2023年9月 8日 (金)

手放したくない本-その16 我孫子と愛媛にかかわる2冊の本(NO.1740)

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 「我孫子の文化四十年の歩みー加納治五郎銅像設立記念特集ー」は我孫子の文化を守る会の会長の美崎大洋氏から頂いた本です。美崎さんは我孫子市の中国語講座で知り合った友人です。我孫子の文化を守るためにいろいろな活動を行っています。

 柔道の創始者の加納治五郎は我孫子市に別荘を構えていました。我孫子の文化を守る会ではその別荘の跡地に治五郎の銅像を建てることを企画し、美崎さんが先頭に立って2年の準備期間をかけて2020年4月銅像が完成しました。私も些少ですが募金しています。

 そして翌年美崎さんが中心となってこの本を出版したのです。331ページも及ぶ大作で、加納治五郎氏の我孫子とのかかわりと銅像建設に至るまでの詳細を多くの方が記しています。

 「愛媛のまごころ」は「手放したくない本ーその5」で取り上げた松山南校の同級生竹田祥一氏から贈られたものです。

 2017年9月に国体愛媛県大会が開催された際、開会式に当時の天皇皇后両陛下(現上皇、上皇后)をお招きしましたが、その奉迎などについての記録です。

 竹田さんは両陛下愛媛県奉迎委員会のとりまとめ役を務めていました。なお愛媛県は私の故郷です。

 

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2023年9月 4日 (月)

手放したくない本-その15 5人から贈られた5冊の本(NO.1739)

 5人の方から贈られた5冊の本です。順不同です。

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 「一瞬の出会い」は松山南高校時代の一色先生のエッセイです。一色先生には一年間英語を教わりました。何年生の時だったか忘れましたが、優しくて話題の豊富な素敵な先生でした。この本は卒業後いただいたものです。奥様をなくされて、奥様との出会いなどを中心に書かれたエッセイです。

 「あるボートマン文集抄」は一橋大学時代の同級生・内藤元巳氏がいろいろなところに書いた小文を集めたものです。いわば半生の自分史のような形にまとめています。一橋大学端艇部での活躍、その後コーチとして、OBとしての人生を語っています。

 「上海便り」は一橋大学関ゼミの後輩の茂住重昭氏が上海日粉食品有限公司に赴任していた時の上海での生活をつづったものです。

 「旅日記」は四国八十八カ所を夫婦二人で歩き遍路をした時の記録です。著者の小林清治氏は事故でなくなられていて、奥様が編集、出版されたものです。20年ほど前、私も四国八十八カ所の歩き遍路を考えていた時、この本のことが何かに書かれていたのを発見し、奥様に連絡して譲っていただいたものです。しかし私の歩き遍路は計画倒れに終わり、実現しませんでした。

 「笑いはビタミン」は交流誌「林遊倶楽部」を出されていた久保田章さんに頂いたものです。「林遊倶楽部」の発行終了に当たって、18年間掲載されていた「お笑い工房」をまとめて本にしたものです。プロのお笑いの台本になるような楽しいネタが満載です。

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2023年8月17日 (木)

手放したくない本-その13 上田亮三郎さんと能勢健生さんの本(NO.1734)

 上田亮三郎さんは松山南高校の同級生です。東京教育大学を卒業後、大阪商業大学に奉職、サッカー部の監督を務めました。

 関西学生サッカー連盟の3部だった大商大のサッカー部を数年で1部に昇格させました。その後関西学生サッカー選手権11回優勝、関西学リーグリーグ18回優勝、全日本大学サッカー選手権4回優勝など数々の実績を重ねました。

 著書「やらなあかんことは やらなあかんのや!」は学生サッカーを通して自らの経験をつづったいわば半生の自分史です。人脈をサッカー界だけでなく、スポーツ界、マスコミ、政財界まで広げていった経緯も書かれています。

 上田さんの熱意があふれた本となっています。人生の指針書といえるかもしれません。

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 能勢健生さんは弟の知人です。弟の同じ早稲田大学の後輩、同じ藤沢市内の住人です。

 能勢さんの「ちょっと田舎で暮らしてみたら」は弟から送られてきました。

 サラリーマンを退職後、夫婦二人で1か月に期間を絞って5カ所でロングステイをした経験をつづっています。5カ所は日本国内の辺鄙と言ってもいい田舎です。面白いことをする人がいるものだと感じました。

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2023年8月 9日 (水)

手放したくない本-その12 辻野弥生さんの6冊の本(NO.1733)

 辻野弥生さんは千葉県流山市にお住いの手賀沼通信の読者です。

 辻野さんは「流星の会」の主催者で「ずいひつ流星」の発行人でもあります。

 「ずいひつ流星」は会員の方などの随筆を載せた機関誌で今までに5冊お送りいただきました。大変読みやすく編集されています。

 「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」は辻野さん著作の新書版のドキュメンタリーです。関東大震災の際に千葉県福田村(現野田市)で朝鮮人と間違えられて虐殺された香川県の行商人の事件を記したものです。資料を丹念に調査しています。映画にもなり9月1日から全国で公開される予定です。

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2023年8月 3日 (木)

手放したくない本-その11 木澤要治さんと大川豊さんの本(NO.1731)

 木澤要治さんと大川豊さんはお二人とも日本アイ・ビー・エムの元同僚で、中国の大学で日本語講師として活躍しました。

 木澤要治さんはアイ・ビー・エムを退職後、1999年から2002年までの2年間、蘇州大学で講師を務めました。その間、中国での様々な体験談を「蘇州つれづれ草」と題して、定期的に送ってくれました。  

 講師を終了して帰国後、蘇州つれづれ草をまとめて本として出版したのが「蘇州からの便り」です。

 2002年5月には木澤さんとつながりのあったアイ・ビー・エムの7名で、木澤さんの滞在していた蘇州大学直営の東呉飯店を訪ねて、蘇州近辺の名所や蘇州大学での講義ぶりを見学しました。

 「蘇州からの便り」には、今から20数年前の中国の状況が詳しくつづられており、私たちは蘇州を訪ねることでそれを実感しました。

 大川豊さんは木澤さんのあとをついだ形で、2003年に蘇州大学に赴任しました。大川さんは蘇州に行った時のメンバーの1人です。

 その後、南京大学、武漢の中南民族大学、蘭州大学と勤務場所を替え、2017年まで約14年間学生に教えています。他に例を見ない貴重な日本語教師です。

 大川さんも「XX近況(XXは地名)」として体験談を定期的に送ってくれました。その近況をもとにまとめたのが「中国で日本語を教える」と「中国の日本語教師」です。

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 3冊を読み比べると、約18年間での日本語を学ぶ学生の変化や中国の発展の様子などがよくわかります。

 蘭州大学にも2011年に元アイ・ビー・エムの11人の仲間で大川さんを訪ねました。大川さんの計らいで、蘭州大学での日本語の講演会や学生との交流会などを体験しました。この時はいい機会だったので、足をのばして敦煌莫高窟などの西域の観光も楽しみました。いい思い出になっています。

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2023年7月25日 (火)

手放したくない本-その10 鎌田肇さんの4冊の本(NO.1729)

 鎌田肇さんは日本アイ・ビー・エムでの元同僚です。

 新入社員研修部門に在籍していた時にインストラクターとして一緒に働きました。私が40歳代前半のころです。鎌田さんはロジカルな考え方の人でコンピュータの知識は抜群でした。

 退職後手賀沼通信をお送りするようになってからお付き合いが復活し、現在も最も熱心な読者の1人です。手賀沼通信をお送りすると一番最初にコメントを送ってくれるのが鎌田さんです。パソコンや通信でわからないことがあると鎌田さんに相談します。いつも頼りにしています。

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 その鎌田さんから頂いたのが、4冊のA4版の大型の本です。フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語り」を鎌田さんが英語と日本語に訳しました。

 ドイツ語の文章を1センテンスずつ英語と日本語に翻訳しています。これを読むとドイツ語の文章の構成が英語を通してよくわかります。難解なニーチェの本の内容が理解できた感じになりました。こんな本に出合ったのは後にも先にもこれが初めてでした。

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2023年7月23日 (日)

手放したくない本-その9 近藤元治さんの2冊の本(NO.1728)

 近藤元治さんは松山南高校の同級生です。

 京都府立医科大学に入学しました。その後、ハーバード大学留学、京都府立医科大学教授、同大学付属病院長、同大学名誉教授、藍野病院長、ハイパーサーミアクリニック院長などを歴任しました。医学博士で、がんの温熱療法ハイパーサーミアの日本での第一人者です。同級生ではもっとも有名な人かもしれません。86歳になっても現役で頑張っています。

 高校時代は個人的な付き合いはありませんでしたが、松山南校の卒業生の会の南六会で知り合いました。

 近藤さんは専門分野で数多くの本を出しています。何冊かいただきましたが、がんにかかった友人に差し上げたりして、手元にあるのは「ガンになってもあきらめないで!」と「ドクとイカロスの翼」です。

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 前者はハイパーサーミアの効果をわかりやすく解説しています。

 後者は専門分野の著書ではなく近藤元久というパイロットについての話です。近藤元久は明治生まれの民間人初の民間パイロットで、日本海軍から依頼された新型機のテスト飛行中に墜落しました。近藤さんとはいろいろな縁でつながっているようです。タイトルの「ドク」は近藤さんのことです。

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2023年7月21日 (金)

手放したくない本-その8 長島達明さんの7冊の自分史(NO.1727)

 長島達明さんは一橋大学時代のクラスメートです。1,2年生の時はQ組で一緒でしたが、学生時代は個人的な付き合いはありませんでした。卒業後60歳を過ぎてから、Q組の集まりのQ友会で顔を合わせることになり親しくなりました。

 長島さんは大学卒業後新三菱重工(現在の三菱重工)に入社し30年間勤務しました。その後請われて長崎県の「オランダ村」に転職、「ハウステンボス」の立ち上げに奮闘しました。ハウステンボスでは13年間在職、専務取締役で退職しています。現在もハウステンボスの一角に住居を構えています。

 Q友会のホームページを作ったとき長島さんが自分史を書いたと聞いたので、ホームページに載せるための原稿を送ってもらいました。そのあと製本された7冊の本が届いたのです。文章はもとより、編集、装丁も見事で、糸で綴じられた手づくりの本でした。

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 Q友会は毎年4月と9月に神保町の如水会館で行っていたのですが、長島さんは時々はるばる長崎から駆けつけてくれていました。

 Q友会はコロナで3年間お休みしているうち、世話役が亡くなり開かれなくなりました。ホームページもプロバイダーの都合で見られなくなっていたので、ますます貴重な本となっています。

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2023年7月 7日 (金)

手放したくない本-その7 佐々木朝子さんの詩集ほか(NO.1724)

 佐々木朝子さんは松山南高校の同級生です。高校3年生の時のクラスメートでした。

 結婚後愛知県にお住まいなので、南六会(松山南校6期生の会)の全国大会で時々お目にかかりました。現在は毎月手賀沼通信をお送りしています。

 佐々木さんは詩人です。詩誌「蕊」の同人で、自作の詩集「砂の声」「知の記憶」を出版しました。他のいくつかの雑誌にも詩を書いています。

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 佐々木さんは旧満州(現中国東北部)に生まれました。苦労して日本に引き上げています。

 幼い時の記憶が佐々木さんの詩の中に刻まれています。魂を揺さぶるような詩が多いのは生い立ちによるものと思われます。

 また1900年代最後の年に中国東北部を再訪し、植樹など友好の行事に参加しました。その時の紀行文を2冊の「中国内モンゴルの旅」に載せています。

 折に触れ佐々木さんから頂いた本は合計11冊にもなりました。

 

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2023年7月 4日 (火)

手放したくない本-その6 関恒義さんの2冊の本(NO.1722)

 関恒義先生は一橋大学での恩師です。

 一橋大学は3,4年生はゼミナールに所属して学びます。私は関ゼミの2回生で、数理経済学を中心に教わりました。

 関先生は2013年に89歳で亡くなられました。今振り返ると、関ゼミでは勉学をしたというより、機会あるごとに一緒にお酒を飲んで2年間を楽しく過ごしたという感じが強く残っています。

 国立の先生のご自宅に招かれ奥様や2人のお子様も交えて一緒に食事を楽しんだこともありました。ゼミ旅行は飲み旅行でした。

 卒業後は1,2,3回生で恒友会を作り、先生が退任されるまで毎年のゼミテンを加えながら交流が続きました。その後は先生の古希、喜寿、傘寿などのお祝いで集まりました。

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 「現代の経済原論」は1997年に出版された先生の最後の著作です。

 「関恒義先生最終講義録」は1988年1月26日の先生の最後の講義をまとめた本です。いずれも先生の生涯を代表する著作であり講義だったと言えると思います。

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