2023年12月 6日 (水)

手放したくない本-その21 堀さんの追悼文集(NO.1762)

 堀キヨさんは下宿のおばさんです。私が一橋大学に入学したとき、同じ松山南校出身の同級生の白方さんと一緒に堀さん宅に下宿しました。1年後に私の弟が加わり卒業までお世話になりました。

 それから堀さんが74歳で亡くなるまでの31年間、3人の私たち下宿生の家族も含めてのお付き合いとなりました。堀さんは生涯独身で私たち3人のいわば東京での母親となった感じです。私の母とほぼ同じ年齢でした。

 下宿していたころはよくしかられましたが、一緒に飲みに行ったり、キャンプに出掛けたりして、下宿のおばさんと下宿人という立場を超えて、まるで家族のような間柄となりました。そしてそのお付き合いは3人の配偶者や子供たち、その親戚まで広がりました。

 堀さんは若い時、昭和通商という国策会社に勤務して、当時の女性としては珍しくシンガポールに赴任した経験もあり、多くの友人にも囲まれていました。ちょっと謎めいた魅力の持ち主でした。

 ところが74歳で突然白血病にかかり、あっという間になくなりました。私が50歳の時でした。その時のショックは今も覚えています。

 なんとか堀さんとの思い出を形に残したいと考えて、文集を作ることを思いつきました。堀さんを通じて、堀さんの親せきや、堀さんの友人の方とも知り合いとなっていたため、その方々にも声をかけて思い出の文章や写真を寄せていただきました。18人の方から記念の文章と写真が集まりました。

 そして堀さんの死後約1年後に「風は南風」というタイトルで記念文集を完成させることができました。
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2023年11月23日 (木)

手放したくない本-その21 あけぼの会の4冊の本(NO.1760)

 あけぼの会は千葉県柏市の高齢者の会です。

 家田会長ご夫妻が1991年に結成し、途中一度解散しましたが、事実上は2019年1月まで続きました。その後は会長はじめ会員が高齢化したのとコロナのため会が開けなくなりました。

 会の行事は、1泊旅行、バスハイク、映画会、歌舞伎や落語や能楽や浄瑠璃などの鑑賞会、ソプラノライブショウ、講演会、新年会、忘年会などで、年10回ほど集まっていました。ほとんどが家田ご夫妻が企画し実施されました。

 私は2001年5月から参加して最後まで実施のお手伝いをしながら楽しみました。

 会では5年に1回ずつ「記念文集」を出しました。手元にあるのはその第3号から第5号までの3冊とあけぼの会の「愛唱歌集」の1冊です。

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 「記念文集」の第4号と第5号は私が中心となって編集しました。会員のほぼ全員の方から文章をいただきました。第5号では集合写真からお一人ずつ写真を切り取って文章に添えました。

 現在、あけぼの会のメンバーはほとんどの方が亡くなられたり施設に入っている状態で再度集まることはできません。

 さいわい「記念文集」には各地で撮った集合写真が数多く掲載されているので当時を思い出しながら懐かしく眺めています。

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2023年11月14日 (火)

手放したくない本-その20 2冊の三井生命ハイキング部の会報(NO.1757)

 大学を卒業して就職したのは三井生命でした。1960年4月です。そして数か月後、会社のハイキング部に入りました。冬はスキー部に変身する楽しい会でした。

 1964年9月三井生命を退社するまで約4年数か月、ハイキング部で登山やスキーを楽しみました。

 1961年の冬に先輩の声がかりで創刊したのが、部の会報誌「杣人」です。私は先輩のお手伝いとして編集にかかわりました。

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 当時はデジカメやパソコンはまだ世の中に出る前で、すべて手書きの原稿を業者に依頼して本にするという時代でした。白黒の写真はありましたが、本に挿入すると高くつくので手書きの地図が載っています。

 登山は土曜日の半日の勤務が終わってから、新宿や上野などから夜行で出発するのが恒例になっていました。

 「杣人」第2号は三井生命退社後に1966年に発行されたものです。かっての山の仲間が送ってくれました。創刊号よりページ数が増え、手書きの地図が活字の地図になり、白黒写真が1ページ挿入されていました。

 若かりし頃の登山の思い出の詰まった「杣人」です。

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2023年10月18日 (水)

手放したくない本-その19 大学のゼミの6冊の記念誌((NO.1751)

 1958年4月から1960年3月までの2年間、一橋大学経済学部関恒義ゼミナールで学びました。大学3年生から4年生の時です。

 関ゼミの在校生と卒業生は関先生を囲む「恒友会」結成し定期、不定期に集まっていました。その恒友会から「恒友」のタイトルで6冊の記念誌を出しています。

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・第1号 創刊号 1965年

・第2号 恒友会20周年記念号 1980年

・第3号 関先生還暦記念号 1984年

・第4号 関先生退官記念号 1987年

・第5号 恒友会40周年記念号 1999年

・第5号別冊 特集「これからの日本経済」 1999年

 内容は関先生と卒業生と一部在校生の寄稿文を編集したものです。私も第5号別冊を除いて毎回投稿しています。読み返してみると時代と話題の移り変わりを感じさせられます。

 関恒義先生は2013年89歳で亡くなられました。私は関ゼミ第2回生ですが、2回生10名も半分以上鬼籍入っています。

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2023年9月26日 (火)

手放したくない本-その18 9冊の句集(NO.1745)

 6人の方から9冊の俳句の句集をいただきました。

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 大野さんからも句集を1冊いただいておりますが、それは(その1)で、旅行記や自分史と一緒に書いていますのでここでは省略します。

 9冊の句集はグループの俳句をまとめたもの、個人の俳句を載せたものなど出版されたいきさつはそれぞれです。

 私は俳句の聖地とされている松山市で生まれましたが俳句は全くたしなみません。ただ俳句を読むのは嫌いではありません。句の良し悪しはわかりませんが、共感できる句に出会うと心が癒される感じがします。よく17文字で表現できるものだなと感心してしまいます。

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2023年9月23日 (土)

手放したくない本-その17 伊予市にかかわる4冊の本(NO.1744)

 私は愛媛県伊予市の出身です。伊予市は昭和30年に市になる前は伊予郡郡中町でした。その郡中町と伊予市にかかわる4冊の小冊子が手元にあります。いずれも伊予市出身で郡中小学校・郡中中学校・松山南高校で一緒だった神田ミナ子さんからいただいたものです。

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 「郡中町家物語」は郡中町の中心地だった古い町の歴史や特徴を紹介した本です。私の実家は荒物屋で郡中町のど真ん中で商売を営んでいました。数字は正確には覚えていませんが、間口6間奥行50間くらいのウナギの寝床のような細長い家でした。そんな地割の商家がずらりと並んでいました。この本はそんな地割のなり立ちや名家といわれた宮内家の来歴などを含め、歴史を中心に掘り下げています。

 「伊予市の歴史文化」と「伊予市の文化財」は町屋だけでなくもっと広い範囲で伊予市の歴史や文化や文化財を解説しています。

 「本日、いよし日和」は伊予市が出している観光用の小冊子です。伊予市は平成の大合併で2005年に伊予市と双海町と中山町が合併し、新しい伊予市になりました。その新しい伊予市について2021年に観光パンフレットを立派なものに作り変えました。手放したくない本に入れるようなものではありませんが、もう旅行ができない体になったので帰省することはできません。私の知らない伊予市が載っているためとってあります。

 

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2023年9月 8日 (金)

手放したくない本-その16 我孫子と愛媛にかかわる2冊の本(NO.1740)

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 「我孫子の文化四十年の歩みー加納治五郎銅像設立記念特集ー」は我孫子の文化を守る会の会長の美崎大洋氏から頂いた本です。美崎さんは我孫子市の中国語講座で知り合った友人です。我孫子の文化を守るためにいろいろな活動を行っています。

 柔道の創始者の加納治五郎は我孫子市に別荘を構えていました。我孫子の文化を守る会ではその別荘の跡地に治五郎の銅像を建てることを企画し、美崎さんが先頭に立って2年の準備期間をかけて2020年4月銅像が完成しました。私も些少ですが募金しています。

 そして翌年美崎さんが中心となってこの本を出版したのです。331ページも及ぶ大作で、加納治五郎氏の我孫子とのかかわりと銅像建設に至るまでの詳細を多くの方が記しています。

 「愛媛のまごころ」は「手放したくない本ーその5」で取り上げた松山南校の同級生竹田祥一氏から贈られたものです。

 2017年9月に国体愛媛県大会が開催された際、開会式に当時の天皇皇后両陛下(現上皇、上皇后)をお招きしましたが、その奉迎などについての記録です。

 竹田さんは両陛下愛媛県奉迎委員会のとりまとめ役を務めていました。なお愛媛県は私の故郷です。

 

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2023年9月 4日 (月)

手放したくない本-その15 5人から贈られた5冊の本(NO.1739)

 5人の方から贈られた5冊の本です。順不同です。

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 「一瞬の出会い」は松山南高校時代の一色先生のエッセイです。一色先生には一年間英語を教わりました。何年生の時だったか忘れましたが、優しくて話題の豊富な素敵な先生でした。この本は卒業後いただいたものです。奥様をなくされて、奥様との出会いなどを中心に書かれたエッセイです。

 「あるボートマン文集抄」は一橋大学時代の同級生・内藤元巳氏がいろいろなところに書いた小文を集めたものです。いわば半生の自分史のような形にまとめています。一橋大学端艇部での活躍、その後コーチとして、OBとしての人生を語っています。

 「上海便り」は一橋大学関ゼミの後輩の茂住重昭氏が上海日粉食品有限公司に赴任していた時の上海での生活をつづったものです。

 「旅日記」は四国八十八カ所を夫婦二人で歩き遍路をした時の記録です。著者の小林清治氏は事故でなくなられていて、奥様が編集、出版されたものです。20年ほど前、私も四国八十八カ所の歩き遍路を考えていた時、この本のことが何かに書かれていたのを発見し、奥様に連絡して譲っていただいたものです。しかし私の歩き遍路は計画倒れに終わり、実現しませんでした。

 「笑いはビタミン」は交流誌「林遊倶楽部」を出されていた久保田章さんに頂いたものです。「林遊倶楽部」の発行終了に当たって、18年間掲載されていた「お笑い工房」をまとめて本にしたものです。プロのお笑いの台本になるような楽しいネタが満載です。

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2023年8月17日 (木)

手放したくない本-その13 上田亮三郎さんと能勢健生さんの本(NO.1734)

 上田亮三郎さんは松山南高校の同級生です。東京教育大学を卒業後、大阪商業大学に奉職、サッカー部の監督を務めました。

 関西学生サッカー連盟の3部だった大商大のサッカー部を数年で1部に昇格させました。その後関西学生サッカー選手権11回優勝、関西学リーグリーグ18回優勝、全日本大学サッカー選手権4回優勝など数々の実績を重ねました。

 著書「やらなあかんことは やらなあかんのや!」は学生サッカーを通して自らの経験をつづったいわば半生の自分史です。人脈をサッカー界だけでなく、スポーツ界、マスコミ、政財界まで広げていった経緯も書かれています。

 上田さんの熱意があふれた本となっています。人生の指針書といえるかもしれません。

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 能勢健生さんは弟の知人です。弟の同じ早稲田大学の後輩、同じ藤沢市内の住人です。

 能勢さんの「ちょっと田舎で暮らしてみたら」は弟から送られてきました。

 サラリーマンを退職後、夫婦二人で1か月に期間を絞って5カ所でロングステイをした経験をつづっています。5カ所は日本国内の辺鄙と言ってもいい田舎です。面白いことをする人がいるものだと感じました。

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2023年8月 9日 (水)

手放したくない本-その12 辻野弥生さんの6冊の本(NO.1733)

 辻野弥生さんは千葉県流山市にお住いの手賀沼通信の読者です。

 辻野さんは「流星の会」の主催者で「ずいひつ流星」の発行人でもあります。

 「ずいひつ流星」は会員の方などの随筆を載せた機関誌で今までに5冊お送りいただきました。大変読みやすく編集されています。

 「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」は辻野さん著作の新書版のドキュメンタリーです。関東大震災の際に千葉県福田村(現野田市)で朝鮮人と間違えられて虐殺された香川県の行商人の事件を記したものです。資料を丹念に調査しています。映画にもなり9月1日から全国で公開される予定です。

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