官死去 92歳 司法制度改革を推進」というタイトルで死亡記事が載っていました。

 山口繁さんとは地元の若松ふれあい会で親しくさせていただきました。10年ほどのお付き合いでした。週1回の防犯パトロールをご一緒し、別の曜日でしたが小学生の下校見守りをお願いしました。

 最初お会いした時は同じ自治会の住民同士ということで、山口さんがそんな立派な経歴をお持ちということは全く知りませんでした。

 気さくな気取らないお人柄で、言いたいことを言い合う、5歳くらい年上の先輩、という理解でした。山口さんの前歴がわかったのは、ふれあい塾の講師として紹介されたチラシに「元最高裁判所長官」と載っていたためです。

 講演のタイトルは、「江戸という時代③ 公事吟味の心得-江戸裁きの心構え」でした。前歴のお仕事とは直接は関係ないと思いますが、そういうことも研究されていたのかと感銘を受けたのを記憶しています。

 山口さんとは、お互い高齢のためふれあい会をやめてからお会いすることはなくなりした。お元気でおられるということは元会員から聞いたことはありました。亡くなられたことを知ったのは、25日の新聞でした。

 心よりご冥福をお祈りいたします。 

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2024年6月 6日 (木)

わが家のアジサイ(NO.1819)

 わが家の庭と玄関わきに10株のアジサイがあります。それぞれ違う種類のようで少しづつ開花のタイミングをずらしながら咲いています。

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 妻の一番好きな花がアジサイのため、小さな庭で一番多く場所を占め一番目立っています。

 北小金の本土寺の参道にある植木屋で買ってきた苗木やいろいろな方から頂いた苗木を妻が大きくしたものです。

 アジサイはバラに比べると地味な花ですがが、しっとりとした味わいがあります。

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2023年1月 4日 (水)

静かなお正月だった(NO.1669)

 令和5年の新年の3日間は6年ぶりの静かなお正月でした。

 例年なら長男一家3人が大みそかにやってきて紅白歌合戦を見ながら夕食を共にして、新年を迎えるまで賑やかに過ごて泊まっていきます。そして朝昼兼用の元旦のお祝いも一緒にするのですが、長男一家のうち2人が年末にコロナにかかってしまいました。自宅で静養をするしかありません。

 私たちは妻と2人で静かに年越しそばをいただきました。紅白歌合戦は知っている歌手や歌がほとんど出なくなって面白くないため見ませんでした。私は10時ころに、妻はゆく年くる年を見て寝たようです。

 元旦も2人で取り寄せたおせちで静かに祝いました。

 例年なら元旦の夜は長女一家も加わり9人で近くの「どん亭」でしゃぶしゃぶをいただくことにしているのですが、今年はコロナのため延期にしました。元旦の夜から2人での普段の食事に戻りました。

 年賀状は私の分は5年前からやめたので、2人の親せきや知人友人のものしか来ません。私は足が悪いので初詣は中止し、3日間は全く外出をしませんでした。

 時間つぶしはもっぱらパソコンとテレビでした。手賀沼通信の新年号を出したり、メールのやり取りをしたり、録画していたいたビデオをまとめて見たりしました。

 一番面白かったのは箱根駅伝です。私の大学はダメですが、息子と孫二人と弟と甥の5つの大学が走ったのです。駒澤大、早稲田大、法政大、東洋大、専修大です。優勝と最下位、シード権獲得3校の結果となりました。一番はらはらしたのが孫の東洋大がシード権を取れるかどうかでした。最後に何とか10位に食い込みました。

 2人での静かなお正月もいいものでした。でも間もなく86歳になる自分の年齢を考えると、あと何回お正月を迎えられるか神のみぞ知るです。

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2022年5月16日 (月)

孫娘の2022年ピアノ・コンサート(NO.1600)

 令和4年5月15日、どれみピアノスタジオのピアノコンサートが我孫子市のケヤキプラザ・ふれあいホールで行われ妻と聴きに行ってきました。

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 コロナのため観客を入れてのコンサートは2018年6月以来です。小学1年生の時から出ている孫娘は高校2年生になり今回で6回目の出演でした。

 どれみピアノスタジオの遠藤操先生が主宰のこのコンサートは、幼稚園児から高齢者までが出演し生徒の保護者も参加する、大変華やかで愉快なコンサートです。

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 今回はバイオリンとサックスのゲストも加わり、一層にぎやかになりました。最後は先生を含めた4人のプロの方の合奏でした。

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 孫娘は独奏で「ツギハギスタッカート」と連弾で「I am」を演奏しました。4年ぶりでしたが、成長を感じました。

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 孫娘のパパは坂本龍一の曲を弾きました。けいこ不足を自覚したようです。

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 途中で継続者の表彰がありました。二人とも10年と5年の継続者として表彰されました。

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 コロナでしばらくチャンスがありませんでしたが、久し振りに楽しく過ごせる機会となりました。

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2019年12月 4日 (水)

リビングのテレビを買い替えた(NO.1297)

 令和元年12月1日、リビングルームのテレビを買い替えました

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 昨年から冷蔵庫をはじめとしていろいろなものが壊れましたが、こんどはテレビの番となりました。買い替える数日前に突然テレビが見られなくなりました。スイッチを入れても画面も音も出ません。電源を抜いたりカードを入れ直したり色々試みましたが、反応はありませんでした。

 2006年11月にヤマダデンキで35万円で購入したシャープの42インチのアクオスです。取扱説明書に出ていた修理相談センターに電話しました。型式番号を言って故障の状態を説明しました。ところがその型式のテレビは2016年にメンテナンス中止となっており修理できないとの事でした。

 今はテレビがないと味気ない生活になっています。どう過ごしてよいかわかりません。そこで早速近くのケーズデンキに行き、いろいろ見てみました。新しいテレビはほとんど4Kまたは8K対応になっていました。対応していないテレビは42インチでは5~6万円になっていました。素晴らしい技術の進歩の結果です。

 いろいろ見比べて買ったのは49インチの4K対応テレビでした。我が家はJCOMにしているので4Kチューナーを内臓していないものになります。JCOMと契約すれば4Kも見られます。4Kでなくても画面は格段にはっきり映ります。

 足が悪くなり外出が減ったのでこれからはテレビの役割がうんと増えます。いい時に壊れてくれたのかもしれません。

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2019年11月 7日 (木)

スカイツリーを望むレストランでミニ南六会(NO.1287)

 令和元年11月6日、隅田川のほとりのアサヒグループ本社ビル22階にあるレストラン「ラ・ラナリータ」でミニ南六会を行いました。

 南六会は松山南高校第6期の卒業生の会です。82歳か83歳の集まりです。南六会そのものは80歳を迎えた年に終わりになりましたが、一部の有志が年1回集まるミニ南六会を開いています。

 今回は幹事の木山志摩子さんが素晴らしい会場を用意してくれました。

 当日は素晴らしい天気、雲一つない快晴で目の前にスカイツリー、眼下に隅田川が見下ろせました。

 集まったのは男性5名、女性7名の12名でした。女性1名は遅れてきたので写真には写っていません。料理はイタリア料理のフルコース、皆さんビールやワインをいただきながら旧交を温めました。

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2019年5月27日 (月)

四国の実家がなくなったー続き(NO.1238)

 先日の続きです。5月24日解体工事が完了しました。その写真が甥から送られてきたのでまたブログに残します。

 解体前の実家の店舗の写真です。

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 1階は荒物屋「山丈商店」の店舗、ポストが立っているのは切手やはがきの販売を行っているためです。2階は物置になっていましたが、私が高校を卒業するまでは、寝室や勉強部屋がありました。両親の寝室も2階でした。

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 解体後はポストと灯篭が残りました。灯篭の前には小さな池があったのですが、埋められました。ポストの後方は右側が妹一家の住まい、左側は隣家の建物です。間口が狭かったのが実感できます。敷地はもっと広いと思っていましたが、意外と狭いのがわかりました。

 奥行きの長さは写真からはわかりませんが、私がいたころは玄関から延々と店舗、住まいの部屋、食堂、台所、風呂場、便所(トイレとは言いませんでした)、作業場、倉庫、小さな畑がつながっていました。それらは向かって右側の1本の土間の通路でつないでいました。歴史の感じられる建物でした。

 店を守ってきた妹一家には心から感謝感謝です。

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2019年5月25日 (土)

四国の実家がなくなった(NO.1237)

 2019年5月愛媛県伊予市にあった実家の建物が取り壊されました。

 実家は山丈商店という店舗名で主に竹製品、台所用品、掃除道具、ロープなどのいわゆる荒物を扱っていました。私の妹が4代目店主として守ってきましたが、大正時代に山崎丈三が愛媛県伊予郡郡中町で創業したという歴史があります。2代目は創業者の息子です。私の父の義理の兄になります。サラリーマンだった父が3代目を継いだのは昭和13年、今から80年前です。そして父が亡くなったあとを妹が継いだのです。

 郡中町は戦後の市制改革で伊予市となりましたが、家は創業時代のまま、築100年は超えていました。郡中町は戦災に遭っていません。郡中町の町家は歴史的にも珍しい建て方になっていました。間口が狭く奥行きが長いというウナギの寝床のような商家が立ち並んでいたのです。家と家との間隔はなく、お互い支え合って立っていたのです。 

 我が家は間口4間(約7.3メートル)、奥行きは25間(約45メートル)くらいあったようです。築100年を超えていたのは、街道側の店舗に使っていた表側で、奥のほうは妹の家族が住むため改築していました。今回取り壊すことになったのは、店舗の部分です。片側の家はすでに取り壊されて駐車場になっていました。

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 今回反対側の家を壊したので家が傾き、改築が必要になったのです。しかし家が古いため改築も多額の費用が掛かり、妹も80歳近い高齢、後継者のいないため思い切って店をやめ、取り壊すことになりました。

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 古い家をなくすのは大変だったようです。父や2代目の持ち物がかなり残っており、それを廃棄するには、妹と同居している三男が大汗をかいたようです。

 私は遠く離れているため何もできず、申し訳ない思いでした。その苦心談を聴くと、自分の終活も本気で考える必要があると感じた次第です。

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2018年12月28日 (金)

私と家族の平成30年(NO.1196)

 平成時代は来年4月に終わります。そのためかこの年末は平成30年間のいろいろな出来事が新聞やテレビで回想されています。

 私も家族を含めての30年を振り返ってまとめてみました。

 まずは楽しいほうからです。いっぱいありました。

 平成4(1992)年娘が結婚しました。相手は同じ我孫子の同年の男性でした。

 そして平成9(1997)年には長男が誕生しました。私たちの初孫です。平成12(2000)年には次男が誕生しました。長男は大学生となり、平成29(2017)年に成人式を迎え、来年4月には社会人となる予定です。次男は来年4月には大学生となる予定です。

 平成15(2003)年には息子が結婚しました。相手はネットで知り合った同い年の女性でした。

 そして平成17(2005)年には長女が誕生しました。私たちの初めての孫娘です。来年4月には中学2年生になります。

 悲しい出来事もいっぱいありました。

 平成2(1990)年には母が73歳でなくなりました。その3年後の平成5(1993)年には父が86歳でなくなりました。

 その間の平成4(1992)年には愛犬ロッキーが10年の命を終えました。

 平成8(1996)年には私たち4人兄弟の末弟が54歳で亡くなりました。

 平成10(1998)年には同居していた義母が87歳で亡くなりました。義父が94歳で長寿を全うしたのは平成16(2004)年でした。

 平成21(2009)年にはすぐ下の弟の配偶者が65歳で亡くなりました。みんな悲しい別れでした。

 そのほかの平成での大きな出来後は次の通りです。

 平成5(1993)年にIBMをセカンド・キャリア・プログラムで退職し、アコムに入社しました。56歳でした。アコムは平成10(1998)年3月61歳で退職しました。

 同年7月よりIBMの新入社員研修の手伝いをする不定期な仕事を始めました。千代田情報システムとの契約でした。その仕事は平成18(2006)年まで約9年間続きました。その途中で平成12(2000)年10月から平成13(2001)年3月までMLI(三井生命とIBMの合弁会社)で週4日の勤務をしました。

 平成23(20011)年3月には東日本大震災が勃発、仙台に勤務していた息子一家が被災しました。怪我はなかったのですが、住んでいたマンションが住めなくなり、職場も変わって間もなく東京勤務になりました。

 IBMを退職したあとは比較的楽な仕事になったため、海外や国内の旅行に行けるようになりました。妻の両親がなくなったあとは、妻が介護や看護から解放されたため、二人で旅行を楽しみました。

 病気で入院したのは4回、手術を2度体験しました。

 平成を振り返ると、仕事に打ち込む時間が減って家族と過ごす時間が増えました。老後を楽しむ時間も増えました。転勤もなく、引っ越しもなく、多くの人と交流することができました。

 ただ平成の文化はあまり身につきませんでした。平成が51歳から始まったためかもしれません。今でもカラオケで歌うのは昭和の歌がほとんどです。

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