2024年10月23日 (水)

あの時あの場所この1枚-35 パリ郊外のモネの庭園(NO.1860)

 2024年10月5日から来年の2月11日まで上野公園にある国立西洋美術館でモネの展覧会が開催されています。

 17年前の2007年4月24日にパリ郊外にあるモネの家と庭園を見物してきました。

 オランダ、ベルギー、フランスと回るツアーで、モンサンミシェルを見た帰りにパリ郊外のジベルニーにあるモネの庭園に立ち寄りました。

 モネは1840年生まれのフランスの印象派の画家です。1883年にジベルニーに移り住み、86歳で亡くなるまでこの家で過ごしました。

 モネの家の周りの庭園は「花の庭」と「水の庭」です。水の庭には睡蓮の池があります。この1枚は睡蓮の池です。モネは睡蓮の絵をたくさん描いています。

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 訪れたときは春真っ盛り、いろいろな花が花の庭を彩っていました。

 モネの家の中の写真は1枚もないので撮影禁止だったのでしょう。壁に日本の浮世絵が何枚も飾られていたのを覚えています。

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2024年9月 5日 (木)

あの時あの場所この1枚-34 敦煌莫高窟の大仏殿(NO.1848)

 13年前の2011年9月10日~16日、中国の蘭州、西域地方を旅しました。

 元IBMに勤務していた11名の仲間とそのご婦人1名で、まず甘粛省蘭州の蘭州大学で日本語を教えている大川さんを訪問して、蘭州大学での教授風景風景を見学し学生たちとの交流を楽しむのが目的でした。大川さんも元IBMの後輩です。自分で希望して日本語講師となって中国の4都市の大学で教えました。

 そのあと炳霊寺の石窟や青海省の西寧、青海湖、敦煌周辺を観光するスケジュールとなっていました。大川さん、中国語の達人で団長役の大門さん、IBM関連の旅行会社で世話役の大野さんの3人で組んだ手造りのツアーです。

 旅程は昔のシルクロードの一部を訪ねることになりました。訪れたところはいずれもそこでしか見られない風景で印象深く、心に刻まれる場所でした。

 この1枚はいろいろ迷いましたが、やはり敦煌の莫高窟になります。

 敦煌は青海省から蘭州に戻り空路1時間40分の空旅でした。

 莫高窟は敦煌から約5キロの鳴沙山東端の断崖に開削された石窟で、西暦366年に楽僔という僧によって造営が始められたといわれます。確認されている石窟は734窟で北涼から元の時代まで引き続き造営されたようです。

 莫高窟に入るにはカメラを預けなくてはなりません。

 預ける前に撮ったのがこの1枚の9層の大仏殿です。第96窟で外から撮れ、莫高窟のシンボルとなっています。

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 一般に開放されている石窟は40カ所ですが、ガイドがバランスを考えて案内する石窟を選ぶようです。私たちが見物したのは合計10窟でした。

 

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2024年8月11日 (日)

あの時あの場所この1枚-33 徳島阿波おどり(NO.1841)

 2024年8月11日~15日、徳島市で阿波おどりが開催されます。

 8月8日に宮崎沖で震度6弱の地震が発生しました。気象庁は「南海トラフ地震臨時情報」をだし、1週間ほど巨大地震に注意するよう警告しています。それを受けて各地でイベントが中止されるなどの影響が出ていますが、阿波踊りとよさこい祭りは予定通り開催されています。

 11年前の2013年8月12日、阿波おどり見物をしました。先日書いたブログの続きになります。

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 徳島市の阿波おどりは日本三大盆踊りの1つで400年以上の歴史を持っています。

 私たちは藍場浜演舞場という有料演舞場で見物しました。「連」と呼ばれるグループ単位で、衣装や趣向を凝らした踊りが続きます。踊りには、腰を低く落としてダイナミックに踊る「男踊り」と、手を高く上げてしなやかの踊る「女踊り」があります。

 音楽は「ぞめき」と呼ばれ、三味線、増え、鉦、締太鼓、大太鼓からなる「鳴り物」です。

 おどりは18時から始まりました。

 最初に入ってきたのは有名連の1つの「阿呆連」でした。阿呆連と書かれた提灯に続いて、華やかな女踊り、元気な男踊り、鳴り物と続きました。

 連には有名連のほかに、企業連、誰でも参加できるにわか連などがありました。子供たちのかわいい踊りもありました。

 入れ替えまでの2時間があっという間に過ぎたのを覚えています。

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2024年8月10日 (土)

あの時あの場所この1枚-32 高知よさこい祭り(NO.1840)

 2024年8月10日~12日、「高知よさこい祭り」が開催されています。

 11年前の2013年8月11日から13日まで、「四国夏祭り」のツアーに妻と参加しました。

 私は愛媛県伊予市の出身ですが、同じ四国の高知県には1度行っただけ、徳島県には足を運んだことはありませんでした。このツアーで初めて「よさこい祭り」と「阿波踊り」見たのです。

 8月11日、高知市のホテルニッコーで本場のカツオたたきの夕食をとったあと、国道の鋪道に設けられた桟敷席でよさこい祭りを見物しました。そこは審査やテレビの生中継の行われる追手筋本部競演場でした。

 よさこい祭りは1954年に徳島の阿波踊りに対抗するため商工会議所有志によって始められました。その年で第60回大会でした。

 よさこい踊りはその後北海道のソーラン踊りと結びついて、札幌で開催される「YOSAKOIソーラン祭り」として世界規模のイベントに発展しました。

 「よさこい祭り」は、よさこい鳴子踊り」で始まり、「よさこい節」が続き、そのあとはお囃子や自由な曲を組み合わせて踊ります。踊りは自由な振り付け、衣装も自由なデザインです。曲や踊り方が決まっている阿波おどりとは両極端です。

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 踊りは各グループ単位でパレード形式で行われます。グループの先頭は地方(じかた)車と呼ばれるトラックで、音量を最大にしたオーディオ機器を鳴らして先導します。トラックには屋根を設え、屋根の上には歌い手が乗っています。

 そのうしろにリーダーがいて踊り子の集団が続きます。グループごとに趣向を凝らし見事にそろって踊ります。優秀なグループは表彰されるようです。

 土佐のエネルギーが感じられ感動した一夜でした。

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2024年8月 7日 (水)

あの時あの場所この1枚-31 仙台七夕まつり(NO.1839)

 今仙台では七夕まつりが行われています。

 10年前の2014年8月7日、仙台七夕まつりを見物しました。前回のブログの続きで、「東北三大祭り」ツアーの最終日です。

 私は1975年6月から1978年3月まで、仙台に勤務していました。約50年前のころです。会社は仙台の中心部にあったので、七夕まつり期間中はまつり飾りの下を通って通勤していました。初めて見る豪華な七夕に驚いたことを記憶しています。

 ところがそのころの写真はデジカメがない時代だったのでフィルムで撮ったのですが、1枚も残っていません。

 この1枚は10年前の写真です。40年前の若き日を懐かしみながら歩いたのを覚えています。

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 おそらく40年前よりは飾りも一層豪華になったのではないでしょうか。

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2024年8月 5日 (月)

あの時あの場所この1枚-30 秋田竿燈まつり(NO.1838)

 今秋田市では竿燈まつりが開催されています。

 10年前の2014年8月6日、秋田竿燈まつりを見物しました。前々回の手賀沼通信ブログで青森ねぶた祭りを書きましたがその翌日です。

 角館で武家屋敷を見物していたときは曇り空でしたが、秋田カントリークラブで早めの夕食をとっているあいだに激しい雨になりました。

 雨が激しい時は竿燈は中止になると聞いていたので半ばあきらめていたのですが、最終日だったので無理を承知で実施してくれたのかもしれません。実施と聞いたときは大拍手でした。

 竿燈会場は秋田市の中心街の大通りです。そこに桟敷席が設けられていました。ねぶたと同じように傘は禁止です。昨日と同じようにポンチョとビニールズボンをつけて桟敷席の最上段に座りました。

 間もなく竿燈の一団が入ってきました。ねぶたは前に進みますが、竿燈は同じところにとどまって演技を披露します。手、額、肩、腰などで竿燈を支えます。

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 一番大きいのは、高さ12メートル、重さ50キロ、64センチの提灯が46個ついているとのことでした。雨の中、ずらっと並んだ竿燈の集団は圧倒的な迫力でした。

 雨が激しくなったので予定時間を半分に切り上げて終了しました。でも雨の中の竿燈見物は貴重な経験となりました。

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2024年8月 3日 (土)

あの時あの場所この1枚-29 青森ねぶた祭(NO.1836)

 10年前の2014年8月5日から7日まで東北三大祭り見物の旅に妻と行きました。クラブツーリズム主催のツアーです。

 まず最初は青森のねぶたでした。

 旅の途中で降り出した雨は、ねぶたが始まると大雨になりました。始まる前にねぶたの基地になっているラッセランドに立ち寄りました。ねぶたは雨でも中止になりませんが、針金と和紙でできているねぶたは雨に弱いため、特大のビニールシートで被う作業をしていました。

 アップルパレスホテルで忙しい夕食を取った後、決められた桟敷席に向かいました。桟敷席は歩道にパイプいすを並べたもので私たちは一番前になっていました。

 雨具をつけてつけて待っていると7時10分にねぶたがスタートしました。オープンカーに乗ったミスねぶたに続き、大太鼓、そのあとがねぶたです。

 ねぶたは1台の大型ねぶたと、太鼓・笛・鉦(かね)のねぶた囃子と跳人(ハネト)で構成されています。

 ねぶたは一つのテーマで作られ、正面と側面と背面に違った絵が描かれています。

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 ハネトはねぶた囃子に合わせて「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声とともに飛び跳ねます。でも雨のせいか疲れたせいか飛び跳ねないで歩くだけのハネトも少なくありませんでした。

 雨の中のねぶた祭りを楽しんだ夏の一晩でした。

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2024年7月25日 (木)

あの時あの場所この1枚-28 パリのセーヌ川とエッフェル塔(NO.1833)

 明日2024年7月26日、パリのオリンピックが開幕を迎えます。開会式はセーヌ川を利用して行われます。川を使った開会式は世界初です。どんな景色が見られるか楽しみです。

 今日のこの1枚はセーヌ川とはるか向こうのエッフェル塔です。

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 17年前の2007年4月に「オランダ・ベルギー・モンサンミシェル・パリ9日間」というツアーに妻と参加しました。パリ市内の観光はつけたしのようなものだったのであまりいい写真は残っていません。

 パリは2回目で1995年に行ったときはセーヌ川舟遊びも含めて、パリの名所をじっくり回っています。ところがそのころはデジカメはあまり普及していなく、フィルムのカメラで写真を撮りました。この1枚シリーズはデジカメ写真だけですのでその時撮った写真は残念ですが使えません。

 パリは世界一の観光都市だけに見どころがいっぱいあります。エッフェル塔は建てたときは賛否両論があり、一度は解体させる危機もあったようですが、いまではパリのシンボルとなっていて、セーヌ川岸のエッフェル塔のないパリは考えられと言われています。

 セーヌ側で行われるオリンピック開会式、日本時間でが深夜になりますが、録画してしっかり楽しみたいと思っています。

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2024年6月27日 (木)

あの時あの場所この1枚-27 沖縄のひめゆりの塔(NO.1825)

 今年の6月23日、沖縄では79年目の「慰霊の日」を迎えました。

 太平洋戦争の終盤、1945年4月1日に米軍の沖縄上陸作戦が始まりました。そして6月23日、日本の第32軍牛島司令官をはじめ司令部が自決して沖縄での組織的戦闘が終わりました。日本が沖縄戦で負けたのです。

 沖縄県民は4人に1人が亡くなったと言われています。沖縄ではこの日を「慰霊の日」とさだめています。

 17年前の2007年3月1日から7日まで沖縄旅行に妻と行きました。3度目の沖縄ツアーで、沖縄本土だけ時間をかけて回りました。

 平和祈念公園も訪ねましたが、3月5日には糸満市にある「ひめゆりの塔」を訪れました。沖縄線に動員されたひめゆり学徒隊の死者を慰霊する塔です。

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 2つの女学校から生徒・教師240名が看護要員として動員され、そのうち136名が死亡しました。2校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後「ひめゆり学徒隊」とよばれるようになったのです。

 沖縄には沖縄戦の悲しい戦争の跡や広大な土地を占めている基地を目の当たりに見た旅でした。

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2024年6月23日 (日)

あの時あの場所この1枚-26 3度目の松本城(NO.1824)

 7年前の2017年6月25日から26日まで、民謡の紀楊美会の仲間と美ヶ原温泉旅行を楽しみました。紀楊美会では最後の旅行でした。

 その際訪れた観光地の1つが26日に行った松本城です。私にとっては3度目の松本城見物となりました。

 松本城は長野県松本市のシンボルとなっており、国宝に指定されています。日本の国宝天守閣は、松本城、姫路城(世界文化遺産)、彦根城、松江城、犬山城の5つです。

 日本には城の数は2万5千から3万ほどあったと言われていますが、天守閣が築城時の姿をとどめているのは、この国宝5城のほか、弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城の7つを加えた12城しかありません。

 私はこのうち9城を訪れています。好きな城は、姫路城は別格として地元の伊予松山城と松本城です。

 松本城の天守・城郭・城下町の整備を行い、今のような形にしたのは、徳川家康の元から豊臣秀吉の臣下に走った石川数正とその子康長です。

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 北アルプスの山々バックに広い堀を前にした天守閣の姿が一番の写真スポットですが、残念ながら今回は曇り空だったため、きれいな庭を前にした1枚としました。

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